【鈴虫 06】中秋十五夜 六条院における鈴虫の宴 冷泉院よりの御使

十五夜の夕暮に、仏の御前《おまへ》に宮おはして、端近うながめたまひつつ念誦《ねんず》したまふ。若き尼君たち二三人花奉るとて、鳴らす閼伽坏《あかつき》の音、水のけはひなど聞こゆる、さま変りたる営みにそそきあへる、いとあはれなるに、例の渡りたまひて、「虫の音《ね》いとしげう乱るる夕《ゆふべ》かな」とて、我も忍びてうち誦《ずん》じたまふ阿弥陀の大呪《だいず》いと尊くほのぼの聞こゆ。げに声々聞こえたる中に、鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにをかし。「秋の虫の声いづれとなき中に、松虫なんすぐれたるとて、中宮の、遥けき野辺を分けていとわざと尋ねとりつつ放たせたまへる、しるく鳴き伝ふるこそ少なかなれ。名には違《たが》ひて、命のほどはかなき虫にぞあるべき。心にまかせて、人聞かぬ奥山、遥けき野の松原に声惜しまぬも、いと隔て心ある虫になんありける。鈴虫は心やすく、いまめいたるこそらうたけれ」などのたまへば、宮、

おほかたの秋をばうしと知りにしをふり棄てがたきすず虫のこゑ

と忍びやかにのたまふ、いとなまめいて、あてにおほどかなり。「いかにとかや。いで思ひのほかなる御|言《こと》にこそ」とて、

こころもて草のやどりをいとへどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ

など聞こえたまひて、琴《きん》の御|琴《こと》召して、めづらしく弾きたまふ。宮の御|数珠《ずず》引き怠りたまひて、御|琴《こと》になほ心入れたまへり。月さし出でていとはなやかなるほどもあはれなるに、空をうちながめて、世の中さまざまにつけてはかなく移り変るありさまも思しつづけられて、例よりもあはれなる音《ね》に掻《か》き鳴らしたまふ。

今宵《こよひ》は例の御遊びにやあらむ、と推しはかりて、兵部卿宮渡りたまへり。大将の君、殿上人のさるべきなど具して参りたまへれば、こなたにおはしますと、御|琴《こと》の音を尋ねてやがて参りたまふ。「いとつれづれにて、わざと遊びとはなくとも、久しく絶えにたるめづらしき物の音《ね》など聞かまほしかりつる独《ひと》り琴を、いとよう尋ねたまひける」とて、宮も、こなたに御座《おまし》よそひて入れたてまつりたまふ。内裏《うち》の御前《おまへ》に、今宵は月の宴《えん》あるべかりつるを、とまりてさうざうしかりつるに、この院に人々参りたまふと聞き伝へて、これかれ上達部《かむだちめ》なども参りたまへり。虫の音《ね》の定めをしたまふ。

御琴どもの声々掻《か》き合はせて、おもしろきほどに、「月見る宵の、いつとてもものあはれならぬをりはなき中に、今宵の新《あらた》たなる月の色には、げになほわが世の外《ほか》までこそよろづ思ひ流さるれ。故権大納言、何のをりをりにも、亡きにつけていとど偲《しの》ばるること多く、公私《おほやけわたくし》、もののをりふしのにほひ失せたる心地こそすれ。花鳥の色にも音《ね》にも思ひわきまへ、言ふかひある方のいとうるさかりしものを」などのたまひ出でて、みづからも、掻《か》き合はせたまふ御琴の音《ね》にも、袖濡《そでぬ》らしたまひつ。御簾《みす》の内にも耳とどめてや聞きたまふらんと、片つ方の御心には思しながら、かかる御遊びのほどには、まづ恋しう、内裏《うち》などにも思し出でける。「今宵は鈴虫の宴《えん》にて明かしてん」と思しのたまふ。

御|土器《かはらけ》二《ふた》わたりばかりまゐるほどに、冷泉院《れんせいゐん》より御|消息《せうそこ》あり。御前《ごぜん》の御遊びにはかにとまりぬるを口惜しがりて、左大弁、式部大輔、また人々率《ひき》ゐてさるべきかぎり参りたれば、大将などは六条院《ろくでうのゐん》にさぶらひたまふと聞こしめしてなりけり。

「雲の上をかけはなれたる住みかにももの忘れせぬ秋の夜の月

同じくは」と聞こえたまへれば、「何ばかりところせき身のほどにもあらずながら、今はのどやかにおはしますに参り馴るることもをさをさなきを、本意《ほい》なきことに思しあまりておどろかさせたまへる、かたじけなし」とて、にはかなるやうなれど参りたまはんとす。

月かげはおなじ雲ゐに見えながらわが宿からの秋ぞかはれる

異《こと》なることなかめれど、ただ昔今《むかしいま》の御ありさまの思しつづけられけるままなめり。御使に盃《さかづき》賜ひて、禄《ろく》いと二《に》なし。

現代語訳

十五夜の夕暮に、仏の御前に宮(女三の宮)はおすわりになって、部屋の隅近くから外を眺めて物思いに沈みつつ読経なさっている。若い尼君たちニ三人が仏に花をお供え差えするということで、閼伽杯の音を鳴らすのや、水の気配などが聞こえる。そんな今までとはすっかり変わったお勤めに一同精を出しているのが、まことにしみじみとした風情であるが、そんな中、院(源氏)がいつものようにおいでになられて、(源氏)「虫の声がひどく乱れる夕べですね」とおっしゃって、自らも小声でお唱えになる阿弥陀の大呪が、まことに尊くかすかに聞こえる。なるほど虫の声々が聞こえている中に、鈴虫が鳴き出したようすは、華やかで風情がある。

(源氏)「秋の虫の声のどれが一番と決め難い中に、松虫こそがすぐれているといって、中宮(秋好中宮)が、遥かな野辺を分けて、とくにわざわざ探し求めては野にお放ちになられたことがあったのですが、野原での鳴き声を、そのまま伝えるのは、少なかったそうです。松虫はその名に反して、寿命の短い虫であるようです。思いのままに、人の聞かない奥山、遥かな野の松原で声も惜しまず鳴いているのも、ひどくよそよそしい虫でありますよ。鈴虫は気さくで、今風に華やかなのがまことに可愛げがありますね」などとおっしゃるので、宮(女三の宮)は、

(女三の宮)おほかたの……

(大体のところは秋は物憂い季節と知ってしまったのに、未練を捨てきれないのは鈴虫の声です)

とひっそりとおっしゃるのが、まことに優美で、品があり大らかな感じである。(源氏)「何とおっしゃいましたか。まったく心外なお言葉で」とおっしゃって、

(源氏)こころもて……

(ご自分から草の宿(六条院)をお捨てになった貴女ですが、それでもやはり鈴虫の声だけは古びないものですね)

など申し上げられて、琴の御琴を召して、珍しくすばらしい調子でお弾きになる。宮(女三の宮)は御数珠を繰る手を思わずお止めになって、御琴に今でもやはりお心を惹きつけられていらっしゃる。

月がさし出てまことに美しいのも胸打たれるが、院(源氏)は、空を眺めてぼんやりと物思いにおふけりになり、かつて契りを交わした御方々がさまざまにあっけなく世を背いてしまわれることを思いつづけられて、いつもよりも情深い音にお掻き鳴らしになる。

今宵は例年のように六条院で管弦の御遊びがあろうか、と予想して、兵部卿宮がおいでになられた。大将の君(夕霧)も、しかるべき殿上人などを連れてお参りになられたので、院(源氏)はこちらにいらっしゃるようだと、御琴の音を聞き尋ねて、すぐにお参りになる。(源氏)「ひどく所在ないので、わざわざ管弦の遊びをするというほどではなくとも、久しくしまっていた珍しい楽器の音などを聞きたいと思って、独りで琴を弾いておりましたが、それをよくぞお尋ねになってこられたものですね」とおっしゃって、宮(兵部卿宮)をも、こちらにお席を用意してお入れ申し上げなさる。帝の御前に、今宵は月の宴が持たれる予定であったのが、中止になって物足りなかったので、この六条院に人々がお参りになっていらっしゃると聞き伝えて、あれこれ上達部などもお参りになられた。皆で虫の音の品定めをなさる。

御琴の合奏が行われて、興が乗ってきた頃に、(源氏)「月を見る宵は、いつでもしみじみ胸に迫るものですが、その中に、今宵の新月の色には、なるほど漢詩にあるように、いかにも現世の外のことまで、あれこれ思いを馳せてしまいます。故権大納言(柏木)は、何の折々にも、亡くなったことにつけてまことになつかしく思い出されることが多く、公私にわたって、物の折節の華やかな色合いが失せた気がするのです。花や鳥の色にも声にも深い趣をわかっていて、話しがいのあることにおいては、まことにすぐれておりましたのに」などとおっしゃいはじめて、ご自身も、お掻き合わせになる御琴に音につけても、涙で袖をお濡らしになった。御簾の内では宮(女三の宮)が耳を傾けてお聞きになっていらっしゃるだろうと、一方のお心ではお思いになるが、故権大納言(柏木)は、まず第一に、かの人が生きていれば恋しく思われるのだが、それは帝なども同じなのであった。(源氏)「今宵は鈴虫の宴として夜通し遊び明かしましょう」とお思いになりまたそうおっしゃる。

御盃がニ周ほど周った時に、冷泉院からご連絡がある。帝の御前の管弦のお遊びが中止になったのを残念がって、左大弁、式部大輔、ほかの人々を引き連れて詩文に堪能な方々が冷泉院に参っているので、大将(夕霧)などは六条院においででいらっしゃる、とお耳にされてのことであった。

(冷泉院)「雲の上を……

(退位した私のような者の住みかにも、秋の夜の月は、忘れることなく光をとどけてくれます。貴方は訪れてくれませんが…)

どうせなら風情を知る方と分かち合いたいですから」と申されるので、(源氏)「私などはたいして窮屈な身のほどでもないのですが、院(冷泉院)が今はのんびりと暮らしていらっしゃるところにお参りすることもそうそうないのですが、それをご不満にお思いになられるあまり、ご連絡いただいたのが、かたじけないです」とおっしゃって、急なようではあるが参上なさろうとする。

(源氏)月かげは……

(院の御威光は昔のままと見えますが、おすかがいできませんのは私のほうがすっかり変わり果ててしまったからでございます)

別段よい出来ではないようだが、ただ昔や今のことを次々とお思いになる、そのお気持ちのままにお詠みになったのだろう。御使に盃をお差しになって、禄は二つとない良い物をお与えになる。

語句

■十五夜 八月十五夜。中秋の名月。 ■念誦 仏名や経文を唱えること。 ■閼伽杯 閼伽の水を注ぐための杯。 ■さま変わりたる営み 仏事。 ■うち誦じたまふ 女三の宮と女房たちが唱える大呪と和した。 ■そそきあへる 「そそく」は忙しく動き回る。 ■阿弥陀の大呪 阿弥陀如来根本陀羅尼のこと。陀羅尼はサンスクリット語の呪文。 ■げに 前の源氏の言葉を受ける。 ■鈴虫 「鈴虫」は今の松虫、「松虫」は今の鈴虫というのが定説だが、根拠不明。 ■中宮の 天徳三年(959)八月二十三日、斎宮女御徽子邸で前栽合が開かれ虫の歌が詠まれたことによるか。 ■名には違ひて 長寿である「松」を名としているわりには松虫の寿命は短いことをいう。 ■尋ねとり 秋好中宮が人を遣わせて虫を採集させた。 ■隔て心ある 松虫が六条院では鳴かないことをいう。 ■おほかたの… 「秋」に「飽き」をかける。「振り」は「すず虫」の「鈴」の縁語。野に虫を放った源氏の配慮に感謝しつつ、一方で源氏に飽き(秋)られていることを実感している。 ■思ひのほかなる 前の歌で女三の宮が「飽きられている」といった内容が。 ■こころもて… 「草のやどり」は六条院を、「すず虫の声」は女三の宮の声をしめす。「ふり」は「すず虫」の「鈴」の縁語。 ■琴 源氏はかつて朱雀院の御賀にさきがけて、女三の宮に琴を教えた(【若菜下 13】)。女三の宮は六条院で他の方々と琴を披露した(【若菜下 17】)。朱雀院の五十の賀にはついに披露することができなかった。今、源氏の胸中にそういった思い出が重なっていよう。 ■御心になほ心入れ 女三の宮は出家の身であることも忘れ、源氏の弾く琴の音に思わず聞き入る。 ■世の中さまざまに 朧月夜・朝顔の姫君・女三の宮などの出家をいう。 ■兵部卿宮 螢兵部卿宮。源氏の弟。風流人。 ■大将の君 夕霧。兵部卿宮とは別に来たのである。 ■こなたにおはす 琴の音のすばらしさに人々は源氏がそこで弾いているとわかった。 ■つれづれにて 源氏は准太上天皇。政務がなくて暇。 ■久しく絶えにたる 六条院の女楽以来、紫の上の病気や女三の宮の密通事件などがあり、源氏は琴を手に取る暇がなかった。 ■月の宴 中秋の名月を愛でる宴は中国から伝わった。嵯峨大覚寺で嵯峨上皇が中秋の宴を開いたのが有名。 ■とまりて なぜ中止になったかは不明。 ■虫の音の定め 前の鈴虫と松虫の優劣論のつづき。 ■御土器ニわたりばかり 当時の酒宴は一つの盃を回し飲みする。三わたりが普通。 ■冷泉院 源氏の実子。読み方は「れせいゐん」「れいせいゐん」など。 ■左大弁 柏木の弟。後の紅梅大臣。 ■式部大輔 ここにのみ登場。素性不明。 ■さるべきかぎり 詩文に長けた方々。 ■雲の上 仙洞(上皇)御所のことを歌う。源氏が訪問してくれないことへの恨み言をこめる。 ■同じくは 「月のおもろしかりける夜、桜の花を見侍りて/あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知られむ人に見せばや」(後撰・春下 源信明)。 ■今はのどやかに 前に「院の帝、思ししめしやうに、御幸もところせからで渡りたまひなどしつつ、かくてしも、げにめでたくあらまほしき御ありさまなり」(【若菜下 07】)とあった。 ■おどろかさせたまへる 使者を届けたこと。 ■にはかなるやうなれど 准太上天皇という立場上、源氏は重々しく振る舞わねばならない。 ■月かげは… 「月かげ」は冷泉院。院の栄華は変わらないの意。参考「こころみにほかの月をもみてしがなわが宿からのあはれなるかと」(詞花・雑下 花山院)。 ■異なること… 以下「なめり」まで語り手の批評。

朗読・解説:左大臣光永