難波

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六日。澪標(みをつくし)のもとより出(い)でて、難波(なには)に着きて、川尻(かはじり)に入(い)る。みな人々、媼(をむな)、翁(おきな)、額(ひたひ)に手を当てて喜ぶこと、二つなし。

かの船酔(ふなゑ)ひの淡路(あはじ)の島の大御(おほいご)、みやこ近くなりぬといふを喜びて、船底(ふなぞこ)より頭(かしら)をもたげて、かくぞいへる。

いつしかといぶせかりつる難波潟(なにはがた)葦(あし)漕(こ)ぎ退(そ)けて御船(みふね)来(き)にけり

いと思ひのほかなる人のいへれば、人々あやしがる。これが中に、心地悩む船君(ふなぎみ)、いたくめでて、「船酔ひし給(たう)べりし御顔(みかを)には、似ずもあるかな」と、いひける。

現代語訳

六日。澪標のところから船出して、難波に着いて、河口に入る。一同、老女、翁ともども、額に手を当てて喜ぶこと、この上ない。
あの船酔いをした淡路の島の老女殿が、都が近くなったというのを喜んで、船底から頭をもたげて、このように言った。

いつしかと…

(着くのはいつのことかと、心もとなく不安であった難波潟で、葦を漕ぎ分けながら御船はやってきたことだ)

まったく思いがけない人が言ったので、人々は不思議がる。
そんな中で、気分を悪くしていた船君が、たいそうこれを褒めて、「船酔いをなさったお顔には、似合いませんね」と言ったことである。

語句

■澪標(みをつくし)- 水脈(ミヲ)つ串の意。水脈にクイを並べ立てて船が往来する時の目印にするもの。 ■難波(なには)- 今の大阪市南区あたり ■川尻- 淀川の河口 ■額(ひたひ)に- 非常の喜ぶ時の形容に使う語。■かの…- 淡路島出身の老女 ■大御(おほいご)- 年長の夫人に対する敬称 一月二十六日の条に出た淡路の専女と同一人物 ■いつしかと-「いつしか着かむ」 ■いぶせがりつる-心もとなく不安であった。 ■漕ぎ退けて-葦を漕ぎ分けて。「そく」は除く。

備考・補足

難波です。都も近くなりました。そのため、今までとはうってかわつて明るく、楽しい雰囲気が出てきます。詠まれる歌も、都に帰る喜びにワクワクしてる感じです。

「みをつくし」は、「澪つ串」から来ており、難波の海によく見られた、船を誘導するための印(杭)のことです。「みをつくし」という言葉の響きから、「身を尽くす」という動詞と、掛詞にされることが、多いです。

百人一首の二十番「わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ」などが有名です。


七日。今日(けふ)、川尻に船入(い)りたちて、漕(こ)ぎ上(のぼ)るに、川の水干(ひ)て、悩みわづらふ。船の上ること、いとかたし。

かかるあひだに、船君の病者(ばうざ)、もとよりこちごちしき人にて、かうやうのこと、さらに知らざりけり。かかれども、淡路専女(あはぢのたうめ)の歌にめでて、みやこ誇りにもやあらむ、からくして、あやしき歌ひねり出(い)だせり。その歌は、

来(き)と来(き)ては、川上(かはのぼ)り路(ぢ)の水を浅み船もわが身もなづむ今日(けふ)かな

これは病(やまひ)をすればよめるなるべし。一歌(ひとうた)にことの飽(あ)かねば、いま一つ、

とくと思ふ船悩ますはわがために水の心の浅きなりけり

この歌は、みやこ近くなりぬる喜びに堪(た)へずして、いへるなるべし。「淡路の御(ご)の歌に劣れり。ねたき。いはざらましものを」と、悔(くや)しがるうちに、夜(よる)になりて寝にけり。

現代語訳

七日。今日、河口に船が入り進んで、漕ぎ上がったが、川の水が枯れていて少なく進みづらい。船が遡(さかのぼ)るのはとても難しい。

そんな時に、病気の船君は、もともと風流など解さない人で、和歌を詠むなどということは、まったく関心がなかったのだが、淡路の婆さんの歌に感心し、都近くになって元気も出てきたのだろう。苦心して妙な歌をひねりだした。その歌は、

来(き)と来(き)ては…

(やっとのことでここまで来るには来たが、川を上る水路の水が浅くて、船も私自身も難渋する今日だよなあ)

この歌は、自分も病にかかったから詠んだのだろう。一首では気持ちがおさまらなかったのだろうか、いま一つ、

とくと思ふ…

(早く早くと思う船をこれほどまでに進みづらくさせるのは、水が浅いからでもあり、私に対する川の水の思いやりが浅いからでもある)

この歌は、都が近くなってきている喜びに堪えきれず、詠んだものだろう。「淡路の御の歌に劣る。いまいましい。言わなければよかったものを」と、悔しがっているうちに夜になり寝てしまった。

語句

■川の水干(ひ)て-冬の渇水期にぶつかったのである。 ■船君の病者-船君である病者 ■こちごちしき-ぶこつ。風流がわからない。作者の擬装である。
■かうやうのこと-歌を詠むこと ■来(き)と来(き)ては-やっとの思いでここまで来るには来たが。(同じ動詞を重ねて意味を強めている) 
■を浅み-浅いので。「を」は関節助詞。「み」は接尾語。 …が…なのでの意。■なづむ-悩み苦しむ。生気を失う。難渋する。■とく(疾く- 早く、急いで、早々に、 ■なる-べし-  …であろう。…であるに違いない。…であるはずだ。■ねたき(妬き)- しゃくである。にくらしい。いまいましい。「ねたし」の連体形。


八日。なほ、川上りになづみて、鳥飼(とりかひ)の御牧(みまき)といふほとりに泊まる。
今宵(こよひ)、船君(ふなぎみ)、例の病おこりて、いたく悩む。

ある人、あざらかなる物持て来たり。米(よね)して返り事す。男ども、ひそかにいふなり。(『飯粒(いひぼ)して、もつ釣る』とや」。

かうやうのこと、ところどころにあり。今日(けふ)、節忌(せちみ)すれば、魚(いを)不用(ふよう)。

現代語訳

八日。やはり、川上りが難行していて、鳥飼の御牧のほとりに泊まることになった。今夜、船君は、いつもの病が起こって、たいそう苦しむ。

ある人が、鮮魚を持ってきた。お返しに米を持たせた。男たちが、陰口を言う。「『飯粒でもつを釣る』とか言うような」と。

このような(対等ではない物々交換)ことは、旅の途中、所々であった。今日は、節忌をしたので、魚は不用だったのである。

語句

■あざ-らか(鮮らか)-新鮮な

朗読・解説:左大臣光永

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