【藤裏葉 15】紅葉の盛り、帝、朱雀院とともに六条院に行幸

原文

神無月《かむなづき》の二十日《はつか》あまりのほどに、六条院に行幸《ぎやうがう》あり。紅葉の盛りにて、興あるべきたびの行幸《みゆき》なるに、朱雀院にも御|消息《せうそこ》ありて、院さへ渡りおはしますべければ、世にめづらしくあり難きことにて、世人《よひと》も心をおどろかす。主《あるじ》の院方も、御心を尽くし、目もあやなる御心まうけをせさせたまふ。

巳《み》の刻《とき》に行幸《ぎやうがう》ありて、まつ馬場殿《むまばどの》に、左右の寮《つかさ》の御馬|牽《ひ》き並べて、左右の近衛立ち添ひたる作法《さはふ》、五月《さつき》の節《せち》にあやめわかれず通ひたり。未下《ひつじくだ》るほどに、南の寝殿に移りおはします。道のほどの反橋《そりはし》、渡殿《わたどの》には錦《にしき》を敷き、あらはなるべき所には軟障《ぜんじやう》をひき、いつくしうしなさせたまへり。東《ひむがし》の池に舟ども浮《う》けて、御厨子所《みづしどころ》の鵜飼《うかひ》の長《をさ》、院の鵜飼を召し並べて、鵜をおろさせたまへり。小《ちひ》さき鮒《ふな》ども食ひたり。わざとの御覧とはなけれど、過ぎさせたまふ道の興ばかりになん。山の紅葉いづ方も劣らねど、西の御前は心ことなるを、中の廊《らう》の壁をくづし、中門《ちゆうもん》を開きて、霧の隔てなくて御覧ぜさせたまふ。御|座《ざ》二つよそひて、主《あるじ》の御座は下《くだ》れるを、宣旨《せんじ》ありて直させたまふほど、めでたく見えたれど、帝はなほ限りあるゐやゐやしさを尽くして見せたてまつりたまはぬことをなん思しける。

池の魚《いを》を、左少将とり、蔵人所《くらうどどころ》の鷹飼《たかがひ》の、北野に狩仕まつれる鳥|一番《ひとつがひ》を、右の少将《すけ》捧げて、寝殿の東《ひむがし》より御前に出でて、御階《みはし》の左右に膝をつきて奏《そう》す。太政大臣《おほきおとど》仰せ言《ごと》賜ひて、調《てう》じて御膳《おもの》にまゐる。親王《みこ》たち、上達部《かむだちめ》などの御設けも、めづらしきさまに、常のことどもを変へて仕うまつらせたまへり。みな御|酔《ゑひ》になりて、暮れかかるほどに楽所《がくそ》の人召す。わざとの大楽《おほがく》にはあらず、なまめかしきほどに、殿上《てんじやう》の童《わらは》べ舞《まひ》仕うまつる。朱雀院の紅葉の賀、例の古事《ふるごと》思し出でらる。賀皇恩《がわうおん》といふものを奏するほどに、太政大臣《おほきおとど》の御|弟子《おとご》の十ばかりなる、切《せち》におもしろう舞ふ。内裏《うち》の帝、御|衣《ぞ》脱ぎて賜ふ。太政大臣《おほきおとど》降りて舞踏《ぶたふ》したまふ。主《あるじ》の院、菊を折らせたまひて、青海波《せいがいは》のをりを思し出づ。

色まさるまがきの菊もをりをりに袖うちかけし秋を恋ふらし

大臣、そのをりは同じ舞に立ち並びきこえたまひしを、我も人にはすぐれたまへる身ながら、なほこの際《きは》はこよなかりけるほど思し知らる。時雨《しぐれ》、をり知り顔なり。

「むらさきの雲にまがへる菊の花にごりなき世の星かとぞ見る

時こそありけれ」と聞こえたまふ。

現代語訳

神無月の二十日すぎのころに、六条院に帝の行幸がある。紅葉の盛りで、行幸は興深いものになろうから、朱雀院にもご連絡があって、院までも六条院においでになるということだから、世に珍しく滅多にないことで、世間の人も心をおどろかせる。お迎えする側の六条院の方も、御心を尽くして、目にもまばゆいばかりのご心づもりをあそばす。

巳の刻(午前十時)に行幸あって、まず馬場殿に、左右の馬寮の御馬を牽き並べて、その馬に、左右の近衛府の武官が付き添って立った作法は、端午の節句の競射の儀式とまったく変わりなくそのままである。未の刻(午後ニ時)をすぎる頃に、南の町の寝殿にお移りあそばす。

道の途中の反橋、渡殿には錦を敷き、外からあらわに見えそうなところには軟障《ぜじょう》をひき、立派に整えさせなさる。東の池に舟を幾艘か浮かべて、御厨子所の鵜飼の長と、六条院の鵜飼をともにお召しになり、鵜を池におろさせなさった。鵜が小さな鮒をたくさんくわえている。ことさらに御覧になるということではないが、お通りになる道中の、ほんの余興である。築山の紅葉はどこも劣らないが、西の御殿の御前のは格別であるので、中の廊の壁をくずして、中門を開いて、霧ほどの隔てもないように御覧に入れなさる。

御座を二つ用意して、主人である六条院(源氏)の御座は一段下に設けたのだが、帝より宣旨があって直させあそばすさまは、すばらしいと見えるが、帝はそれでもやはり決まっている以上の礼をお尽くし申し上げになられないことを、残念におぼしめされるのであった。

池でとれた魚を、左少将が持ち、蔵人所の鷹飼が、北野で狩ってきた鳥一つがいを、右の少将が捧げて、寝殿の東から御前に出て、御階の左右に膝をついてそれぞれについて奏上する。太政大臣が帝のお言葉を二人にお伝えになって、調理してお食事として帝と朱雀院に差し上げる。

親王たち、上達部などのお食事のご用意も、めずらしい様子に、いつもの作法に変えてことさらすばらしくお勧め申し上げなさった。みなお酔いになって、日が暮れかかるころに楽所の人をお召しになる。ことさらの大がかりな楽ではなく、優美な程度に、殿上の童たちが舞を披露する。朱雀院の紅葉のこと、例によってあの昔の事が思い出される。賀王恩《がおうおん》という楽を奏する時、太政大臣の末の御子で十歳ぐらい御方が、まことに見事に舞う。帝が御衣を脱いで禄としてお与えになる。太政大臣は御階の下に降りて舞踏なさる。主人の六条院(源氏)が、菊を手折らせなさって、青海波を舞った折のことを思い出しなさる。

(源氏)色まさる……

(秋になり色がいよいよ美しくなったまがきの菊も、その時々に袖をうちかけて舞った秋のことを恋しく思っているようだ=この秋太政大臣になられた貴方も、昔二人で舞った時のことを恋しく思っていることでしょう)

太政大臣は、その折は、六条院(源氏)と立ち並んで同じ舞をご披露申し上げたことを、自分も人よりはすぐれていらっしゃる身とはいえ、やはりこの御方のすぐれていることは格別であるとお思い知りになられる。時雨が折知り顔に降ってくる。

(太政大臣)「むらさきの……

(紫の雲と同列に、見間違うほどの菊の花は、濁りなき世にかがやく星のように見えます=帝と朱雀院と並び立っている貴方は、世を導く光のようです)

今またご栄達なさって、ますます光り輝かれることです」と申し上げなさる。

語句

■行幸 帝が外出すること。『河海抄』には康保ニ年(965)十月二十三日の村上天皇の朱雀院行幸を準拠とするとある。 ■朱雀院 源氏の兄朱雀院。冷泉帝に譲位した経緯は【澪標 03】に。 ■馬場殿 東の御殿の東方にあり、南の御殿までのびていたらしい(【少女 33】)。 ■左右の寮 右馬寮と左馬寮。官有の馬と馬場についての業務を行う。 ■左右の近衛 左近衛・右近衛の武官。 ■あやめわかれず 区別がつかない。五月の節会の縁で「あやめ(菖蒲)」をかける。 ■南の寝殿 源氏と紫の上が住む東南の町。 ■軟障 白絹に紫色で縁取りした帳。幔幕。 ■御厨子所 宮中の御厨子所。後涼殿西廂にある。天皇の食事を調理する所。内膳司に属す。 ■食ひたり 鵜が鮒をくわえている。 ■紅葉いづ方も劣らねど 「おなじ枝を分きて木の葉のうつろふは西こそ秋のはじめなりけれ」(古今・秋下 藤原勝臣)。 ■西の御前 「西」は秋好中宮の里である西南の御殿。 ■中の廊 西南の町と東南の町を区切っている廊。 ■中門 廊の中程にもうけた門。 ■霧の隔てなくて 霧が隔てるほどの隔てもない。まったく隔てがないの意。 ■御座 帝の御座と朱雀院の御座。 ■宣旨 六条院も准上皇であるので同格にするよう帝は宣旨を下した。 ■限りあるゐやゐやしさ 帝としては六条院を父君として最上の礼を尽くしたいが、規定によりそれはできない。 ■鷹飼 蔵人所に属する。 ■北野 内裏の北の野。今の北野天満宮辺。 ■右の少将 近衛府の「すけ」は中将と少将。 ■奏す 魚と鳥、それぞれについて奏上する。 ■楽所 雅楽寮所属。楽人の練習所・詰所。桂芳坊にある。 ■大楽 大がかりの舞楽。 ■朱雀院の紅葉の賀 桐壺院の御代、当時の上皇のためにその御所朱雀院で行われた御賀の宴(【紅葉賀 01】【同 03】)。(現)朱雀院は当時、東宮。 ■例の古事 朱雀院の紅葉の賀の折の舞楽のこと。 ■賀王恩 舞楽の曲目。嵯峨天皇の時、大石峯良作とされる。 ■太政大臣降りて舞踏したまふ 太政大臣が子に変わって礼の所作をする。 ■青海波のをり 前記の朱雀院紅葉の賀のとき、源氏と頭中将が青海波を舞って注目を集めた。「かざしの紅葉いたう散りすぎて、顔ににほひにけおされたる心地すれば、御前なる菊を折りて、左大将さしかへたまふ」(【紅葉賀 03】)。 ■色まさる 「まがきの菊」は太政大臣。「袖うちかけし秋」は源氏と頭中将(太政大臣)が連れ添って青海波を舞った朱雀院の紅葉の賀のこと。過去と現在の景色が重なり合う。 ■この際は 六条院というこの御方にそなわっている格は。 ■をり知り顔なり 前記の紅葉賀でも「空の気色さへ見知り顔なる…」(【同上】)。 ■むらさきの… 「むらさきの雲」は瑞雲。徳のある天子があらわれると、たなびくという。「にごりなき世」は聖天子のまします世。「久方の雲のうへにて見る菊は天つ星とぞあやまたれける」(古今・秋下 藤原敏行)による。 ■時こそありけれ 「秋をおきて時こそありけれ菊の花移ろふからに色のまされば」(古今・秋下 平定文)による。歌意は「花の盛の秋以外にも、ひと盛りする時があるのでした。菊の花が色褪せるやいなや、一段と色づいております」。源氏が男盛りをすぎてなお、准太政大臣という位にのぼり権勢ますます盛んであることを、ほめたたえる。

朗読・解説:左大臣光永