黒崎~箱の浦
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二月一日。朝(あした)の間、雨降る。牛(むま)時ばかりにやみぬれば、和泉の灘(なだ)といふところより出(い)でて、漕(こ)ぎ行(ゆ)く。海の上、昨日(きのふ)のごとくに、風波(かぜなみ)見えず。
黒崎(くろさき)の松原を経(へ)て行(ゆ)く。ところの名は黒く、松の色は青く、磯(いそ)の波は雪のごとくに、貝の色は蘇芳(すほう)に、五色(ごしき)にいま一色(ひといろ)ぞ足らぬ。
現代語訳
二月一日。 朝のうち、雨が降った。お昼ごろにやんだので、和泉の灘(たな川)という所から出て、漕いで行く。
海上は、昨日と同様に、風も吹かず波も立たない。黒崎の松原を過ぎて行く。土地の名は黒く、松の色は青く、磯の波は雪のように白い、貝の色は蘇方、五色にあと一色だけ足りない。
語句
■牛(むま)時-今のお昼の十二時 ■蘇芳色-黒味を帯びた赤色。蘇方色、蘇枋色とも書く。蘇芳とは染料となる植物の名前で、この色はこれをアルカリ性水溶液で媒染したもの。 ■黒崎-多奈川の北東、大阪府泉南郡岬町淡輪とされる。■五色-古代中国の五行説に基づく青・黄・赤・白・黒の五色
備考・補足
五色に足りぬのは黄色である。ここでは五行の色を無理やり、自然の色に合わせようとしたがどうしても黄色が見つからなかった。
このあひだに、今日(けふ)は、箱(はこ)の浦(うら)といふところより、綱手(つなで)引きて行(ゆ)く。
かく行(ゆ)くあいだに、ある人のよめる歌、たまくしげ箱の浦波立たぬ日は海を鏡とたれか見ざらむ
また、船君(ふなぎみ)のいはく、「この月までなりぬること」と嘆きて、苦しきに堪(た)へずして、人もいふこととて、心やりにいへる、
引く船の綱手(つなで)の長き春の日を四十日(よそか)五十日(いか)までわれは経(へ)にけり
現代語訳
ところで、今日は、箱の浦と言う所から綱をつけて引っ張って行く。
このようにして行くうちに、ある人が詠んだ歌は、
たまくしげ箱の…
(箱の浦の波の立たない日は、誰がいったい海を鏡のようだと見ないことがあろうか)
また、船君(貫之)が言うのに、「二月にまでなってしまった」と嘆いて、あまりの長い旅路の苦しさに堪えきれず、「まあ、ほかの人も言うことだから」と言い訳しながら、せめてもの気晴らしに歌を詠んだ。
引く船の…
(この船を引く綱のように長い春の日々を四十日、五十日と私たちは旅をしてきたんだなあ)
語句
■このあひだに-「そこで」、「ところで」、「時に」等の意の接頭語とみる。 ■箱の浦-大阪府阪南市箱の浦とされる。 ■より-動作の起点を示す。■綱手-浅瀬や川などで、船を船員が綱で引っ張って進むこと。 ■たまくしげ -鏡に掛かる枕詞 ■ざらむ-…ないだろう。…まい。 [なりたち]打消の助動詞「ず」の未然形「ざら」+推量の助動詞「む」
聞く人の思へるやう、「なぞ、ただ言(ごと)なる」と、ひそかにいふべし。
「船君の、からくひねり出(い)だして、よしと思へる言(こと)を。怨(ゑン)じもこそし給(た)べ」とて、つつめきてやみぬ。
にはかに、風波高ければ、とどまりぬ。
二日。雨風やまず。
日一日(ひひとひ)、夜(よ)もすがら、神仏(かみほとけ)を祈る。
三日。海の上、昨日(きのふ)のやうなれば、船出ださず。
現代語訳
これを聞いた人が思うには、「なんだ、つまらない歌だこと」とこっそりと言っているようだ。
「船君が懸命にひねり出して、自分でいいと思った歌じゃないか。そんなこと言っては、お恨みになるだろう」ということで、遠慮して何も言わなことにした。
急に風波が強くなってきたのでそのまま留まった。
二月二日。雨風が止まない。
一日中、一晩中、神仏に祈る。
二月三日。海の上がまだ昨日のように荒れているので船を出さない。
語句
■なぞ(何ぞ)-〔「なにぞ」の転「なんぞ」の撥音「ん」の表記されない形〕#不明の事態を尋ねたり、理由を問うのに用いる語。何か。何ごとか。何ものか。また、なぜか。どうしてか。■ただ-普通である様。平凡である様 ■ひそかに-こっそり、人知れず ■つつめきて-物を言いかけて ■やみぬ-口をつぐむ。
■もこそ-#「も」の意味を「こそ」で強めた言い方。…だって。 [なりたち]係助詞「も」+係助詞「こそ」■給(た)ぶ-「与ふ」「授く」の尊敬語。お与えになる。くださる。 ■怨(ゑン)じもこそし給(た)べ-恨みをお与えになる→お恨みになるだろう ■にはか-だしぬけな様子。急だ。突然だ。
備考・補足
船主がしゃしゃり出て、へたくそな歌を詠み、皆がどうにも反応できずに困っている様子が描かれています。しかし実際の紀貫之は当代きっての大歌人であり、歌の大家です。また、この時代の読者のほとんども紀貫之の歌人としての名声は知っていたでしょう。
にもかかわらず、その大歌人の貫之を、歌の下手な朴念仁として描いているしかも、それを紀貫之本人が、書いているということに、いっそうの面白みがあります。
風の吹くことやまねば、岸の波立ち返る。これにつけてよめる歌、
緒(を)を撚(よ)りてかひなきものは落ちつもる涙の玉を貫(ぬ)かぬなりけり
かくて、今日暮れぬ。
四日。梶取(かじとり)、「今日、風、雲の気色(けしき)はなはだ悪(あ)し」といひて、船出(い)ださずなりぬ。しかれども、ひねもすに波風立たず。
この梶取は、日もえはからぬかたゐなりけり。
現代語訳
風が吹くことが止まないので海岸の波が寄せては返る。それにつけて、(私が)詠んだ歌は、
緒を撚りて…
(糸を撚って紡いだところで、どうしようもないのは、こぼれてたまる旅の苦しみの涙の球を貫くことができないからだ)
このようにして、今日も暮れてしまった。
二月四日。船頭が「今日は、風、雲の様子がとても悪い」と言って船を出さないことになった。けれども、一日中風も吹かず、波も立たなかった。
この船頭は天気の具合も推測できない馬鹿者なのであった。
語句
■緒(を)撚りて-麻の異名。麻の繊維を撚って糸を紡ぐこと。船中の女たちの退屈しのぎにするさまをいうか。■ひねもす【終日】-副)「ひめもす」とも。朝から晩まで。一日じゅう。■かたゐ-乞食。また、人をごののしって言う語。 「けり」は今気づいたという詠嘆。
この泊(とまり)の浜には、くさぐさのうるわしき貝、石など多かり。かかれば、ただ、昔の人をのみ恋つつ、船なる人のよめる、
寄せる波うちも寄せなむわが恋ふる人忘れ貝下(お)りて拾はむ
といへれば、ある人の堪(た)へずして、船の心やりによめる、
忘れ貝拾ひしもせじ白玉(しらたま)を恋ふるをだにもかたみと思はむ
となむいへる。女子(をむなご)のためには、親、幼くなりぬべし。「玉ならずもありけむを」と、人いはむや。されども「死(しン)じ子、顔よかりき」といふやうもあり。
なほ、同じところに日を経(ふ)ることを嘆きて、ある女(をむな)のよめる歌、
手をひてて寒さも知らぬ泉にぞ汲(く)むとはなしに日頃経(ひごろへ)にける。
現代語訳
この港の浜には、いろいろきれいな貝や石などが多かった。だから、ただもう、死んだ子ばかりを恋しく思い思いして、船にいる人が詠んだ歌は、
寄せる波…
(寄せる波よ、どうか打ち寄せておくれ、恋しく思う人のことを忘れることのできるという忘れ貝を。そうしたら船を下りて拾うから)
と言ったら、ある人が堪えきれずに、船旅の気晴らしということで詠んだ歌は、
忘れ貝拾ひしもせじ…
(亡き子を忘れてしまうという忘れ貝を拾おうとも思わない。白玉のような子を恋しがることだけでもあの子の形見と思いましょう)
とこんなふうに詠っている。さてさて、その女の子のことになると、親はとんと分別を失ってしまうものとみえる。
「球と言うほどの子ではなかったろうに」と人は言うであろう。けれどもまた、「死んでしまった子は、器量がよかった」と言うようでもある。
やはり、同じところで日をむなしく過ごすのを嘆いて、ある女が詠んだ歌は、
手をひてて…
(手を浸して寒さを感じるわけでもない<名ばかりの>和泉という所で、水を汲むわけでもなく、むなしく日を過ごすことだ)
語句
■くさぐさ-種々。さまざま。■かかれば-(接)このようであるから。だから。■心やり-気晴らし ■白玉-愛する子の喩 ■ひづ-濡らす。「汲む」と縁語。
■手をひでての歌-泉と和泉をかけ、和泉の土地の温暖な気候を、手を濡らしても寒さも知らぬと表現し、その泉を汲むわけでもなく、いたづらに日を過ごす所在なさを詠っている。
備考・補足
これより和泉国の西岸を難波まで北上していきます。現在の南海本線を関西空港あたりから大阪まで北上していく感じです。途中、貫之はまたも亡くなった子のことを、しみじみ思い出します。
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