【若菜下 07】年月重なり冷泉帝譲位、政界の新人事

はかなくて、年月も重なりて、内裏《うち》の帝御位に即《つ》かせたまひて十八年にならせたまひぬ。「次の君とならせたまふべき皇子《みこ》おはしまさず、もののはえなきに、世の中はかなくおぼゆるを、心やすく思ふ人々にも対面《たいめん》し、私《わたくし》ざまに心をやりて、のどかに過ぐさまほしくなむ」と、年ごろ思しのたまはせつるを、日ごろいと重く悩ませたまふことありて、にはかにおりゐさせたまひぬ。世の人、飽かず盛りの御世を、かくのがれたまふこと、と惜しみ嘆けど、春宮もおとなびさせたまひにたれば、うち継ぎて、世の中の政《まつりごと》などことに変るけぢめもなかりけり。

太政大臣《おほきおとど》、致仕《ちじ》の表《へう》奉りて、籠《こも》りゐたまひぬ。「世の中の常なきにより、かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠《かうぶり》を挂《か》けむ、何か惜しからん」と思しのたまひて、左大将、右大臣になりたまひてぞ、世の中の政《まつりごと》仕うまつりたまひける。女御の君は、かかる御世をも待ちつけたまはで亡《う》せたまひにければ、限りある御位を得たまへれど、物の背後《うしろ》の心地してかひなかりけり。六条の女御の御腹の一《いち》の宮、坊《ばう》にゐたまひぬ。さるべきこととかねて思ひしかど、さしあたりてはなほめでたく、目おどろかるるわざなりけり。右大将の君、大納言になりたまひぬ。いよいよあらまほしき御仲らひなり。

六条院は、おりゐたまひぬる冷泉院《れせいゐん》の御|嗣《つぎ》おはしまさぬを飽かず御心の中《うち》に思す。同じ筋《すぢ》なれど、思ひなやましき御事なくて過ぐしたまへるばかりに、罪は隠れて、末の世まではえ伝ふまじかりける御|宿世《すくせ》、口惜しくさうざうしく思せど、人にのたまひあはせぬ事なればいぶせくなむ。

春宮《とうぐう》の女御は、御子たちあまた数そひたまひて、いとど御おぼえ並びなし。源氏の、うちつづき后《きさき》にゐたまふべきことを、世人《よひと》飽かず思へるにつけても、冷泉院の后は、ゆゑなくて、あながちにかくしおきたまへる御心を思すに、いよいよ六条院の御ことを、年月《としつき》にそへて、限りなく思ひきこえたまへり。

院の帝、思しめししやうに、御幸《みゆき》もところせからで渡りたまひなどしつつ、かくてしも、げにめでたくあらまほしき御ありさまなり。

現代語訳

何ということもなく年月も重なって、今の帝が御位につかれてから十八年におなりになった。(冷泉帝)「次の君となられるべき皇子がおられず、張り合いがない上、世の中をつまらないものと思うようになったので、気楽に、親しく思う人々にも逢い、公を離れた私人として気ままにふるまって、のんびり過ごしたいと思って」と、長年そう思いになり仰せになっておられたのだが、ここ数日ひどく病を患われたことがあって、急に御位をお降りになられた。世間の人は、まだまだ盛りの御世を、こうしてお退きになることよ、と惜しみ嘆くが、東宮もご成人あそばしていらっしゃるので、すぐ御位をお継ぎになられて、世の中の政などは別段変わることもないのだった。

太政大臣は辞表を奉って、引きこもってしまわれた。(到仕の大臣)「世の中は無常であるによって、畏れ多い帝の君も位をお去りになられた。それなのに、年老いた身で冠をかけるのに、何の惜しいことがあろうか」とお思いになり、またそうおっしゃるので、左大将(髭黒)が、右大臣におなりになって、世の中の政をお取り仕切りになられるのだった。女御の君(帝の実母、承香殿女御)は、わが子が御即位なさるのをお見届けなさらずにお亡くなりになられたので、最高の御位をお授かりにはなられたが、日の当たらぬ物陰のような感じがして、かいのないことであった。六条の女御(明石の女御)の御腹の一の宮は、東宮にお立ちになられた。こうなるだろうと、前々から予想のついていたことだが、目の当たりに実現すると、やはりすばらしく、目も覚めるようなことなのであった。右大将の君(夕霧)は、大納言になられた。右大臣(髭黒)とは、いよいよ申し分のない御間柄である。

六条院(源氏)は、ご退位なさった冷泉院に御跡継がいらっしゃらないことを、物足りないと御心の中にお思いになる。今の東宮も同じく院(源氏)の御血筋ではあるが、これまで冷泉院が、思い悩んでいらした御事も、なんでもないように表に出さずにお過ごしになっておられただけに、密通の罪は世間に知られずに、そのかわり、帝の御位を後々の世まで伝えることができなかった、その御宿運を、六条院(源氏)は、残念に、物足りなくお思いになるが、人にご相談になることもできない御事なので、気が晴れない思いでいらっしゃる。

東宮の女御(明石の女御)は、その後、御子たちが多くお生まれになられて、ますますご寵愛が並びない。源氏が立て続けに后の位におつきになりそうなのを、世間の人が不満に思っていることにつけても、冷泉院の后(秋好中宮)は、六条院(源氏)が、これといった理由もなく、しいてご自分を中宮として立ててくださった御心をお思いになるにつけ、いよいよ六条院の御ことを、年月の重なるにつれて、どこまでもありがたいと、存じ上げなさる。

院の帝(冷泉院)は、お考えになっておられたように、御幸なども堅苦しくないさまにご外出などなさっては、こうして、まことに素晴らしく理想的なご様子である。

語句

■内裏の帝 冷泉帝は十一歳で即位。その時源氏は二十九歳(【澪標 03】)。それから十八年が経過し、冷泉帝二十八歳、源氏四十六歳。 ■次の君とならせたまふべき皇子おはしまさず 冷泉帝には皇子も皇女もいない。 ■春宮 朱雀院の皇子。母は承香殿女御。この時二十歳。髭黒は伯父。 ■うち継ぎて 以後、物語の終幕までこの帝が「今上帝」となる。 ■ことに変わるけぢめもなし 権勢関係が入れ替わることはなかった。 ■世の中の常なきにより 前の「世の中はかなくおぼゆるを」に対応。 ■冠を挂けむ 官職を退くの意。後漢の逢萌《ほうぼう》が、王莽に仕えることを嫌い、冠を城門にかけ、遼東に逃れた故事による(後漢書・逢萌伝)。 ■左大将、右大臣になりたまひて 髭黒が帝の唯一の外戚として関白となり、帝を補佐する。髭黒がやがてこのような地位にのぼることは前前から語られていた(【藤袴 06】【若菜下 05】)。 ■女御の君 帝の実母、承香殿女御。薨去についてはここで初めて明かされる。 ■限りある御位 国母として皇后の位を追贈された。 ■物の背後の心地 最高の栄誉を生前に見ることができなかった無念さ。 ■六条の女御 明石の女御。帝の后。東宮の母。 ■一の宮 第一皇子。この時六歳。 ■さるべきこととかねて思ひしかど この御子誕生の時、「男御子にさへおはすれば、限りなく思すさまにて、大殿も御心落ちゐたまひぬ」(【若菜上 26】)とあった。 ■冷泉院 ここで初めて使われる呼称。 ■御嗣おはしまさぬ 前に「次の君とならせたまふべき皇子おはしまさず」とあった。 ■同じ筋なれど 今上帝も、冷泉帝とおなじく源氏の血筋であるが。 ■思ひなやましき御ことなくて過ぐしたまへる 冷泉帝は源氏が自分の実父であることを知りながら、世間にはばかって何事もないふりをしていた。 ■末の世まではえ伝ふまじかりける 冷泉帝が出生の秘密について何でもないふりをしていたために源氏の密通の罪は隠されたが、それと引き換えに、冷泉帝は御世継ぎに恵まれなかった。 ■春宮の女御 明石の女御。東宮の御母である女御の意。 ■源氏の、うちつづき后に 藤壺、秋好と皇族出身の后がつづき、次には源氏の娘である明石女御が后に立とうとしている。 ■冷泉院の后 秋好中宮。皇子を産まなかったにもかかわらず中宮に立てられたことを「あながち」という。 ■院の帝 上皇。冷泉院。 ■思しめししやうに 冷泉院は前に「心やすく思ふ人々にも対面し、私ざまに心をやりて、のどかに過ぐさまほしくなむ」と言っていた。

朗読・解説:左大臣光永

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