【真木柱 11】北の方、実家に帰る 母子で嘆き合う

原文

父宮聞きたまひて、「今は、しかかけ離れてもて出でたまふらむに、さて心強くものしたまふ、いと面《おも》なう人笑へなることなり。おのがあらむ世の限りは、ひたぶるにしも、などか従ひくづほれたまはむ」と聞こえたまひて、にはかに御迎へあり。

北の方、御心地すこし例になりて、世の中をあさましう思ひ嘆きたまふに、かくと聞こえたまへれば、「強ひて立ちとまりて、人の絶えはてんさまを見はてて思ひとぢめむも、いますこし人笑へにこそあらめ」など思し立つ。御せうとの君たち、兵衛督《ひやうゑのかみ》は上達部におはすればことごとしとて、中将、侍従、民部大輔《みんぶのたいふ》など、御車三つばかりしておはしたり。さこそはあべかめれ、とかねて思ひつることなれど、さし当りて今日を限りと思へば、さぶらふ人々もほろほろと泣きあへり。「年ごろならひたまはぬ旅住みに、狭《せば》くはしたなくては、いかでかあまたはさぶらはん。かたへはおのおの里にまかでて、静まらせたまひなむに」などさだめて、人々おのがじし、はかなき物どもなど里に払ひやりつつ、乱れ散るべし。

御|調度《てうど》どもは、さるべきはみなしたためおきなどするままに、上下《かみしも》泣き騒ぎたるは、いとゆゆしく見ゆ。君たちは何心もなくて歩《あり》きたまふを、母君みな呼びすゑたまひて、「みづからは、かく心|憂《う》き宿世《すくせ》、今は見はてつれば、この世に跡とむべきにもあらず、ともかくもさすらへなん。生《お》ひ先遠うて、さすがに、散りぼひたまはんありさまどもの、悲しうもあべいかな。姫君は、となるともかうなるとも、おのれに添ひたまへ。なかなか、男君たちは、え避《さ》らず参うで通ひ見えたてまつらんに、人の心とどめたまふべくもあらず、はしたなうてこそ漂《ただよ》はめ。宮のおはせんほど、型のやうにまじらひをすとも、かの大臣たちの御心にかかれる世にて、かく心おくべきわたりぞ、とさすがに知られて、人にもなり立たむこと難《かた》し。さりとて山林《やまはやし》に引きつづきまじらむこと、後《のち》の世までいみじきこと」と泣きたまふに、みな深き心は思ひわかねど、うち顰《ひそ》みて泣きおはさうず。「昔物語などを見るにも、世の常の心ざし深き親だに、時に移ろひ人に従へば、おろかにのみこそなりけれ。まして、型のやうにて、見る前にだになごりなき心は、懸《かか》り所ありてももてないたまはじ」と、御|乳母《めのと》どもさし集《つど》ひてのたまひ嘆く。

現代語訳

父宮(式部卿宮)がこうした事情をお聞きになって、「今となっては、大将(髭黒)がこうまでわが娘(北の方)をないがしろにしたお仕打ちをなさるなら、こうまでして辛抱してらっしゃることは、ひどく面目が悪いし、物笑いの種となります。私が生きている間は、どうして無理に従順になさっていることがありましょうか」と申し上げなさって、にわかに御迎えをお寄こしになる。

北の方は、ご気分がすこし平常になって、大将とのご関係を情けなく思い嘆いていらしたところに、こうしてお迎えにまいったことを申し上げなさるので、「強いて踏みとどまって、あの人が私をすっかり私を見捨てるのを見届けてからあきらめるというのも、いつそうの物笑いになるに違いない」などとご決心なさる。

ご兄弟の君たち、兵衛督は上達部でいらっしゃるので大げさだということで、中将、侍従、民部大輔などが、御車三つほどでお迎えにいらした。いつかはこうなるだろう、とかねて思っていたことではあるが、さし当たって今を限りと思えば、お仕えする女房たちもほろほろと泣きあっている。

「長い間なさったこともない旅住まいに、狭くて居心地が悪くていらっしゃるのでは、どうして多くの者がお仕えするわけにまいりましょう。一部の者はそれぞれの里に退出して、落ち着かれてから」などと話を決めて、女房たちはめいめい、ちょっとした荷物などを里に運び出したりしては、散り散りに立ち去っていくようである。

御調度の数々は、必要なものはみな取り集めて置くなどするにまかせて、上の者も下の者も泣き騒いでいるのは、ひどく縁起が悪く見える。君たちが無邪気にあちこち動き回っていらっしゃるのを、母君がみな呼んでお座らせになり、(北の方)「私自身は、このような残念な運命なのだと、今はあきらめてしまいましたので、この世に未練も残さないようにして、どうとでもなりゆきに従ってまいりましょう。しかしあなた方はこの先の人生がまだ長いのですから、やはり、散り散りになっておしまいになる有様が、悲しくもあるのですよ。姫君は、どうなろうとも、私に従っていらっしゃい。男君たちは、どうしても父君のもとにご機嫌うかがいに通うことになるでしょうが、父君はあなた方に心をとどめなさるようでもなく、あなた方はどっちつかずで不安定な立場に置かれることでしょう。祖父宮(式部卿宮)がご健在の間は、一通りの宮中での交わりはできるとしても、今はあの大臣たち(源氏と内大臣)の御心しだいという世の中なので、あのようなけむたい宮の一族なのだと、やはり目をつけられることになって、一人前の立場になることは難しいのです。そうかといって私に従って山や林に交じらうことは、後の世までも残念なことで」とお泣きになるので、御子たちは深い事情はおわかりにならないが、御顔をしかめて泣いていらっしゃる。「昔物語などを見ても、世間一般の愛情の深い親でさえ、時が移り人の勢いになびけば、愛情がとぼしくなることですよ。まして、親子という形ばかりで、目の当たりにさえすっかり情が失せているのは、御子たちのお力添えをしてくれださることもないでしょう」と、御乳母たちも集まって、北の方はごいっしょにお嘆きあっていらっしゃる。

語句

■父宮聞きたまひて 髭黒は家庭内のごたごたが式部卿宮に知れるこを恐れていた。実家に北の方を引き戻されるから。その恐れは現実となった。 ■もて出でたまふ 「もて出づ」は態度に出してふるまう。髭黒が北の方を無視して玉鬘に入れ込んでいることをいう。 ■さて心強くものしたまふ 「さ」は髭黒からひどい扱いを受けていること。 ■おのがあらむ世の限りは 前も「おのがあらむこなたは、いと人わらへなるさまに従ひなびかでも」(【真木柱 06】)とあった。 ■例になりて 物の怪のつかない正常な状態。 ■世の中 髭黒との夫婦関係。 ■御せうとの君たち 式部卿宮の子ら。北の方の兄弟。 ■兵衛督 玉鬘への求婚者の一人だった(【藤袴 07】)。 ■里 実家。 ■ゆゆしく見ゆ 調度品を整理することが、主人が死んだことを思わせるから。 ■この世に跡とむべきにもあらず 結婚生活に絶望して出家するのは当時ふつうのこと。雨夜の品定めに「深き山里、世離れたる海づらなどに這ひ隠れぬるをりかし」(【帚木 04】)などとあった。 ■人の心とどめたまふべくもあらず 「人」は髭黒。子供たちを構わなくなるというのである。 ■宮のおはせんほど 祖父である式部卿宮がご存命の間はその後ろ盾によってどうとでも宮仕えできようが、その後はどうなるかわからないの意。 ■かの大臣の御心にかかれる世 式部卿宮は源氏や内大臣とは関係が悪い。そのため式部卿宮の孫であるあなた方は出世が難しいだろうと北の方はいうのである。 ■深き心は思ひわかねど 前にも「何心もなくて歩きたまふ」とあった。 ■昔物語 継子物語。現存するものは『落窪物語』やその改作『住吉物語』など。先妻腹の子に愛情を持っていた父親が再婚して後妻とすごすうちにその子への愛情を失うという話の筋がある。 ■型のやうにて 形式的に親子であるだけの関係。 ■

朗読・解説:左大臣光永