【鈴虫 07】源氏ら、冷泉院へ参る 詩歌の御遊び
人々の御車|次第《しだい》のままにひきなほし、御前の人々立ちこみて、静かなりつる御遊び紛《まぎ》れて、出でたまひぬ。院の御車に、親王《みこ》奉り、大将、左衛門督、藤宰相《さうさいしやう》など、おはしけるかぎりみな参りたまふ。直衣《なほし》にて軽《かろ》らかなる御|装《よそ》ひどもなれば、下襲《したがさね》ばかり奉り加へて、月ややさしあがり、更《ふ》けぬる空おもしろきに、若き人々、笛などわざとなく吹かせたまひなどして、忍びたる御参りのさまなり。うるはしかるべきをりふしは、ところせくよだけき儀式を尽くしてかたみに御覧ぜられたまひ、また、いにしへのただ人ざまに思しかへりて、今宵は軽々《かるがる》しきやうに、ふとかく参りたまへれば、いたう驚き待ち喜びきこえたまふ。ねびととのひたまへる御|容貌《かたち》、いよいよ異《こと》ものならず。いみじき御盛りの世を御心と思し棄てて、静かなる御ありさまにあはれ少なからず。その夜の歌ども、唐《から》のも倭《やまと》のも、心ばへ深うおもしろくのみなん。例の言《こと》足らぬ片はしは、まねぶもかたはらいたくてなむ。明け方に文《ふみ》など講《かう》じて、とく人々まかでたまふ。
現代語訳
人々の御車を序列に従って引き直し、御前駆の人々が混雑して、静かであった管弦の御遊びも打ち切りになって、ご出発になった。院(源氏)の御車に、親王(兵部卿宮)がご同車なさり、大将(夕霧)、左衛門督、藤宰相など、いらっしゃるかぎりみな冷泉院へお参りになる。各人、直衣姿でくつろいだお装いなので、下襲だけをそこに加えてお召しになって、月がややさしあがり、夜がすっかり更けた空も風情がある中、若い人々が、笛などをそれとなくお吹きになったりなどして、目立たない御参りのようすである。
院(源氏)は、きちんと正装すべき時は、周囲を圧倒する、威厳ある儀式を万事ととのえて、お互いにご対面になられるのだが、また一方で、若い頃の、何者でもなかった頃のようなお気持ちになられて、今宵は気軽な感じで、ふらりとこうしてお参りになるので、院(冷泉院)はたいそう驚き迎えてお喜び申される。院(冷泉院)の立派にご成熟なさっている御顔立ちは、いよいよ父院(源氏)とそっくりである。たいそうご繁栄していらした治世を御自らお思い立ちになられてご退位されて、静かにおすまいのご様子は、しみじみ胸打たれるものが多い。その夜によまれた数々の歌は、漢詩も和歌も、趣向が深くてとてもおもしろいものであった。例によって言葉足らずの一端だけでは、伝えるのも申し訳ないので…。明け方に漢詩などのご披講があって、さっさと人々はご退出された。
語句
■ひきなほし 牛車の順番をなおして引き直す。 ■左衛門督 柏木の弟。 ■藤宰相 柏木の弟か。 ■直衣 直衣布袴《のうしほうこ》姿。 ■下襲 束帯のとき半臂の下に着る。後ろに裾を長く出して高欄にかける。 ■月ややさしあがり 前に「月さし出でて」とあった。 ■忍びたる 前駆が声を立てずに。 ■うるはしかるべきをりは… 以下、公私をわきまえた源氏の立ち振舞を称賛。 ■いにしへのただ人ざまに 若い頃、臣下の身分であった頃のように。 ■いたう驚き 冷泉院は源氏が実の父親であることを知っているが、立場上、父子としての交わりをすることができない。源氏と親しく対面したいというのが、退位の理由でもあった(【鈴虫 09】)。 ■ねびととのひたまへる 冷泉院、三十ニ歳。 ■異ものならず 源氏と冷泉院の容貌が似ていることはこれまで繰り返し語られてきた(【紅葉賀 09】・【同 17】・【少女 29】)。 ■いみじき御さかりの世を御心と思し棄てて 「心やすく思ふ人々にも対面し、私ざまに心をやりて、のどかに過ぐさまほしく」(【若菜下 07】)というのが、冷泉院が退位閑居した動機であった。 ■その夜の歌ども 冷泉院にて詩歌の宴が開かれた。 ■例の言足らぬ… 以下、草子文。女は漢詩のことはわからないし、語るべきでないという配慮から、こう記した。 ■文など講じて 漢詩を披講して。披講は詩歌を声を上げてよみあげること。