【竹河 17】大君、女宮を出産 中の君、玉蔓より尚侍を譲られる

四月《うづき》に女宮生まれたまひぬ。ことにけざやかなるもののはえもなきやうなれど、院の御気色に従ひて、右の大殿よりはじめて、御産養《おほむうぶやしなひ》したまふ所どころ多かり。尚侍《かむ》の君つと抱《いだ》きもちてうつくしみたまふに、とう参りたまふべきよしのみあれば、五十日《いか》のほどに参りたまひぬ。女一の宮一ところおはしますに、いとめづらしくうつくしうておはすれば、いといみじう思したり。いとど、ただこなたにのみおはします。女御|方《がた》の人々、いとかからでありぬべき世かな、とただならず言ひ思へり。

正身《さうじみ》の御心どもは、ことに軽々《かるがる》しく背《そむ》きたまふにはあらねど、さぶらふ人々の中にくせぐせしきことも出《い》で来《き》などしつつ、かの中将の君の、さいへど人の兄《このかみ》にてのたまひしことかなひて、尚侍《かむ》の君も、「むげにかく言ひ言ひのはていかならむ。人わらへに、はしたなうもやもてなされむ。上の御心ばへは浅からねど、年経てさぶらひたまふ御方々よろしからず思ひはなちたまはば、苦しくもあるべきかな」と思ほすに、内裏《うち》には、まことにものしと思しつつ、たびたび御気色あり、と人の告げきこゆれば、わづらはしくて、中の姫君を、公《おほやけ》ざまにてまじらはせたてまつらむことを思して、尚侍《ないしのかみ》を譲りたまふ。朝廷《おほやけ》いと難《かた》うしたまふことなりければ、年ごろかう思しおきてしかど、え辞《じ》したまはざりしを、故|大臣《おとど》の御心を思して、久しうなりにける昔の例《れい》などひき出でて、その事かなひたまひぬ。この君の御宿世にて、年ごろ申したまひしは難きなりけり、と見えたり。

かくて、心やすくて内裏《うち》住みもしたまへかし、と思すにも、「いとほしう、少将のことを、母北の方のわざとのたまひしものを。頼めきこえしやうにほのめかしきこえしも、いかに思ひたまふらん」と思しあつかふ。弁の君して、心うつくしきやうに、大臣に聞こえたまふ。「内裏よりかかる仰せ言《ごと》のあれば、さまざまにあながちなるまじらひの好みと、世の聞き耳もいかがと思ひたまへてなんわづらひぬる」と聞こえたまへば、「内裏の御気色は、思し咎むるも、ことわりになん承る。公事《おほやけごと》につけても、宮仕したまはぬは、さるまじきわざになん。はや思したつべきになん」と申したまへり。また、このたびは、中宮の御気色とりてぞ参りたまふ。大臣おはせましかばおし消ちたまはざらましなど、あはれなることどもをなん。姉君は、容貌《かたち》など名高うをかしげなり、と聞こしめしおきたりけるを、ひきかへたまへるを、なま心ゆかぬやうなれど、これもいとらうらうじく、心にくくもてなしてさぶらひたまふ。

前尚侍《さきのかむ》の君、かたちを変へてんと思したつを、「方々にあつかひきこえたまふほどに、行ひも心あわたたしうこそ思されめ。いますこしいづ方も心のどかに見たてまつりなしたまひて、もどかしきところなくひたみちに勤めたまへ」と、君たちの申したまへば、思しとどこほりて、内裏には、時々、忍びて参りたまふをりもあり。院には、わづらはしき御心ばへのなほ絶えねば、さるべきをりもさらに参りたまはず。いにしへを思ひ出でしが、さすがに、かたじけなうおぼえしかしこまりに、人のみなゆるさぬことに思へりしをも知らず顔に思ひて参らせたてまつりて、みづからさへ、戯《たはぶ》れにても、若々しき事の世に聞こえたらむこそ、いとまばゆく見苦しかるべけれと思せど、さる忌《いみ》によりと、はた、御息所《みやすどころ》にも明かしきこえたまはねば、我を、昔より、故大臣はとりわきて思しかしづき、尚侍《かむ》の君は、若君を、桜のあらそひ、はかなきをりにも、心寄せたまひしなごりに、思しおとしけるよと、恨めしう思ひきこえたまひけり。院の上《うへ》、はた、ましていみじうつらしとぞ思しのたまはせける。「古めかしきあたりにさし放ちて。思ひおとさるるもことわりなり」とうち語らひたまひて、あはれにのみ思しまさる。

現代語訳

四月に大君に女宮がお生まれになった。べつだん華やかな晴れ晴れしさもないようではあるが、院(冷泉院)のご意向のままに、右の大殿(夕霧)から始めて、あちこちで御産養をなさった。尚侍の君(玉蔓)が若宮をしっかりと抱き持ってお可愛がりになっていたところ、帝から早く宮中にもどれとばかり仰せがあるので、五十日《いか》の祝の頃にお参りになった。院(冷泉院)は、女一の宮(弘徽殿女御腹)がお一人いらっしゃるが、この女ニの宮(大君腹)がとてもめずらしく可愛らしくていらっしゃるので、とてもすばらしいとお思いになっていらっしゃる。それで院(冷泉院)は、ますます、ひたすらこちら(大君方)にばかりいらっしゃる。女御(弘徽殿女御)方の女房たちは、「実際こんなになさらなくてもよいご縁なのに」と、ただならぬことに思い口にしている。

御本人たち(弘徽殿女御と大君)のお気持ちとしては、べつだん軽率に反目しあうこともなくていらっしゃるが、お仕えする女房たちの中に、よからぬ事なども起こったりなどして、かの中将の君(左近中将)が、ああはいってもご長男だけあっておっしゃったことが本当になって、尚侍の君(玉蔓)も、「弘徽殿女御方の女房たちが、つまらなくもそんなことを言い言いしたら、最後はどうなるだろう。世間の物笑いの種に、きまり悪くも取り沙汰されよう。上(冷泉院)の大君に対するご寵愛は浅くはないが、長年お仕えしていらっしゃる御方々が面白くないと思うようになられたら、大君にとって苦しいことになるにちがいない」とお思いになっていると、「たしかに帝は、不快におぼしめされて、たびたびご立腹なさいます」と人が尚侍の君(玉蔓)に報告申しあげると、尚侍の君(玉葛)は面倒なので、中の姫君を、公的な立場として宮仕えにお出ししようとお思いになって、尚侍《ないしのかみ》の職を中の君にお譲りになる。朝廷が、尚侍の君(玉葛)が尚侍を辞めることを簡単にはお許しにならなかったので、尚侍の君(玉蔓)は長年辞めようと決めていらしたが、辞められなかったのを、故大臣(髭黒太政大臣)の御気持ちをお思いになって、遠い昔の例なども引用して、その事(尚侍の辞退)が実現のはこびとなられた。この君(中の君)が尚侍になられることはご運命で、そのため、長年願い出ておられた尚侍辞退のことがなかなか認められなかったのだ、と思われた。

こうして中の君が尚侍として、安心して宮中住まいもなさってくれれば、とお思いになるにつけても、尚侍の君(玉蔓)は「気の毒に、蔵人少将のことを、母北の方(雲居雁)が格別におっしゃっていらしたのに。任せてほしいといったふうに私がちらりと申し上げたことも、どう思っていらっしゃるだろう」とお思いわずらいになる。弁の君(右中弁)を使いとして、何の他意もない旨を、大臣(夕霧)に申しあげられる。(玉蔓)「帝からこうした仰せ言があるので、ほうぼうに熱心に宮仕えをして、高望みをしていると、世間体からいってもどうだろうかと思いまして、ほとほと迷っております」と申し上げられると、(夕霧)「帝のご要望については、お腹立ちあそばすのも、当然と存じます。貴女様の尚侍という公の職務についても、人妻であることを理由にご出仕なさらない現状は、よいことではございません。はやくご決断なさるべきです」と申された。また、今回は、中宮(明石の中宮)のご機嫌をうかがってからお出仕なさる。「大臣(髭黒太政大臣)がご健在であられたら、明石の中宮が中の君を圧倒してしまうようなことはなかったろうに」などと、尚侍の君(玉蔓)は、感慨深くさまざまのことをお考えになる。

帝は、姉君(大君)は、器量などもよいと評判で、美しげである、と前々からお耳にしておられたので、かわりに中の君をよこされたのを、何となく納得できないようであるが、こちらの中の君もたいそう洗練されて、奥ゆかしく振る舞っていらっしゃる。

前尚侍の君(玉蔓)は、ご出家しようとお思い立つのを、息子たちが「あちら(大君)にも、こちら(中の君)にも
お世話申し上げられているうちに、仏事の行いも慌ただしく気持ちが落ち着きますまい。もう少しどちらもこれで安心だとお見届けになられてから、誰にもとやかく言われることのないように、ひたすらに仏事にお励みください」と、息子たちが申し上げられるので、ご出家は先延ばしになさって、宮中には、時々こっそりとお参りになる折もある。院(冷泉院)は、前尚侍(玉蔓)に対する面倒なお気持ちが今でも絶えないので、しかるべき行事の折も、前尚侍の君(玉蔓)は、まったくお参りにならない。とはいえ昔、冷泉院からの出仕のお誘いを断ったことを思い出すと、申し訳なく思っていたそのお詫びの気持ちをあらわすために、人がみな反対していたことも気づかぬふりをして、大君を冷泉院に参らせ申し上げた今、自分自身までもが、冗談にも、軽はずみな冷泉院との色恋沙汰が世間の噂にでもなったら、たいそう気まずく、見苦しいことになるに違いないとお思いになる。しかしそうした事情で冷泉院を避けていることを、また、御息所(大君)にも打ち明け申し上げてはいらっしゃらなかったので、御息所(大君)は「私(大君)のことを、昔から、故父大臣(髭黒太政大臣)は格別に愛情を注いで育ててくださったが、母尚侍の君(玉蔓)は、若君(中の君)を、桜の争いにつけても、その他のちょっとした折にも、ご贔屓されていたことが今も残っていて、私を軽くお思いになったこと」と、恨めしく思い申し上げられるのだった。院の上(冷泉院)は、また、御息所(大君)以上に、たいそうつらいとお思いになりまたそうおっしゃるのだった。(冷泉院)「私のような老人のもとに貴女を預け放しにして…。私が見くびられるのも道理ではあるが」と御息所(大君)とお語らいになって、御息所への愛しさが、いよいよまさるのだった。

語句

■四月に 「七月より孕みたまひにけり」(【竹河 15】)。 ■ことにけざやかなるもののはえもなきやう 冷泉院はすでに退位しているので。 ■院の御気色に従ひて 冷泉院の子は弘徽殿女御腹の女一の宮だけであった。今あらたに女ニの宮がうまれて冷泉院はたいそう喜ばれる。  ■右の大殿よりはじめて 玉蔓は源氏の養女であり、夕霧は義理の弟にあたる。だから夕霧が先頭にくる。 ■御産養 産後、三日・五日・七日・九日に行う祝宴。親類縁者から衣類や食物などが贈られた。 ■尚侍の君つと 出産は実家でするので、大君の親である玉蔓がまず女ニの宮を抱きしめる。 ■とう参りたまふべき 「いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて…」(【桐壺 02】)。「上の、いつしかとゆかしげに思しめしたること限りなし」(【紅葉賀 09】)。 ■五十 誕生後五十日目の祝。 ■女一の宮 弘徽殿女御腹。 ■いとかからでありぬべき世かな 弘徽殿女御方の女房たちの、御息所方へのねたみ。 ■くせぐせしき事 面倒な事。双方の女房の衝突をさす。 ■かの中将の君 左近中将。玉蔓の長男。大君の兄。 ■さいへど なにが「さ」なのか解読不能。 ■のたまひしこと 左近中将が、弘徽殿女御方と大君方で対立が起こることを心配していた(【竹河 15】)。 ■かく言ひ言ひのはて… 「世の中をかく言ひ言ひてはてはてはいかにやいかにならむとすらむ」(拾遺・雑上 読人しらず)。 ■年経てさぶらひたまふ御方々 秋好中宮や弘徽殿女御など。 ■たびたび御気色あり 帝が左近中将に苦情を言っているさまが前にあった(【同上】)。 ■わづらはしくて 玉蔓は大君の苦境を見て、もし中の君を入内させたら大君とおなじく明石の中宮方との衝突が起こるだろうから、いっそ公職として勤めさせようとする。 ■尚侍 玉蔓は二十三歳のころ尚侍になった(【藤袴 02】)。玉蔓は中の君を帝に差し上げたいが、寵姫として差し出すと明石の中宮方との衝突が予想されるので、尚侍という公職につく立場としてさしだす。 ■朝廷いと難うしたまふ 尚侍が自己都合で退職することは先例がなく朝廷は反対した。 ■かう思しおきてしかど 尚侍を辞任しようと。 ■故大臣の御心 大君を入内させたいという髭黒の意向。 ■昔の例 尚侍辞任の先例。史実には見いだせない。 ■この君の御宿世にて 中の君が尚侍になることは前世からの運命だとする。 ■かくて 中の君が尚侍となって。 ■弁の君 右中弁。玉蔓の次男。 ■かかる仰せ言 中の君を尚侍にするという勅命。 ■さまざまに 大君を冷泉院に、中の君を帝に。 ■わづらひぬる 困って相談しているふうを装って、もう中の君を尚侍とするしか方法がないんですと弁解している。 ■思し咎むる 帝はもともと大君を欲していたのに大君を冷泉院にさしあげたことを帝はお怒りである。それはもっともだとする夕霧の意見。 ■公事 尚侍という公務。 ■はや思し立つべき 中の君が玉蔓のかわりに尚侍として出仕することを。 ■また 大君が冷泉院に参院した時、玉蔓は弘徽殿女御のもとにご機嫌うかがいに参ったが、今回はまた明石の中宮のもとにご機嫌うかがいに参る。 ■中宮の御気色とりて 明石の中宮に中の君との仲をよろしくとご機嫌うかがいに参る。 ■あはれなることどもをなん 下に「思す」を補い読む。 ■ひきかへたまへる 大君と中の君を取り替えたのを。 ■前尚侍の君 中の君が尚侍になったので玉蔓はこれより前尚侍とよばれる。 ■かたちを変へてん 前に「御念仏堂におはして」(【竹河 06】)とあった。道心がめばえていたらしい。俗世のことが一段落したのでいよいよ出家しようとする。 ■いづ方も 大君も、中の君も。 ■もどかしきところなく 「もどかし」は非難すべきさま。出家の身でありながら俗事に勤しむことは世間から非難される。 ■君たち 玉蔓の息子たち。左近中将・右中弁。 ■内裏には 宮中にいる中の君の世話をしにいく。 ■忍びて 大君に知られると中の君ばかり贔屓してと思われるから。 ■わづらはしき御心ばへ 冷泉院の玉蔓にたいする懸想心。 ■なほ絶へねば 「なほ」は大君が参院した今になってもなお。 ■いにしへ 玉蔓が冷泉院の意向に背いて髭黒と結婚したこと。 ■かたじけなうおぼえしかしこまり 玉蔓は自分が冷泉院からの出仕の誘いに応じなかったことの罪滅ぼしとして、大君を出仕させようとした(【竹河 03】)。 ■人のみなゆるさぬことに 大君が冷泉院に参院することを。 ■若々しき事 冷泉院との色恋沙汰。 ■さる忌により 玉蔓が冷泉院からの誘いを避ける目的で。 ■桜のあらそひ 庭前の桜を髭黒は大君のものとし、玉蔓は中の君のものとしたこと(【竹河 09】)。 ■院の上 目当ての玉蔓が参らず娘の大君が参ったことを不満に思う。 ■古めかしきあたり 冷泉院の自嘲。院四十五歳。 ■さし放ちて 娘を老人にあてがって放っておけばよいのだろうと玉蔓を恨んでみせる。 ■思ひおとさるる 自分のような老人が玉蔓から低く見られること。実際は冷泉院は玉蔓が自分の求婚を避けるために姿を見せないことを知っているが、あえて大君に共感してみせるのである。

■さき草 「この殿は、むべも、むべも富みけり、さき草の、三つば四つばの中に、殿づくりせりや、殿づくりせりや」(催馬楽・この殿は)。

朗読・解説:左大臣光永