【少女 01】源氏と朝顔の姫君、歌の贈答 姫君、女五の宮に源氏との結婚をすすめられるも気乗りせず

年かはりて、宮の御はても過ぎぬれば、世の中色あらたまりて、更衣《ころもがへ》のほどなども今めかしきを、まして祭のころは、おほかたの空のけしき心地よげなるに、前|斎院《さいゐん》はつれづれとながめたまふを、前なる桂《かつら》の下風《したかぜ》なつかしきにつけても、若き人々は思ひ出づることどもあるに、大殿より、「御禊《みそぎ》の日はいかにのどやかに思さるらむ」と、とぶらひきこえさせたまへり。「今日は、

かけきやは川瀬の浪もたちかへり君がみそぎのふぢのやつれを」

紫の紙、立文《たてぶみ》すくよかにて藤の花につけたまへり。をりのあはれなれば、御返りあり。

「ふぢごろも着しはきのふと思ふまにけふはみそぎの瀬にかはる世を

はかなく」とばかりあるを、例の御目とどめたまひて見おはす。御|服《ぶく》なほしのほどなどにも、宣旨《せんじ》のもとに、ところせきまで思しやれることどもあるを、院は見苦しきことに思しのたまへど、をかしやかに、気色ばめる御文などのあらばこそ、とかくも聞こえ返さめ、年ごろも、公ざまのをりをりの御とぶらひなどは聞こえならはしたまひていとまめやかなれば、いかがは聞こえも紛らはすべからむ、ともてわづらふべし。

女五《をむなご》の宮の御方にも、かやうに、をり過ぐさず聞こえたまへば、いとあはれに、「この君の、昨日今日《きのうけふ》の児《ちご》と思ひしを、かく大人びてとぶらひたまふこと。容貌《かたち》のいともきよらなるに添へて、心さへこそ人にはことに生《お》ひ出でたまヘれ」とほめきこえたまふを、若き人々は笑ひきこゆ。こなたにも対面《たいめん》したまふをりは、「この大臣《おとど》の、かくいとねむごろに聞こえたまふめるを、何か、いま始めたる御心ざしにもあらず。故宮《こみや》も、筋異《すじこと》になりたまひて、え見たてまつりたまはぬ嘆きをしたまひては、思ひたちしことをあながちにもてはなれたまひしこと、などのたまひ出でつつ、くやしげにこそ思したりしをりをりありしか。されど、故大殿の姫君ものせられしかぎりは、三の宮の思ひたまはむことのいとほしさに、とかく言《こと》添へきこゆることもなかりしなり。今は、そのやむごとなくえさらぬ筋にてものせられし人さへ亡くなられにしかば、げになどてかは、さやうにておはせましもあしかるまじ、とうちおぼえはべるにも、さらがへりてかくねむごろに聞こえたまふも、さるべきにもあらん、となむ思ひはベる」など、いと古代《こだい》に聞こえたまふを、心づきなしと思して、「故宮にも、しか心ごはきものに思はれたてまつりて過ぎはべりにしを、いまさらにまた世になびきはべらんも、いとつきなきことになむ」と聞こえたまひて、恥づかしげなる御|気色《けしき》なれば、しひてもえ聞こえおもむけたまはず。宮人も、上下《かみしも》みな心かけきこえたれば、世の中いとうしろめたくのみ思さるれど、かの御みづからは、わが心を尽くし、あはれを見えきこえて、人の御気色のうちもゆるばむほどをこそ待ちわたりたまへ、さやうにあながちなるさまに、御心やぶりきこえんなどは思さざるべし。

現代語訳

年が改まって、藤壺の宮の御一周忌も過ぎてしまうと、世の中はいつもどおりの服の色になって、更衣の時期なども華やかであるが、まして賀茂祭の頃は、一帯の空のさまが心地よい感じである。

だが前斎院は所在なくぼんやりと物思いに沈んでいらっしゃるのを、庭前にある桂の木の下を吹いてくる風がなつかしさを感じさせるのにつけても、若い女房たちはさまざまに思い出されることがある。

そんな中、源氏の大殿から、「斎院を下った今、御禊の日はどんなにかくつろいだお気持ちでしょう」とお見舞いを申してこられた。(源氏)「今日は…

かけきやは…

(かつて思ってもみたでしょうか。賀茂川の川瀬の浪が立ち返るようにまた御祓の日がめぐってきたのに、貴女は斎院の御禊ではなく藤の衣(喪服)に身をやつしたいた状態からの除服の禊をなさろうとは)

紫の紙で、立文にきちんとととのえ、藤の花に添えていらっしゃる。折にかなって風情があるので、お返事がある。

(朝顔)「ふぢごろも…

(喪服を着ていたのは昨日と思っている間に、今日はもう除服の禊をする時期となったとは。昨日の淵ぞ今日は瀬となるというとおり、ほんとうに移り変わりの激しい世の中ですこと)

はかなく思われます」とだけあるのを、源氏の君は例によって御目をおとどめになって御覧になっていらっしゃる。喪服を脱がれる時などにも、宣旨のもとに、あたりいっぱいに心づくしの引き出物が多くあるのを、前斎院は見苦しいことに思い、またそうおっしゃるが、「人の気をさそうような、思わせぶりな御文などがあれば、なんとでも言って送り返すだろうが、長年、表向きのお見舞いなどはいつもなさっていらっしゃって、今回のお手紙もたいそう真面目なものなので、どうしてお断り申すことができよう」と、もて余している。

源氏の君は、女五の宮の御方にも、こうして、機会を逃さずお見舞いなさるので、女五の宮はたいそう感激なさり、(女五の宮)「この君が、昨日今日まで子供だと思っていたのに、こんなに大人びてお見舞いいただけること。お顔立ちがとても美しいのに加えて、心まで人よりすぐれてお生まれになったもの」とお褒め申し上げるのを、若い女房たちは笑い申し上げる。こちらの姫君(朝顔)にも対面なさる折は、(女五の宮)「この大臣が、こうまで熱心にお手紙を差し上げられるようなのは、なんの、いまに始まった御心ではないのです。故式部卿の宮も、源氏の君が別の血筋の婿となられて、婿として世話をできなくなられたことをお嘆きになっては、『私が思い立ったこと(女君を源氏の君と結婚させること)を、女君(朝顔)が、強情に拒否なさったことだ』などとおっしゃりつつ、悔しそうに思っていらした折々もありましたよ。しかし故左大臣殿の姫君(葵の上)がご存命の間は、三の宮がお嘆きになることの気の毒さに、あれこれ私が源氏の君に口添えして結婚をおすすめすることもなかったのです。今は、そのしっかりした、たった一人の御方までも亡くなられたので、なるほどどうして、父宮がお望みのように貴女がなられたとしても悪いことはあるまい、とふと思われますにつけても、源氏の君が昔に立ち返ってこうして熱心にお手紙を送ってこられることも、お二人は夫婦として結ばれるよう前世から定められた因縁だろうと存じます」など、たいそう古風におすすめ申しあげなさるので、女君(朝顔)は気が進まないとお思いになって、(朝顔)「亡き父宮にも、そのように強情な娘と思われ申しあげて通してしまいましたのに、いまさらまた世間に妥協しますのも、ひどく似つかわしくないことで」とおっしゃって、こちらが恥じ入るほどきっぱりしたご様子なので、女五の宮は、しいてお勧め申しあげることもおできにならない。

御邸にお仕えしている人々も、身分の高きも低きも皆、源氏の君に心をお寄せしているので、姫君は、この人々が源氏の手引でもするのではないかとご心配ばかりされるが、源氏の君ご自身としては、わが真心を尽くして、誠意をお見せになって、姫君のお気持ちがやわらぐかもしれない時期をずっと待っていらっしゃるのであって、姫君の恐れるような強引なやり方で、姫君のお心を傷つけようなどとはお考えにならないのだろう。

語句

■年かはりて 源氏三十三歳。 ■宮の御はて 藤壺宮の一周忌。藤壺崩御は前年三月(【薄雲 11】)。 ■世の中色あらたまりて 諒闇の期間が終わり、鈍色を喪服から通常服に変わる。 ■更衣 四月一日から夏衣となる。 ■祭 四月中の酉の日の賀茂祭(葵祭)。 ■おほかたの空のけしき 『枕草子』「正月一日は」にこの頃の風情を描写。 ■前斎院 朝顔の姫君。前年夏に父・式部卿宮が亡くなつた(【薄雲 14】)。 ■桂の下風 賀茂祭では葵や桂の葉を身につける。女房たちは華やかな斎院時代を思い出している。 ■御禊の日 御禊《ごけい》の日。賀茂の斎院は賀茂祭の三日前に賀茂の河原に出て身を清める。 ■かけきやは… 「たちかへり」は賀茂の川浪が立ち返る意と、御禊の日がまた廻ってきた意をかける。「ふぢ」は藤衣で喪服のこと。「川瀬の浪」の縁語の「淵」をかける。 ■立文 懐紙を縦長に折る。事務的な手紙の形式。懸想文と誤解されないための配慮。 ■ふぢごろも… 「瀬」は時期の意をかける。「ふぢ(淵)ごろも」と対応。「世の中はなにか常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(古今・雑下 読人しらず)、「飛鳥川淵にもあらぬわが宿も瀬にかはりゆくものにぞありける」(同 伊勢)などによる。 ■以前も源氏が朝顔の姫君の文に目をとめた記述がある(【朝顔 03】)。 ■御服なほし 喪服を平常服に着替えること。除服。 ■宣旨 朝顔の姫君(前斎院)つきの女房。 ■院 前斎院=朝顔の姫君。 ■をかしやかに… 以下「紛らはすべからむ」まで、宣旨の心語。 ■いとまめやかなれば 今回の源氏の手紙も。 ■女五の宮 朝顔の姫君の叔母。源氏にとっても叔母。桐壷帝の妹。故式部卿宮邸(桃園邸)に朝顔と同居している(【朝顔 01】)。 ■笑ひきこゆ 女五の宮の褒め方があまりに大げさだから。 ■何か 軽い否定。 ■故宮 式部卿の宮。朝顔=前斎院の父。女五の宮の兄。 ■筋異になりたまひて 源氏が左大臣家の葵の上の婿となり、自分とは血筋が違ってしまったこと。 ■え見たてまつりたまはぬ 義父として、婿の世話をすること。 ■思ひたちしこと 娘(朝顔)を源氏の君と結婚させること。 ■もてはなれたまひいしこと 「こと」は詠嘆。 ■故大殿の姫君 葵の上。「故大殿」は故太政大臣。昔の左大臣。 ■三の宮 故桐壺院の妹宮。女五の宮の姉。葵の上の母。 ■言添へ 源氏に口添えして結婚をすすめること。 ■やむごとなく 「やむごとなし」は高貴だ。ここではれっきとした。 ■えさらぬ 源氏も避けて通れない。唯一無二の。 ■さやうにておはせましも 「さ」は朝顔が源氏の妻となること。 ■宮人 故式部卿宮邸=桃園邸にお仕えしている人々。 ■世の中いとうしろめたく 「世の中」は源氏と姫君との仲。人々が何か源氏の君の手引でもするのではないかと姫君は心配するのである。 ■見えきこえて お見せ申しあげての意。「見え」は相手主体に言う。 ■うちもゆるばむ 「うち」は接頭語。省いて考える。

朗読・解説:左大臣光永

【GW中も好評配信中】最後の将軍・徳川慶喜~明治を生きたラストエンペラー ほか