【竹河 16】薫と蔵人少将、冷泉院の御前で男踏歌を披露

その年返りて、男踏歌《をとこたふか》せられけり。殿上の若人《わかうど》どもの中に、物の上手多かるころほひなり。その中にも、すぐれたるを選《え》らせたまひて、この四位侍従、右の歌頭《かとう》なり。かの蔵人少将、楽人《がくにん》の数の中《うち》にありけり。十四日の月のはなやかに曇りなきに、御前より出でて冷泉院《れぜいゐん》に参る。女御も、この御息所《みやすどころ》も、上《うへ》に御局《みつぼね》して見たまふ。上達部《かむだちめ》、親王《みこ》たち引き連れて参りたまふ。右の大殿、致仕《ちじ》の大殿の族《ぞう》を離れて、きらきらしうきよげなる人はなき世なりと見ゆ。内裏の御前《おまへ》よりも、この院をばいと恥つかしうことに思ひきこえて、皆人《みなひと》用意を加ふる中にも、蔵人《くらひとの》少将は、見たまふらんかしと思ひやりて静心《しづごころ》なし。にほひもなく見苦しき綿花《わたばな》もかざす人からに見分かれて、さまも声もいとをかしくぞありける。竹河うたひて、御階《みはし》のもとに踏み寄るほど、過ぎにし夜《よ》のはかなかりし遊びも思ひ出でられければ、ひが事《こと》もしつべくて涙ぐみけり。后《きさい》の宮の御方に参れば、上《うへ》もそなたに渡らせたまひて御覧ず。月は、夜深うなるままに昼よりもはしたなう澄みのぼりて、いかに見たまふらんとのみおぼゆれば、踏むそらもなうただよひ歩《あり》きて、盃《さかづき》も、さして一人《ひとり》をのみ咎《とが》めらるるは面目《めいぼく》なくなん。

夜一夜《よひとよ》、所どころかき歩《あり》きて、いと悩ましう苦しくて臥《ふ》したるに、源侍従を院より召したれば、「あな苦し、しばし休むべきに」とむつかりながら参りたまへり。御前《ごぜん》の事どもなど問はせたまふ。「歌頭《かとう》はうち過ぐしたる人のさきざきするわざを、選ばれたるほど心にくかりけり」とて、うつくしと思しためり。万春楽《ばんすらく》を御口ずさみにしたまひつつ、御息所の御方に渡らせたまへば、御供に参りたまふ。物見に参りたる里人多くて、例よりは華やかに、けはひいまめかし。渡殿の戸口にしばしゐて、声聞き知りたる人にものなどのたまふ。「一夜の月影ははしたなかりしわざかな。蔵人少将の月の光にかかやきたりしけしきも、桂のかげに恥づるにはあらずやありけん。雲の上近くては、さしも見えざりき」など語りたまへば、人々あはれと聞くもあり。「闇はあやなきを、月映《つきば》えはいますこし心ことなり、とさだめきこえし」などすかして、内より、

竹河のその夜のことは思ひ出づやしのぶばかりのふしはなけれど

と言ふ。はかなきことなれど、涙ぐまるるも、げにいと浅くはおぼえぬことなりけりと、みづから思ひ知らる。

流れてのたのめむなしき竹河に世はうきものと思ひ知りにき

ものあはれなる気色を人々をかしがる。さるは、おり立ちて人のやうにもわびたまはざりしかど、人ざまのさすがに心苦しう見ゆるなり。「うち出で過ぐすこともこそはべれ。あなかしこ」とて立つほどに、「こなたに」と召し出づれば、はしたなき心地すれど参りたまふ。

「故六条院の、踏歌《たふか》の朝《あした》に女方《をむながた》にて遊びせられける、いとおもしろかりきと、右《みぎの》大臣の語られし。何ごともかのわたりのさしつぎなるべき人|難《かた》くなりにける世なりや。いと物の上手なる女さへ多く集まりて、いかにはかなきこともをかしかりけん」など思しやりて、御|琴《こと》ども調べさせたまひて、箏《さう》は御息所、琵琶は侍従に賜ふ。和琴を弾かせたまひて、この殿など遊びたまふ。御息所の御琴の音《ね》、まだ片なりなるところありしを、いとよう教へないたてまつりたまひてけり。いまめかしう爪音《つまおと》よくて、歌《うた》、曲《ごく》の物など上手にいとよく弾きたまふ。何ごとも、心もとなく後《おく》れたることはものしたまはぬ人なめり。容貌《かたち》、はた、いとをかしかべしとなほ心とまる。かやうなるをり多かれど、おのづからけ遠からず、乱れたまふ方《かた》なく、馴れ馴れしうなどは恨みかけねど、をりをりにつけて思ふ心の違《たが》へる嘆かしさをかすむるも、いかが思しけん、知らずかし。

現代語訳

その年は改まって、正月の男踏歌が開催されるのだった。殿上の若者たちの中に、芸達者の多い時代である。その中にも、すぐれているのをお選びになって、この四位侍従(薫)が、右の音頭役として選ばれた。かの蔵人少将は、音楽を奏する役の数の中に入っているのだった。十四日の月が華やかで曇りがないので、帝の御前から出て冷泉院に参る。女御(弘徽殿女御)も、この御息所(大君)も、冷泉院の殿上に御局を仕切って男踏歌をごらんになる。上達部、皇子たちが連れ立って冷泉院にお参りになる。今や、右の大殿(夕霧)と致仕の大殿の家系以外に、華やかで景気の良い人は世にないと見える。帝の御前よりも、この冷泉院を、ひどく気後れするほど立派なものと存じ上げて、皆人が心構えを加える中にも、蔵人少将は、御息所(大君)がきっとごらんになっていらっしゃるだろうと思いやって、落ち着かない。見た目の華やかさもなく見苦しい綿花のかざしも、かざす人によっては違って見えて、姿も声もとても風情があるのだった。蔵人少将が竹河を歌って、御階の下に踏み寄ったとき、以前の夜のはかない管弦の遊びのことも思い出されたので、舞い損ないもしかねない様子で、蔵人少将は涙ぐむのだった。一行が后の宮(秋好中宮)の御方に参ると、上(冷泉院)もそちらへおいでになって男踏歌をご覧になる。月は、夜が深くなるにまかせて昼よりも気後れするほど澄みのぼって、蔵人少将は「大君は私のことをどうご覧になっていらっしゃるだろうか」とそればかり思われるので、踏歌を披露するのもうわの空という具合で、ぶらぶら動き回って、盃も、自分一人だけを特に名指しでさされるのは、面目ない思いである。

源侍従(薫)は、一晩中、あちこちを男踏歌をしながら巡回して、ひどく疲れて苦しくて横になっていると、院(冷泉院)がお召しになったので、(薫)「ああつらい、しばらく休んでいたいのに」と嫌がりながらお参りになった。帝の御前の事などを冷泉院はお尋ねになる。(冷泉院)「歌頭は、年配の人が先々つとめられるものだが、それに選ばれたのは妬ましいほど優れていることである」とおっしゃって、薫のことを可愛いとお思いになっていらっしゃるようだ。万春楽を御口ずさまれつつ、冷泉院が御息所(大君)の御方においでになるので、薫も御供してお参りになる。女房らの里から見物に参っている者たちが多くて、ふだんよりにぎやかで華やかな雰囲気である。薫は、渡殿の戸口にしばらく座って、声を聞き知っている女房にものなどおっしゃる。(薫)「昨夜の月の光はきまりが悪いほどでしたね。蔵人少将が月の光をおもはゆく思っていた様子も、桂(月)の姿に恥じていたというわけではありますまい。内裏の近くにいた時は、それほどとも見えませんでしたから」などお話しになると、女房たちは気の毒と思う者もある。(女房)「春の夜は暗くてわけがわかりませんが匂いは隠しようがございません。その上、月明かりに映えていらっしゃることも、貴方さまのほうがいますこし格別でございました、と皆でお決め申したことです」などとおだてて、御簾の内から、

(女房)竹河の……

(昨年正月『竹河』を歌った、あの夜のことは思い出しますか。といっても懐かしい思い出となるようなことはございませんでしたが)

と言う。たわいもない歌ではあるが、自然と涙ぐまれるにつけても、「なるほど自分はたいそう深く大君のことを思っていたのだな」と、薫はみずから実感するのだった。

(薫)流れての……

(月日が流れて、私に抱かせてくれた期待のあてがはずれてしまった、あの「竹河」を歌った夜に、この世はつらいものと思い知りました)

何となく憂鬱そうな薫の様子を、女房たちはすばらしいと思う。薫は身を身を入れて、大君が参院したことを、世間の人のように残念がりもしなかったけれど、そうはいってもやはり傷心している様子が、女房たちには心苦しく見えるのであった。

(薫)「このままでは出過ぎたことを言ってしまいそうです。失礼しまして」といって立ち去る時に、冷泉院から「こちらへ」と召し出されたので、きまりの悪い感じがするが、お参りになる。

(冷泉院)「故六条院が踏歌を披露した翌朝に、女方で管弦の遊びをなさったのが、とても風情があったと、右大臣(夕霧)がお話しになった。何事も、院(源氏)の跡につづけるような人は滅多にいなくなった今の世であるよ。院(源氏)のご生前は、たいそう芸達者な女方までも多く集まって、ちょっとしたことでもどんなに面白かったことか」などお思いやりになって、御琴どもをお調べになられて、箏は御息所(大君)、琵琶は侍従(薫)にお与えになる。院(冷泉院)は和琴をお弾きになられて、催馬楽の「この殿」などを演奏なさる。

御息所(大君)の御琴の音は、まだ未熟なところがあったが、冷泉院がとてもよくご教育申されておられるのだった。今風に華やかに爪音がすばらしくて、歌のある曲、歌のない曲など上手にとてもよく大君はお弾きになる。何ごとも、つたなく人に後れをとるところはなくていらっしゃる人なのだろう。顔立ちも、また、とても美しいにちがいないと、やはり心惹かれる。こうした折が多かったが、薫は自然とお近しくなっても、ご無礼なふるまいをなさることはなく、馴れ馴れしく恨み言を言いかけたりはなさらなかったが、折々につけて思っていた気持ちが成就しなかった嘆きを、大君にほめのかしてみるにつけ、それを大君がどうお取りになっただろうか、知るよしもないことである。

語句

■男踏歌 足で地面を踏んで集団で踊る舞踏。踏歌節会。中国から輸入され、天武・持統朝から文献に見える。平安時代には男踏歌が正月十四日に、女踏歌が十六日に行われていたが、『源氏物語』の書かれた時代(一条朝)には男踏歌は消滅し、女踏歌だけであった(【初音 09】)。 ■殿上の若人どもの中に 初音巻にも「殿上人なども、物の上手多かるころほひにて」(【同上】)とあった。 ■歌頭 踏歌の音頭を取る役。 ■楽人 踏歌の時楽器を奏する役。九人。 ■上に御局して 冷泉院の殿上の間に仕切りをして局を作って、そこから男踏歌を見物する。 ■致仕の大殿の族 昔の頭中将の子孫。 ■この院をば 朱雀院の子である今上帝と、現じの子である冷泉院とでは、圧倒的に後者のほうが華やか。 ■綿花 男踏歌の時冠にさす造花。「かざしの綿は、にほひもなき物なれど、所からにやおもしろく、心ゆき、命延ぶるほどなり」(【初音 06】)。 ■竹河 男踏歌では「竹河」を歌う。「竹河の、橋のつめなるや、橋のつめなるや、花園に、はれ、花園に、我をば放てや、我をば放てや、少女《めざし》たぐへて」(催馬楽・竹河)。 ■御階 寝殿の南の階。 ■過ぎにし夜 昨年の正月二十日過ぎのこと(【竹河 07】)。 ■ひが事 舞を失敗すること。 ■はしたなう 月で顔がはっきりと見えるので決まりが悪い。 ■面目なく 蔵人少将は、自分が大君に懸想していたことを知っている人が同情めかしく盃をさすのが屈辱である。 ■所どころかき歩きて 踏歌の一行は一晩中
ほうぼうの貴人の家を巡回する。 ■御前の事ども 帝の御前における男踏歌のようす。 ■うち過ぐしたる人 年配の人。 ■万春楽  踏歌のとき奏する文句の句ごとに「万春楽」と唱える。 ■物見に参りたる里人 院にお仕えしている女房たちの実家の人々が男踏歌を見物に参っている。 ■声聞き知りたる人 大君つきの女房。いつも御簾ごしに応対しているので薫は声でわかる。 ■一夜の月影は… 前に「月は、夜深うなるままに昼よりもはしたなう澄みのぼりて」とあった。 ■かかやきたりし おもはゆいさま。 ■桂のかげに恥づるにはあらず 「桂」は月の異名。月に桂の木があるという伝説から。「かげ」は「月影」と「木陰」をかける。蔵人少将は月ではなく大君に対して恥ずかしがっていたのだの意。 ■雲の上 宮中。帝の御前。蔵人少将も自分も天皇の御前ですら恥ずかしいとは思わなかった。しかし冷泉院には大君がいるから恥ずかしいと思った。蔵人少将も自分も、そんなにも大君に心惹かれているの意。 ■さしも見えざりき 「かかやきたりしけしき」を受ける。 ■人々あはれと聞くもあり 蔵人少将も薫も大君に懸想していたということを知る女房たちが。 ■闇はあやなし 「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる」(古今・春上 躬恒)による。 ■竹河の… 「竹河のその夜のこと」は昨年正月、薫が玉蔓邸で「竹河」を歌った夜のこと(【同上】)。「竹」「夜(よ・節)」「ふし」は縁語。 ■げにいと浅くはおぼえぬ 薫は、自分が大君に執心していたことに気づく。 ■流れての… 「流る」は「竹河」の「河」の縁語。世をすごすの意をふくむ。「たのめ」は「たのむ」の名詞化。玉蔓邸の人々が薫が大君と結婚できそうに期待させたこと。「竹」「世(節)」は縁語。 ■おり立ちて 身を入れて。 ■人のやうに 「人」は主に蔵人少将のこと。 ■うち出で過ぐすこと 酔って言う必要もないことを言ってしまうこと。 ■故六条院の踏歌の朝 →【同上】。 ■かのわたりのさしつぎなるべき人難く… 「光隠れたまひにし後、かの御影にたちつぎたまふべき人々、…あり難かりけり」(【匂宮 01】)。 ■教へない 「教へなし」の音便。 ■爪音 琴爪で弦をはじく音。 ■歌曲の物 「歌」は歌詞のある曲(伴奏)。「曲の物」は歌詞のない曲。 ■をかしかべし 「をかしかるべし」の音便無表記。 ■かやうなるをり 薫が御息所(大君)に近づく機会。 ■おのづからけ遠からず 薫の、懸想心はあってもそれを押し殺してけして取り乱さない態度。 ■思ふ心 薫の、御息所(大君)に対する懸想心。 ■知らずかし 玉蔓邸の女房の話なので、冷泉院に移った人のことは知らないといって話を省略するのだろう。物語に真実味を加えている。

朗読・解説:左大臣光永