【初音 09】源氏、男踏歌の一行をもてなす

原文

今年は男踏歌《をとこたふか》あり。内裏《うち》より朱雀院《すざくゐん》に参りて、次にこの院に参る。道のほど遠くて、夜明け方《がた》になりにけり。月の曇りなく澄みまさりて、薄雪《うすゆき》すこし降れる庭のえならぬに、殿上人《てんじやうびと》ども、物の上手《じやうず》多かるころほひにて、笛の音《ね》もいとおもしろく吹き立てて、この御前はことに心づかひしたり。御方々、物見に渡りたまふべくかねて御|消息《せうそこ》どもありければ、左右《ひだりみぎ》の対《たい》、渡殿《わたどの》などに、御|局《つぼね》しつつおはす。西の対《たい》の姫君は、寝殿の南の御方に渡りたまひて、こなたの姫君、御|対面《たいめん》ありけり。上も一所《ひとところ》におはしませば、御|几帳《きちやう》ばかり隔てて聞こえたまふ。

朱雀院の后《きさい》の宮の御方などめぐりけるほどに、夜もやうやう明けゆけば、水駅《みづむまや》にて事そがせたまふべきを、例ある事より外《ほか》に、さまことに事加へていみじくもてはやさせたまふ。影すさまじき暁月夜《あかつきづきよ》に、雪はやうやう降り積む。松風|木高《こだか》く吹きおろし、ものすさまじくもありぬべきほどに、青色の萎《な》えばめるに、白襲《しらがさね》の色あひ、何の飾《かざり》かは見ゆる。かざしの綿《わた》は、にほひもなき物なれど、所からにやおもしろく、心ゆき、命延ぶるほどなり。殿の中将の君、内の大殿の君たち、そこらにすぐれて、めやすく華やかなり。ほのぼのと明けゆくに、雪やや散りてそぞろ寒きに、竹河《たけかは》うたひてかよれる姿、なつかしき声々の、絵にも描《か》きとどめがたからむこそ口惜しけれ。御方々、いづれもいづれも劣らぬ袖口ども、こぼれ出でたるこちたさ、物の色あひなども、曙《あけぼの》の空に春の錦《にしき》たち出でにける霞《かすみ》の中《うち》かと見わたさる。あやしく心ゆく見物にぞありける。さるは高巾子《かうこじ》の世離れたるさま、寿詞《ことぶき》の乱りがはしきをこめきたる言《こと》もことごとしくとりなしたる、なかなか何ばかりのおもしろかるべき拍子《ひやうし》も聞こえぬものを。例の綿かづきわたりてまかでぬ。

夜明けはてぬれば、御方々帰り渡りたまひぬ。大臣《おとど》の君、すこし大殿籠《おほとのごも》りて、日高く起きたまへり。「中将の声は、弁《べんの》少将にをさをさ劣らざめるは。あやしく有職《いうそく》ども生ひ出づるころほひにこそあれ。いにしへの人は、まことに賢《かしこ》き方やすぐれたることも多かりけむ、情《なさけ》だちたる筋《すぢ》は、このごろの人にえしもまさらざりけむかし。中将などをば、すくすくしき公人《おほやけびと》にしなしてむとなむ思ひおきてし。みづからのあざればみたるかたくなしさをもて離れよ、と思ひしかど、なほ下《した》にはほのすきたる心をこそとどむべかめれ。もてしづめ、すくよかなるうはべばかりは、うるさかめり」など、いとうつくしと思したり。万春楽《ばんすらく》、御口ずさびにのたまひて、「人々のこなたに集《つど》ひたまへるついでに、いかで物の音《ね》試《こころ》みてしがな。私の後宴《ごえん》あるべし」とのたまひて、御|琴《こと》どもの、うるはしき袋どもして秘めおかせたまへる、みな引き出でて、おし拭《のご》ひて、ゆるべる緒《を》ととのへさせたまひなどす。御方々、心づかひいたくしつつ、心げさうを尽くしたまふらむかし。

現代語訳

今年は男踏歌がある。宮中から朱雀院に参って、次にここ六条院に参る。道のりが遠くて、夜明け方になっった。月が曇りなく澄みきって、薄雪がすこし降っている、何とも言えず美しい庭で、殿上人なども、当今は楽器の名人が多いので、笛の音もたいそうおもしろく吹き立てて、源氏の君の御前ではことに気遣いをしている。

御方々は、物見においでになるよう前もってご連絡があったので、左右の対の屋、渡殿などに、お部屋をもうけていらっしゃる。西の対の姫君(玉鬘)は、寝殿の南側においでになって、こちらの姫君(明石の姫君)と、ご対面なさるのだった。上(紫の上)も同じ所にいらっしゃって、御几帳だけを隔ててお話申しあげなさる。

男踏歌の一行が、朱雀院の母后の宮(弘徽殿大后)の御方などをめぐっているうちに、夜もだんだん明けてきたので、こちらは水駅《みずうまや》だから簡略にしてもよいのだが、前例にはずれて、ことさらにおまけをつけて、たいそうおもてなしなさる。

荒涼たる暁の月の下、雪はしだいに降り積もる。松風が木の高いところから吹きおろし、何となく殺風景な気持にもなりそうな時分に、麹塵の袍の柔らかくなったのに、白襲という色あいには、何の飾りが見えるだろう。また冠にさしている綿の花は、地味な色あいであるが、場所のせいか風情があり、心はずませ、命が伸びるほどである。

源氏の君のご子息の中将の君(夕霧)、内の大殿(内大臣)の御若君たちは、大勢の中ですぐれて、見ばえがして、華やかである。

ほのぼのと夜が明けてゆくにつれて、雪が少し降り散ってむやみに寒い中を、「竹河」を謡って寄りあっている姿や、見事な歌声を、絵にも描きとどめられそうにないのが残念である。御方々は、誰も彼も劣らぬ袖口が、御簾の下からこぼれ出している素晴らしさ、その色合いなども、見渡せば、明け方の空に春の錦のように立ちあらわれた霞の中にいるのかと思えるほどである。

不思議と心躍る見物ではあったのだ。そうはいっても高巾子の世間離れしたさまや、祝い言のみだらで、滑稽めいた言葉も、もったいぶってとりなしているのなどは、どれもこれといって面白くなるような拍子も聞こえなかったのだが。恒例に従って踏歌の一行は綿布を褒美としていただいて退出した。

夜がすっかり明けてしまってから、御方々はお帰りになった。大臣の君(源氏)は、すこしお休みになって、日が高くなってからお起きになった。(源氏)「中将(夕霧)の声は、弁少々にそうそう劣らなかっただろう。不思議にも物知りたちが生まれ出る今の時世であるよ。昔の人は、ほんとうに賢いという点においては優れていることも多かったろうが、情味があるという筋においては、この頃の人に勝つことはできないだろうね。中将(夕霧)などを、きまじめな役人にさせようと私は決めたのだった。それは私の遊び好きで、みっともないところを見習わないようにと思ったからだが、やはり心の底にはどこか物好きなところを残しておくべきでもあるようだ。押し殺して、形式ばって上辺ばかりとりつくろうのは、やっかいだろう」など、君は中将(夕霧)をたいそう愛おしくお思いになっている。

万春楽を、御口から出るにまかてせつぶやかれて、(源氏)「人々がこちらに集まっていらっしゃるこの機会に、何とか楽器の音を試してみたいものだ。私の後宴をしよう」とおっしゃって、多くの御琴の、美しい袋に隠して置いておかれたのを、みな引き出して、表面をふいて、ゆるんでいる緒を調律させたりなどなさる。御方々は、たいそうお心遣いをしつつ、胸をときめかしていらっしゃることだろう。

語句

■男踏歌 足で地面を踏んで集団で踊る舞踏。踏歌節会。中国から輸入され、天武・持統朝から文献に見える。平安時代には男踏歌が正月十四日に、女踏歌が十六日に行われていたが、『源氏物語』の書かれた時代(一条朝)には男踏歌は消滅し、女踏歌だけであった。 ■朱雀院 朱雀大路の西、三条の南にある後院(【若紫 17】【紅葉賀 】)。物語中のこの時点では源氏の兄の朱雀院(朱雀上皇)が住んでいる。京都市中京区壬生花井町(NISSHA(株)京都本社敷地内)に朱雀院跡の碑。 ■道のほど 朱雀院から六条院まで、どの門から出るかにもよるが約3.3キロ。 ■この御前は 踏歌の一行に対して、飯廐《いいうまや》、水廐《みづうまや》を設けてもてなす。源氏は諸道に堪能なので、踏歌の一行は気を遣うのである。 ■御方々 六条院の女性たち。 ■左右の対 寝殿(南面する)に対して左(東)と右(西)の対の屋。 ■御局 帳などで区切って臨時の局をつくる。 ■水駅 男踏歌の一行があちこち巡ることを駅路にたとえ、その途中で酒や湯漬けをふるまう所。「飯駅《いいうまや》」は食事をふるまう所。六条院は「水駅」の担当であり、そこまで豪勢にふるまう必要はないのだが、異例の大盤振る舞いをした。 ■青色の萎えばめるに、白襲の色あひ 男踏歌の一行の装束。「青色」は、麹塵(麹カビのようなくすんだ黄緑色)の袍。 ■かざしの綿 男踏歌の一行が冠にさす、綿製の造花。 ■所からにやおもしろく 普通なら見ばえのしない殺風景な男踏歌一行の姿だが、六条院という場所のせいか、すばらしく見えるの意。 ■竹河 「竹河の、橋のつめなるや、花園に、はれ、花園に、我をば放てや、我をば放てや、少女《めざし》たぐへて」(催馬楽・竹河)。 ■かよれる 「かよる」は寄りあう。 ■袖口ども 女性たちは御簾の下からめいめい袖口をのぞかせて、その趣味をきそう。 ■春の錦 「見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(古今・春上 素性)。次の「見わたさる」もこの歌から。 ■高巾子 男踏歌の時、舞人がかぶる冠。普通の冠より巾子《こじ》を高くしたものか。巾子は冠の頭頂部に突き出た部分で、髻をおさめる。 ■寿詞 「我皇延祚億千齢(万春楽)元正慶序年光麗(万春楽)延暦休期帝化昌(万春楽)百辟陪筵華幄内(天人感呼)千般作楽紫宸場(万春楽)…」(朝野群載二十一踏歌章曲)。この詩を漢音で唱える。 ■乱りがはしき 「寿詞」は豊作・豊穣を祈るので生殖に通じ、色めいた内容が入る。 ■綿かづきわたりて 男踏歌に対する禄(褒美)として、頭にかずくための綿をいただいた。 ■弁少々 内大臣の次男。柏木の弟。「声いとおもしろく」とある(【賢木 32】)。 ■すくすくしき 「すくすくし」はきまじめな。源氏は夕霧をあえて六位に留め学問させた(【少女 02】)。 ■あざればみたる 「戯《あざ》ればむ」はふざけている。遊び好きの。浮ついた。 ■かたくなしさ 「頑なし」は、見苦しい。みっともない。 ■万春楽 前述の「寿詞」における囃子詞。 ■人々のこなたに 前に「御方々帰り渡りたまひぬ」とあり矛盾する。 ■私の 宮中で行う男踏歌の後宴に対して、六条院で行う私の後宴。 ■御方々… 御方々は女楽の準備をする。

朗読・解説:左大臣光永