【幻 10】五月雨のころ、夕霧と故人を偲び昔を語らう

五月雨《さみだれ》はいとどながめ暮らしたまふより外《ほか》のことなくさうざうしきに、十|余《よ》日の月はなやかにさし出でたる雲間のめづらしきに、大将の君|御前《おまへ》にさぶらひたまふ。花橘《はなたちばな》の月影にいときはやかに見ゆるかをりも、追風なつかしければ、「千代《ちよ》をならせる声」もせなん、と待たるるほどに、にはかに立ち出づるむら雲のけしきいとあやにくにて、おどろおどうしう降り来る雨に添ひて、さと吹く風に燈籠《とうろ》も吹きまどはして、空暗き心地するに、「窓をうつ声」など、めづらしからぬ古言《ふること》を、うち誦《ず》じたまへるも、をりからにや、妹《いも》が垣根《かきね》におとなはせまほしき御声なり。「独《ひと》り住《ず》みは、ことに変る事なけれど、あやしうさうざうしくこそありけれ。深き山住みせんにも、かくて身を馴《な》らはしたらむは、こよなう心澄みぬべきわざなりけり」などのたまひて、「女房、ここにくだものなどまゐらせよ。男《をのこ》ども召さんもことごとしきほどなり」などのたまふ。

心には、ただ空をながめたまふ御気色の、尽きせず心苦しければ、かくのみ思し紛れずは、御行ひにも心澄ましたまはんこと難《かた》くや、と見たてまつりたまふ。ほのかに見し御|面影《おもかげ》だに忘れがたし、ましてことわりぞかし、と思ひゐたまへり。

「昨日今日と思ひたまふるほどに、御はてもやうやう近うなりはべりにけり。いかやうにかおきて思しめすらむ」と申したまへば、「何ばかり、世の常ならぬことをかはものせん。かの、心ざしおかれたる極楽《ごくらく》の曼荼羅《まんだら》など、このたびなん供養《くやう》ずべき。経などもあまたありけるを、なにがし僧都《そうづ》みなその心くはしく聞きおきたなれば、また加へてすべき事どもも、かの僧都の言はむに従ひてなむものすべき」などのたまふ。「かやうの事、もとよりとりたてて思しおきてけるは、うしろやすきわざなれど、この世にはかりそめの御|契《ちぎ》りなりけりと見たまふには、形見といふばかりとどめきこえたまへる人だにものしたまはぬこそ、口惜しうはべりけれ」と申したまへば、「それは、かりそめならず命長き人々にも、さやうなることのおほかたすくなかりける。みづからの口惜しさにこそ。そこにこそは、門《かど》はひろげたまはめ」などのたまふ。

何ごとにつけても、忍びがたき御心弱さのつつましくて、過ぎにしこといたうものたまひ出でぬに、待たれつる郭公《ほととぎす》のほのかにうち鳴きたるも、「いかに知りてか」と、聞く人ただならず。

なき人をしのぶる宵のむら雨《さめ》に濡《ぬ》れてや来つる山ほととぎす

とて、いとど空をながめたまふ。大将、

ほととぎす君につてなんふるさとの花橘は今ぞさかりと

女房など多く言ひ集めたれどとどめつ。大将の君は、やがて御|宿直《とのゐ》にさぶらひたまふ。さびしき御|独《ひと》り寝の心苦しければ、時々かやうにさぶらひたまふに、おはせし世はいとけ遠かりし御座のあたりの、いたうもたち離れぬなどにつけても、思ひ出でらるることども多かり。

現代語訳

五月雨のころは、それまでにもまして、ぼんやり物思いに沈んでお過ごしになる他やる事もなくて、ものさびしく思っていると、雲間に珍しく十日すぎの月がはなやかに出たところに、大将の君(夕霧)が院(源氏)の御前においでになった。花橘が月の光の中、いちだんと際立って見えるその香りも、風に乗って心惹かれる感じなので、「千代をならせる声」がするとよいが、と待たれるうちに、急に出てきたむら雲の様子がひどくあいにくのことで、激しく降ってきた雨に加えて、さっと吹く風に灯籠の火も風にもまれて小さくなって、空がまっ暗な感じになるとき、(源氏)「窓をうつ声」など、めずらしくもない古い文句を、口ずさまれるのも、折になかっているからだろうか、「妹《いも》が垣根で聞かせてやりたい御声なのである。(源氏)「一人住みは、べつだん変わる事はないが、妙に寂しいですね。深い山に住むにも、こうして体を慣らしておけば、たいそう澄みきった心になることになるだろう」などおっしゃって、(源氏)「女房や、ここにくだものなどご用意なさい。男どもを召すのも大げさな時間ですから」などおっしゃる。

院(源氏)は心の内では、ただ空を眺めていらっしゃるようなご様子で、大将(夕霧)はそれが心苦しくてたまらないので、「こうまでご気分が紛れないでは、仏事の御行いにも心を澄まして集中なさることは難しかろう」とお思いになる。ほんの少し上(紫の上)を見たその御面影さえも忘れがたいのに、まして父(源氏)は上(紫の上)といつもご一緒にいらしたのだから、深く悲しまれるのは当然のことだ、と思っていらっしゃる。

(夕霧)「お亡くなりになったのも昨日今日のことかと思っておりますうちに、御一周忌もしだいに近くなってまいりました。どのようになさろうと思っていらっしゃるのでしょう」と申し上げられると、(源氏)「何ほど、普通でないことをする必要があろう。故人が発願して造られた極楽の曼荼羅など、このたびは特に供養すべきだろう。経なども多くあったのだが、なにがし僧都がみなその心を詳しく聞いておいたそうなので、それに加えて行うべきさまざまの事も、その僧都が言うことに従って行うべきです」などおっしゃる。(夕霧)「上(紫の上)がそうした事を、前々からわざわざ心がけておおきになったのは心強いことですが、今生の世においてはかりそめのご縁しかなかったのだとで拝見しますにつけ、形見というほどの、この世に残していかれた人さえいらっしゃらなかったのが、実に残念でございます」と申されると、(源氏)「子のいないことについては、この世にかりそめならぬ縁があって長生きしている人々についても、私は子をなしたことは、大体において少なかったのです。これは私自身について残念に思うことです。貴方こそは、わが家の門をお広げください」などおっしゃる。

院(源氏)は、何事につけても、こらえきれない御気の弱さから遠慮がちになられて、過去のことをそれほどお話に出されない中、待たれていたほととぎすが少し鳴いたのにつけても、「いかに知りてか」と、聞く人の心はかき乱される。

(源氏)なき人を……

(亡き人を偲んでいる宵の通り雨に、濡れてやって来たのか、山ほととぎすは)

といって、いっそう空をぼんやり眺めていらっしゃる。大将、

(夕霧)ほととぎす……

(ほととぎすよ、天上にいらっしゃるあの御方(紫の上)に言伝てほしいのだ。昔のおすまいの花橘は今が盛りですと)

女房なども多く歌を読んだがここらで筆をおく。大将の君(夕霧)は、そのまま院(源氏)の御宿直をおつとめになる。院は寂しい独り寝が心苦しいので、大将が時々こうしてお仕えしていらっしゃるのだが、故人(紫の上)がご存命の頃はたいそう遠ざけられていた御座のあたりが、今はそれほど離されていないのにつけても、思い出されるあれこれが多いのである。

語句

■ながめ 「長雨」と「眺め(物思いに沈む)」をかける。 ■花橘 花の咲いている橘。 ■千代をならせる声 「色かへぬ花橘にほととぎす千代を馴らせる声聞こゆなり」(後撰・夏 読人しらず)。 ■あやにくて 「あやにく」は折が悪い。あいにくだ。 ■吹きまどはして 風にもまれて火が小さくなること。 ■窓をうつ声 「秋ノ夜長シ 夜長クシテ眠ルコト無ケレバ天モ明ケズ 耿々(こうこう)タル残ンノ燈ノ壁ニ背ケタル影 蕭々タル暗キ雨ノ窓ヲ打ツ声」(白氏文集巻三・上陽白髪人、和漢朗詠集・秋夜)。 ■妹が垣根 古注に「独りして聞くは悲しきほととぎす妹が垣根におとなはせばや」を引くが出典不明。「妹」は男から見た親密な女。妻や愛人。ここでは源氏から見た紫の上。 ■ことごとしきほど 深夜なのだろう。 ■心には 表面上は夕霧を接待するようでいて、内心は紫の上を失った悲しみに捕らわれているのである。 ■空をながめたまふ 「大空は恋しき人の形見かは物思ふごとにながめらるらむ」(古今・恋四 酒井人真)によるか。 ■ほのかに見し御面影 野分の日に夕霧が紫の上の姿を偶然目にしたこと(【野分 02】)。 ■ましてことわりぞかし まして父(源氏)は朝夕紫の上と一緒に過ごしてきたのだから悲しみが深いのも当然だ、の意。 ■御はて 紫の上の一周忌。 ■極楽の曼荼羅 『観無量寿経』にある極楽浄土のさまを描いた曼荼羅。浄土曼荼羅。浄土変相図。 ■経なども 前に法華経千部供養(【御法 02】)の場面があった。 ■なにがし僧都 紫の上が帰依していた僧都。詳細不明。 ■加へてすべき事ども 通常の法事に加えて、紫の上の意向にしたがって特に行うべき仏事。 ■かやうの事 極楽曼荼羅や経を作ったりしておいたこと。 ■うしろやすき 気がかりなことがない。ここでは紫の上の後世についていう。 ■かりそめの御契り 紫の上は今生には縁の薄い人であったの意。 ■見たまふには 主語を夕霧と取ったが、源氏とも取りうる。 ■形見といふばかりとどめきこえたまへる人 子。 ■さやうなること 子をなすこと。どうしてこの父子はこう持ってまわった言い回しをするのか。「普通に会話しろ!」と言いたい。 ■門はひろげたまはめ 夕霧は子だくさん(【夕霧 36】)。 ■忍びがたき御心弱さのつつましくて 何事においても御心弱く我慢ができず、泣き崩れてしまいそなので、昔のことはあえて口に出さず、遠慮がちになっている。 ■待たれつる郭公 「千代をならせる声もせなん、と待たるる」とあった。 ■いかに知りてか 「古のこと語らへばほととぎすいかに知りてか古声のする」(【古今六帖五】)。ほととぎすはこの世とあの世のなかだちをするという。 ■なき人を… 「なき人」は紫の上。「むら雨」は源氏の涙。 ■空をながめたまふ 前の「ただ空をながめたまふ」と響き合う。 ■ほととぎす… ほととぎすが冥土に通う鳥である伝承を踏まえた歌。「君」は冥土にいる人。紫の上。「花橘」は、「五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(古今・夏 読人しらず)などを踏まえる。参考「なき人の宿に通はばほととぎすかけて音にのみ鳴くと告げなむ」(古今・哀傷 読人しらず)。 ■御座 生前、紫の上が座っていた座。夕霧はかつてそこに近づくことさえ許されなかった。

朗読・解説:左大臣光永