【鈴虫 08】源氏、秋好中宮の道心を諫める
六条院は、中宮の御方に渡りたまひて、御物語など聞こえたまふ。「今はかう静かなる御住まひにしばしばも参りぬべく、何とはなけれど、過ぐる齢《よはひ》にそへて忘れぬ昔の御物語など承《うけたまは》り聞こえまほしう思ひたまふるに、何にもつかぬ身のありさまにて、さすがにうひうひしくところせくもはべりてなん。我より後《のち》の人々に、かたがたにつけて後《おく》れゆく心地しはべるも、いと常なき世の心細さののどめ難《がた》うおぼえはべれば、世離れたる住まひにもやとやうやう思ひ立ちぬるを、残りの人々のものはかなからん、ただよはしたまふなと、さきざきも聞こえつけし心|違《たが》へず思しとどめて、ものせさせたまへ」など、まめやかなるさまに聞こえさせたまふ。
例の、いと若うおほどかなる御けはひにて、「九重《ここのへ》の隔て深うはべりし年ごろよりも、おぼつかなさのまさるやうに思ひたまへらるるありさまを、いと思ひの外《ほか》にむつかしうて、皆人《みなひと》の背《そむ》きゆく世を厭《いと》はしう思ひなることもはべりながら、その心の中《うち》を聞こえさせ承らねば、何ごともまづ頼もしき蔭《かげ》には聞こえさせならひて、いぶせくはべる」と聞こえたまふ。「げに、おほやけざまにては、限りあるをりふしの御|里居《さとゐ》もいとよう待ちつけきこえさせしを、今は何ごとにつけてかは、御心にまかせさせたまふ御うつろひもはべらむ。定めなき世といひながらも、さして厭はしき事なき人の、さはやかに背《そむ》き離るるもあり難う、心やすかるべきほどにつけてだに、おのづから思ひかかづらふ絆《ほだし》のみはべるを。などか。その人まねに競《きほ》ふ御|道心《だうしん》は、かへりてひがひがしう推《お》しはかりきこえさする人もこそはべれ。かけてもいとあるまじき御事になむ」と聞こえたまふを、深うも汲みはかりたまはぬなめりかしと、つらう思ひきこえたまふ。
御息所《みやすどころ》の、御身の苦しうなりたまふらむありさま、いかなる煙《けぶり》の中にまどひたまふらん、亡き影にても、人にうとまれたてまつりたまふ御名のりなどの出で来《き》けること、かの院にはいみじう隠したまひけるを、おのづから人の口さがなくて伝へ聞こしめしける後《のち》、いと悲しういみじくて、なべての世の厭《いと》はしく思しなりて、仮《かり》にても、かののたまひけんありさまのくはしう聞かまほしきを、まほにはえうち出できこえたまはで、ただ、「亡き人の御ありさまの罪|軽《かろ》からぬさまにほの聞くことのはべりしを、さるしるしあらはならでも、推しはかりつべきことにはべりけれど、後《おく》れしほどのあはればかりを忘れぬことにて、物のあなた思うたまへやらざりけるがものはかなさを。いかで、よう言ひ聞かせん人の勧めをも聞きはべりて、みづからだにかの炎をも冷ましはべりにしがなと、やうやうつもるになむ、思ひ知らるる事もありける」など、かすめつつぞのたまふ。
げにさも思しぬべきこととあはれに見たてまつりたまうて、「その炎なむ、誰《たれ》ものがるまじきことと知りながら、朝露のかかれるほどは思ひ棄てはべらぬになむ。目蓮《もくれん》が、仏に近き聖《ひじり》の身にてたちまちに救ひけむ例《ためし》にも、え継《つ》がせたまはざらむものから、玉の簪《かむざし》棄てさせたまはんも、この世には恨み残るやうなるわざなり。やうやうさる御心ざしをしめたまひて、かの御|煙《けぶり》はるくべきことをせさせたまへ。しか思ひたまふることはべりながら、もの騒がしきやうに、静かなる本意もなきやうなるありさまに、明け暮らしはべりつつ、みづからの勤めにそへて、いま静かにと思ひたまふるも、げにこそ心幼きことなれ」など、世の中なべてはかなく厭《いと》ひ棄てまほしきことを聞こえかはしたまへど、なほやつしにくき御身のありさまどもなり。
現代語訳
六条院(源氏)は、中宮(秋好中宮)の御方においでになって、お話など申し上げなさる。(源氏)「今はこうして静かな御住まいにお暮らしなのでから、たびたび参って、とくにこれといった事でなくても、年が経つにつれていよいよ忘れられない昔の思い出話など、おうかがいし、また私のほうからも申し上げたく存じておりますが、私はどっちつかずの身のありさまですから、やはり気後れがし、窮屈でもございまして…。私より年下の方々に、あれやこれやで後れを取っていく気がいたしますのも、ひどく無常なこの世の中の心細さというものは、なかなか慰められないと感じておりますので、私も俗世を離れた住まいに暮らしたいとだんだんと思い立つようになっておりましたが、それでは後に残される人々が頼りないありさまになりましょうから、その者たちが路頭に迷うことがないようにしてあげてくださいと、先々のことも考えてお願い申し上げた心を違えず、御心にとどめて、お世話をしてあげてください」など、まじめな様子で申し上げられる。
中宮(秋好中宮)は、いつものように、まことに若くおおらかなご様子で、(秋好中宮)「九重の宮中深くに貴方と隔てられておりました長年の間よりも、いっそうお目にかかりにくくなったうに思われます今の身の上が、ひどく心外でつまらなく存ぜられますので、他の人が皆、背いてゆかれるこの現世を、私も厭わしく思うようになったということもございますが、その心の内を貴方に申し上げたり、ご意見をうかがったりしておりませんので、万事、貴方のことをまっさきに頼みにする庇護者としていつも存じ上げきたのですから、気分が晴れないことでございます」と申し上げなさる。(源氏)「おっしゃるとおり、院(冷泉院)のご在中は、何かの折ごとのお里下がりも、決まりがあるとはいいながら、それでもよくお迎え申し上げたものでしたのに、院がご退位された今となっては、これという理由もなしに、御心にまかせてのお出ましもおできになりませんね。無常な世の中とはいっても、それほど辛いこともない人が、あっさりと俗世を棄てて出家するわけにもなかなかまいりませんし、気楽な身分の者でさえ、おのづと心にかかる親類縁者はございましょうに。どうしてそのようなことをおっしゃいますか。その、人まねをして張り合うような御道心は、かえって悪いこととして邪推申し上げる人もございましょう。それにつけてもひどくとんでもない御事でございます」と申し上げなさるのを、中宮(秋好中宮)は、院(源氏)は、そう深い意図をご理解いただけていないのだろうなと、恨めしくお思い申し上げなさる。
御息所(六条御息所)が、あの世で苦しい目にあっておいでらしいご様子を、どんな地獄の煙の中をさまよっておいでなのだろうか、お亡くなりになった後々までも、人に疎まれ申す怨霊となって御名のりなどが出て来たことは、かの六条院(源氏)はひたすらお隠しになっていらっしゃるが、自然と口さがない人から伝えられてお耳にされた後は、ひどく悲しくつらく、世の中すべてが厭わしくお思いになられて、仮に人の口を借りて言ったことだとしても、そのおっしゃった様子を詳しくお聞きしたいと思っていらっしゃるが、はっきりとは口に出して申し上げることがおできにならず、ただ、(秋好中宮)「亡き母君のご様子が罪軽からぬようすであったと、かすかに聞くことがございましたが、そうした証拠がはっきりしているのではないとしても、気づいていなければならないことでしたのに、母に先立たれた時の悲しさだけを忘れずに、母の来世のことまで思い至りませんでしたことの、なんとあさはかであったったこと。どうにかして、よく導いてくれる人の勧めをも聴きまして、せめて私だけでも、母君の御身を焼く地獄の業火をお冷ましいたしたいものと、しだいにその気持ちがつのってまいりましたので、気持ちが固まったということもあったのです」などと、出家したい気持ちを遠回しにほのめかしながらおっしゃる。
なるほどそのようにお思いであったのは無理からぬことと、不憫に拝見なさって、(源氏)「その炎こそ、誰もが逃れられないことと知りながら、朝露が草木にかかっている間ほどのはかない一生の間は、その炎の原因を、捨てられないものでございます。目連尊者が、仏に近い聖の身で、あっという間に母君を地獄の業火から救った例にも、まねすることはおできになられませんし、中宮としての玉の簪をお捨てになられたとしても、母御息所の御魂が救えないではこの世に恨みが残るようなことです。そうしたお気持ちで御心しっかりと持ち続けて、じょじょにかの地獄の業火が晴れていくような仏事の行いをなさいませ。かくいう私も、貴女と同じく、亡き御息所さまのためにと思ってはおりますが、なんとなく落ち着かない有様で、静かに仏道に励もうという本望も達せられないような体たらくで明け暮れ過ごしておりまして、自分自身のための勤めに加えて、もう少ししたら心静かに御息所さまのためのご供養もしたい、と思っておりましたのは、なるほど浅はかな考えでございました」など、世の中全般がはかなく感じられ、出家したいことをお話し合いになっていらっしゃるが、それでもやはりご出家姿に御身をやつすことは難しいお二人の御身のありさまなのである。
語句
■今は冷泉院ご退位後の今は。 ■静かなる御住まひ仙洞御所。秋好中宮は冷泉院とともにそこで静かに暮らしている。 ■過ぐる齢にそへて…源氏五十歳。【若菜下 38】でも源氏は同種の述懐をしている。 ■何にもつかぬ身源氏は准太上天皇。上皇でもなく臣下でもない中途半端な身分であると、謙遜していう。 ■さすがに「しばしばも参」ったとしても。 ■うひうひしくところせく太上天皇として参上することは「うひうひしく」、臣下として参上することは「ところせく」思う。 ■はべりてなん下に「参りはべらぬ」を補い読む。 ■かたがたにつけて朝顔の姫君、朧月夜、女三の宮は出家し柏木は死んで。 ■のどめ難う「のどむ」は落ち着かせる。静める。慰める。 ■世離れたる住まひにもや出家したいという意志。 ■残りの人々後に残される人々。紫の上、明石の君、花散里、夕霧、明石の女御など。 ■ただよはしたまふな源氏は、後に残される人々が路頭に迷わないよう面倒を見てやってほしいと秋好中宮に依頼した。 ■九重の隔て深うはべりし年ごろ冷泉院在位中。この間、秋好中宮はしばしば里下がりをして源氏と対面した。冷泉院譲位後は「ただ人の仲のやうに並びおはします」(【鈴虫 09】)というありさまで、滅多に外出できなくなった。 ■おぼつかなさ源氏に滅多に対面できないという状況。 ■思いの外源氏に逢えないことが。 ■皆人の朝顔の姫君、朧月夜、女三の宮。「みな人のそむきはてにし世の中にふるのやしろの身をいかにせむ」(【斎宮女御集】)。 ■いぶせくはべる源氏が出家に反対するかもしれないから。 ■げに秋好中宮の「九重の隔て深ふはべりし年ごろよりも、おぼつかなさのまさるやうに思ひたまへらるる」を受ける。 ■おほやけざま在位中の天皇の中宮という立場。 ■今は冷泉院退位後の今は。 ■御うつろひ六条院への里下がり。 ■などか下に「さはのたまはむ」などを補い読む。 ■その人まねに競ふ中宮が「皆人の背きゆく世を…」といったのに対応。 ■御息所六条御息所。秋好中宮の母。 ■御身の苦しうなりたまふ地獄で。 ■煙の中に地獄の業火の中に。 ■亡き影にても亡くなって影となってしまってからも。亡くなった後までも。 ■人にうとまれたてまつり物の怪となってあらわれ、紫の上を死の際まで追い詰めたり(【若菜下 28】)、女三の宮を出家させたり(【柏木 06】)した。 ■仮にても物の怪は憑坐の口を通して語る。そんな仮初の言葉であっても。 ■さるしるしあらはならでも亡き母の罪が軽くないという証拠がはっきりしていなくても。つまり、物の怪になってあらわれていなくても。 ■後れしほどのあはれ母六条御息所が亡くなったときの中宮(当時は女御)の意気消沈ぶりは大変なものだった(【澪標 16】)。 ■物のあなた六条御息所の来世のこと。 ■いかで「冷ましはべりしがな」にかかる。 ■よう言ひ聞かせん人僧侶。 ■かの炎地獄の業火の炎。六条御息所の死霊が「修法読経とののしることも、身には苦しくわびしき炎とのみまつはれて」(【若菜下 28】)と言っていた。 ■つもるになむ年齢が積もるととる説も。 ■思ひ知らるる事もありける出家の意志が固まったことをいう。 ■朝露のかかれるほど朝露が草木にかかっている間。人生の短さはかなさをいう。「朝露ニ名利ヲ貪リ夕陽ニ子孫ヲ憂フ」(白氏文集巻ニ・秦中吟・不致仕)。 ■思ひ棄てはべらぬこの世を。 ■目蓮釈迦の弟子、目蓮尊者。神通力があったという。木蓮が神通力で亡くなった母を見ると、餓鬼道(大焦熱地獄とも)で苦しんでいたので、仏に母の救済を頼んだという逸話(『仏説盂蘭盆経』『木蓮救母生天経』)。 ■仏に近き聖羅漢。最上位の修行者。 ■え継がせたまはざらむ目蓮尊者だから母を救えたので、秋好中宮では無理だの意。 ■玉の簪棄てさせたまはんも落飾して后の位を棄てても。 ■この世には恨み残る母御息所の魂を救うことができないから。 ■さる御心ざし「さ」は前の「いかでよう言ひ聞かせん人の勧めをも聞きはべりて、みづからだにかの炎をも冷ましはべりにしがな」をさす。 ■かの御煙地獄の業火の煙。源氏のいう趣旨は、出家しなくても供養はできるの意。 ■しか思ひたまふる…自分も六条御息所の追善供養をしようとしたの意。 ■静かなる本意静かに仏道に励もうという本望。 ■げにこそ心幼きことなれ「げに」は秋好中宮の言葉「物のあなた思うたまへやらざりけるがものはかなさを」を受ける。 ■御身のありさまども源氏と秋好中宮の御身のありさま。