【真木柱 10】髭黒、北の方を厭い、玉鬘のもとに籠もる

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暮るれば例の急ぎ出でたまふ。御|装束《さうぞく》のことなども、めやすくしなしたまはず、世にあやしう、うちあはぬさまにのみむつかりたまふを、あざやかなる御|直衣《なほし》などもえ取りあへたまはで、いと見苦し。昨夜《よべ》のは焼けとほりて、うとましげに焦《こが》れたる臭ひなども異様《ことやう》なり。御|衣《ぞ》ともに移り香もしみたり。ふすべられけるほどあらはに、人も倦《う》じたまひぬべければ、脱ぎ換へて、御|湯殿《ゆどの》など、いたうつくろひたまふ。木工《もく》の君、御|薫物《たきもの》しつつ、

「独りゐてこがるる胸の苦しきに思ひあまれる炎とぞ見し

なごりなき御もてなしは、見たてまつる人だに、ただにやは」と、口おほひてゐたる、まみいといたし。されど、いかなる心にてかやうの人にものを言ひけん、などのみぞおぼえたまひける。情なきことよ。

「うきことを思ひさわげばさまざまにくゆる煙《けぶり》ぞいとど立ちそふ

いと事のほかなる事どもの、もし聞こえあらば、中間《ちゆうげん》になりぬべき身なめり」と、うち嘆きて出でたまひぬ。

一夜《ひとよ》ばかりの隔てだに、まためづらしうをかしさまさりておぼえたまふありさまに、いとど心を分くべくもあらずおぼえて心憂ければ、久しう籠《こも》りゐたまへり。

修法《ずほふ》などし騒げど、御物の怪《け》こちたく起こりてののしるを聞きたまへば、あるまじき疵《きず》もつき、恥ぢがましき事必ずありなんと、恐ろしうて寄りつきたまはず。殿に渡りたまふ時も、他方《ことかた》に離れゐたまひて、君たちばかりをぞ、呼び放ちて見たてまつりたまふ。女|一《ひと》ところ、十三ばかりにて、また次々男|二人《ふたり》なんおはしける。近き年ごろとなりては、御仲も隔りがちにてならはしたまへれど、やむごとなう立ち並ぶ方なくてならひたまへれば、今は限りと見たまふに、さぶらふ人々もいみじう悲しと思ふ。

現代語訳

大将は、日が暮れるといつものように急いで姫君(玉鬘)のもとにご出発なさる。御装束のことなども、見苦しくない身だしなみはなさらず、まことに妙な、不揃いな様子に、いつも不機嫌でいらっしゃるが、さっぱりした御直衣なども間に合わせることがおできにならず、ひどく見苦しい。

昨夜のには焼け穴ができて、嫌なかんじに焦がれている臭いなども異様な感じである。幾枚も重ね着していらっしゃる御下着に移り香もしみついている。北の方に嫉妬されたことがあきらかだから、姫君(玉鬘)もお嫌がりになられるだろうから、脱いで着替えて、御湯殿で湯浴みなどなさって、たいそう身だしなみをおととのえなさる。木工の君が御薫物をしつつ、

木工「独りゐて……

(北の方は独りで家にいらっしゃって、胸がこがれて苦しいので、その思いがあふれ出して、炎となったのだと存じます)

北の方をすっかりお見限りになられた、その御ふるまいは、拝見する者までも、平気でおられましょうか」と、口元を袖でおおっている、その目元はたいそう美しい感じである。しかし大将は、「どんな気持ちで、俺はこんな女房と関係を持ったのだろうか」などとばかりお思いになっていらっしゃるのだ。情ないことではある。

(髭黒)「うきことを……

(昨夜のあのいやなことを思い出すと気持ちがざわついて、煙がくゆり立つように、さまざまな後悔が次から次にわいてくることだ)

昨夜のあのとんでもない事件などが、もしあちらの(六条院方の)耳に入ったら、私は妻とも姫君(玉鬘)とも縁が切れてしまうだろう」と、ため息をついてご出発になられた。

一夜だけ隔てを置いただけで、また一段と美しさがまさって思われる姫君のありさまに、大将はいよいよ他人に心移りするはずもなく思えて、北の方へのお気持ちも失せてしまわれるので、長くこちら(玉鬘の元)に入り浸りでいらっしゃる。

あちら(髭黒邸)では修法などして騒いでいるけれど、御物の怪が仰山に起こってわめいているのをお聞きになると、とんでもない非難も受け、恥辱めいたことも必ず被るに違いないと、それが恐ろしくて、大将は寄り付くこともなさらない。自邸においでになる時も、別の部屋に離れていらして、若君たちだけを呼び立ててお会いになられる。若君は女一人が十ニ三歳ぐらいで、その下に次々と男二人がいらっしゃるのだ。最近ではご夫婦中も隔たりがちになっているのが普通でいらっしゃるけれど、以前は、大切になさって並ぶ者もないというふうでいらしたので、それが今はこれ限りの関係なのだと北の方がお思いになるので、お仕えしている人々もひどく悲しいと思うのだ。

語句

■世にあやしう 髭黒は毎夜の女通いなどははじめてのことで、慣れていない。色めいた時に着る装束などもわからず、ちぐはぐである。 ■ふすべられける 「燻《ふす》ぶ」はくすぶる、いぶるが原意。ここでは嫉妬にかられること。 ■人も倦じたまひぬべれば 実際には玉鬘はなんとも思っていないが。 ■木工の君 髭黒つきの女房。髭黒と関係を持っている(【真木柱 07】)。 ■独りゐて… 「独り」に「火取」を、「思ひ」に「火」をかける。「こがるる」「炎」はそれらの縁語。北の方に同情し、木工の君自身の感情も重ねる。 ■見たてまつる人だに 見ている自分たちさえ看過できないと、北の方に同情し髭黒に批判的な立場をとる。暗に自分自身の気持ちも添える。 ■口おほひて 「言い過ぎた失言でした」というせめてものポーズを取る。 ■いかなる心にて 髭黒は木工への愛情も冷めており、後悔しかない。 ■うきことを 「く《燻》ゆる」に「悔ゆる」をかける。前歌の嫉妬の意を後悔の意に転じて切り返す。 ■いと事のほかなる事ども 昨夜、北の方から灰を浴びせられたこと。 ■中間 北の方の発作の件がばれると、式部卿宮の怒りを買って北の方は実家に連れ戻され
、源氏の不審を買って玉鬘との結婚もなりたたなくなる。髭黒がもっとも恐れる事態。 ■修法などし 前の「御修法などはじめさせたまふ」(【真木柱 09】)に対応。 ■こちたく 「言痛し・事痛し」はうるさい。わずらわしい。仰々しい。おおげさである。はなはだ多い。 ■聞きたまへば 髭黒は玉鬘のもとに籠もっていて、使者からの報告を聞く。 ■他方 北の方のいるのとは別の部屋。すっかり北の方への愛情が冷めている。 ■呼び放ちて 「呼び放つ」は北の方のいるところから子供らだけを呼び寄せて。 ■女一ところ… はじて髭黒の子らが紹介される。女子一人、男子ニ人。この女子が後の歌により真木柱と称される。 ■やむごとなう 前も「やむごとなきものとは、まだ並ぶ人なく思ひきこえたまへるを」(【真木柱 05】)とあった。

朗読・解説:左大臣光永

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