和泉の国へ

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二十九日。船出(い)だして行(ゆ)く。うらうらと照りて、漕(こ)ぎ行(ゆ)く。

爪(つめ)のいと長くなりにたるを見て、日をかぞふれば、今日(けふ)は子(ね)の日(ひ)なりければ、切らず。正月(むつき)なれば、京の子の日のこといひ出でて、「小松もがな」といへど、海中(うみなか)なれば、かたしかし。ある女(をむな)の書きて出だせる歌、

おぼつかな今日(けふ)は子(ね)の日か海女(あま)ならば海松(うみまつ)をだに引かましものを

とぞいへる。海にて、「子の日」の歌にては、いかがあらむ。

また、ある人のよめる歌、

今日なれど若菜(わかな)も摘(つ)まず春日野(かすがの)の我が漕ぎ渡る浦になければ

かくいひつつ漕ぎ行(ゆ)く。

現代語訳

二十九日。船を出して行く。うららかに日が照って、その中を漕いで行く。

爪がかなり長く延んだのを見て、出発以来の日を数えてみると、今日は子の日なので切らない。正月(の子の日)なので、京の子の日のことを(誰となく)言い出して、「小松があったらなあ」と言うけど、海の中なので難しい。ある女が書いて出した歌は、

おぼつかな…

(たよりないなあ、今日は本当に子の日なのかな、自分がもし海女ならせめて海松を小松の代わりに引いてみようものを)

と言う。海の中で、「子の日」の歌と言うのはどんなものだろうか。

また、ある人が詠んだ歌は、

今日なれど…

(正月子の日は今日なのに若菜も摘まない。春日野は今自分が漕ぎ渡っている浦には無いのだから)

このように言い言いしながら漕いで行く。

語句

■船出だして - 二十六日以来停留していた泊から ■うらうらと- うららかに ■日をかぞふれば- 十二支を数える ■今日は- 手の爪は丑の日に切るきまり。ここはその前日になる。手の爪は丑の日に、足の爪は寅の日に切るのを吉とした。 ■子の日- 正月初子の日。承平五年一月二十九日は甲子(きのえね)の日に当たる。正月の子の日には人々が野原に出で、小松を引いて千代を祝い、若菜を摘んで遊宴した。 ■正月(むつき)- 陰暦正月の異称 ■もがな- 願望の終助詞 ■かたしかし -(難し)かし 「かし」は念を押す気持ちを伝える終助詞。■おぼつかな- 形容詞「おぼつかなし」の語幹。感動語法。 ■海松- ミルと言う名の海藻。
■まし- 反実仮想の助動詞。海人ではないからそれもできないの意。

備考・補足

鳴門から淡路島の南を通って、和泉国に入ります。あいかわらず、海賊の襲撃にビクビクしながらの船路です。

今日は子の日だから爪を切らない、といっているのは、手の爪は丑の日に切るきまりでした。手の爪は丑の日に、足の爪は寅の日に切るのを吉としました。


おもしろきところに船を寄せて、「ここやいどこ」と、問ひければ、「土佐(とさ)の泊(とまり)」といひけり。昔、土佐といひけるところに住みける女、この船にまじれりけり。そがいひけらく、「昔、しばしありしところのなくひにぞあなる。あはれ」といひて、詠める歌、

年ごろを住しところの名にし負へば来寄(きよ)る波をもあはれとぞ見る

とぞいへる。

現代語訳

景色のいいところに船を寄せて、「ここはどこ」と聞くと、土佐の港ですと言う。

昔、土佐という所に住んでいた女が、同船していた。その人が言うには、「昔、私がしばらく住んでいた所と名の通う所です。懐かしいこと。」と言って、よんだ歌は、

年ごろを住し…

(ここは以前何年も住んだ所と同じ名を持っているから(懐かしくて)寄せてくる波さえもしみじみとした思いでみることだ)

と言ったのである。

語句

■土佐の泊- 徳島県鳴門市の大毛島。室津出港後初めて出てくる具体的な地名 ■いひけらく- …といひて「漢文訓読語法」 ■なくひ-「名類(なたぐひ)」の誤りとみて、同じ名前のところ 


三十日。雨風吹かず。海賊(かいぞく)は、夜歩(よるある)きせざなりと聞きて、夜中(よなか)ばかりに船を出だして、阿波(あは)の水門(みと)をわたる。夜中なれば、西東(にしひむがし)も見えず。男(をとこ)、女(をむな)、からく神仏(かみほとけ)を祈りてこの水門(みと)をわたりぬ。

寅卯(とらう)の時ばかりに、沼島(ぬしま)といふところを過ぎて、たな川といふところをわたる。からく急ぎて、和泉(いつ゛み)の灘(なだ)といふところに到(いた)りぬ。今日(けふ)、海に波に似たるものなし。神仏の恵みかうぶれるに似たり。

今日、船に乗りし日よりかぞふれば、三十日(みそか)あまり九日(ここのか)になりにけり。

今は和泉(いづみ)の国に来(き)ぬれば、海賊(かいぞく)ものならず。

現代語訳

三十日。雨も降らず風も吹かない。海賊は夜は行動しないと聞いて、夜中から船を出して、阿波の海峡を渡った。夜中なので、西も東もわからない。男も女も一心に神仏に祈って、この海峡を渡った。

朝の五時ごろに、沼島という所を通り過ぎて、たな川と言う所を渡る。懸命に急いで、和泉の灘という所に到着した。今日は、海に波らしいものはない。神仏の恵みを蒙ったというところか。

今日、船に乗った日から数えると、三十九日になってしまっていた。

今はもう、和泉の国に来てしまったので海賊も問題にならない。

語句

■阿波の水門- 阿波の鳴門。みとは川や海などの水の出入り口 ■からく- 一心に。必死に。けんめいに ■寅卯(とらう)の時- 午前4時から6時頃 ■沼島(ぬしま)- 兵庫県三原郡南淡町沼島。淡路島の南方約四キロメートルにある小島 ■たな川- 大阪府泉南郡岬町多奈川村 ■灘- 淡路島の南部の海浜一帯を灘村という。和泉には灘と言う地名はないので貫之の検討違い? 

備考・補足

ようやく鳴門海峡を渡り切り、和泉国につきました。海賊の恐怖から、逃げ切ったのです。文体にも安心感が出ています。これまでの緊張した筆運びとうって変わって、以後、緩やかな語り口なっていきます。

朗読・解説:左大臣光永

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