【幻 07】明石の君を訪ねるも心慰められず

夕暮の霞《かすみ》たどたどしくをかしきほどなれば、やがて明石の御方に渡りたまへり。久しうさしものぞきたまはぬに、おぼえなきをりなればうち驚かるれど、さまようけはひ心にくくもてつけて、なほこそ人にはまさりたれ、と見たまふにつけては、またかうざまにはあらでこそ、ゆゑよしをももてなしたまへりしか、と思しくらべらるるに、面影《おもかげ》に恋しう、悲しさのみまされば、いかにして慰むべき心ぞ、といとくらべ苦し。

こなたにては、のどやかに昔物語などしたまふ。「人をあはれと心とどめむは、いとわろかべきことと、いにしへより思ひえて、すべていかなる方《かた》にも、この世に執《しふ》とまるべき事なくと心づかひをせしに、おほかたの世につけて、身のいたづらにはふれぬべかりしころほひなど、とざまかうざまに思ひめぐらししに、命をもみづから棄てつべく、野山の末にはふらかさんにことなる障《さは》りあるまじくなむ思ひなりしを、末の世に、今は限りのほど近き身にてしも、あるまじき絆《ほだし》多うかかづらひて今まで過ぐしてけるが、心弱う、もどかしきこと」など、さして一つ筋の悲しさにのみはのたまはねど、思したるさまのことわりに心苦しきを、いとほしう見たてまつりて、「おほかたの人目に何ばかり惜《を》しげなき人だに、心の中《うち》の絆《ほだし》おのづから多うはべなるを、ましていかでかは心やすくも思し棄てん。さやうにあさへたることは、かへりて軽々《かるがる》しきもどかしさなどもたち出でて、なかなかなることなどはべるを、思したつほど鈍《にぶ》きやうにはべらんや、つひに澄みはてさせたまふ方《かた》深うはべらむと、思ひやられはべりてこそ。いにしへの例《ためし》などを聞きはべるにつけても、心におどろかれ、思ふより違《たが》ふふしありて、世を厭《いと》ふついでになるとか、それはなほわるき事とこそ。なほしばし思しのどめさせたまひて、宮たちなどもおとなびさせたまひ、まことに動きなかるべき御ありさまに、見たてまつりなさせたまはむまでは、乱れなくはべらんこそ、心やすくもうれしくもはべるべけれ」など、いとおとなびて聞こえたる気色いとめやすし。

「さまで思ひのどめむ心深さこそ、浅きにおとりぬべけれ」などのたまひて、昔よりものを思ふことなど語り出でたまふ中に、「故后《こきさい》の宮の崩《かく》れたまへりし春なむ、花の色を見ても、まことに『心あらば』とおぼえし。それは、おほかたの世につけて、をかしかりし御ありさまを幼くより見たてまつりしみて、さるとぢめの悲しさも人よりことにおぼえしなり。みづからとりわく心ざしにも、もののあはれはよらぬわざなり。年|経《へ》ぬる人に後《おく》れて、心をさめむ方《かた》なく忘れがたきも、ただかかる仲の悲しさのみにはあらず。幼きほどより生《お》ほしたてしありさま、もろともに老いぬる末の世にうち棄《す》てられて、わが身も人の身も思ひつづけらるる悲しさのたへがたきになん。すべてもののあはれも、ゆゑあることも、をかしき筋も、広う思ひめぐらす方々《かたがた》添ふことの浅からずなるになむありける」など、夜更くるまで、昔今《むかしいま》の御物語に、かくても明かしつべき夜をと思しながら、帰りたまふを、女もものあはれにおぼゆべし。わが御心にも、あやしうもなりにける心のほどかな、と思し知らる。

さてもまた例の御行ひに、夜半《よなか》になりてぞ、昼の御座《おまし》にいとかりそめに寄り臥《ふ》したまふ。つとめて、御文奉りたまふに、

なくなくも帰りにしがな仮の世はいつこもつひの常世《とこよ》ならぬに

昨夜《よべ》の御ありさまは恨めしげなりしかど、いとかくあらぬさまに思《おぼ》しほれたる御気色の心苦しさに、身の上はさしおかれて、涙ぐまれたまふ。

かりがゐし苗代水《なはしろみづ》の絶えしよりうつりし花のかげをだに見ず

旧《ふ》りがたくよしある書きざまにも、「なまめざましきものに思したりしを、末の世には、かたみに心ばせを見知るどちにて、うしろやすき方にはうち頼むべく、思ひかはしたまひながら、またさりとてひたぶるにはたうちとけず、ゆゑありてもてなしたまへりし心おきてを、人はさしも見知らざりきかし」など思し出づ。せめてさうざうしき時は、かやうにただおほかたに、うちほのめきたまふをりをりもあり。昔の御ありさまには、なごりなくなりにたるべし。

現代語訳

夕暮れの霞がぼんやりとかかって風情ある時分なので、そのまま明石の御方の元においでになった。長い間そのように御顔を出されることもなかったので、不意の折であるので御方は驚かれたが、浮立つ様子ながら奥ゆかしく取りなすので、やはり並の人よりはすぐれている、と御覧になられるにつけては、また上(紫の上)はこのようなやり方ではなかったが、情緒も風情もわきまえて、もてなしてくださったものだと、自然と心の中に比べられるにつけ、上(紫の上)の面影が恋しく、悲しさばかりまさるので、いったいどうやって心を慰めようと、手に負えず心苦しい。

こちらでは、のんびりと昔の話などをなさる。(源氏)「人を好きだと心惹かれることは、とてもよくないことだろうと、昔から思うようになって、すべてどの方面においても、この世に執着が残るような事は無くそうと心遣いをしていましたが、世間一般から見ると、わが身がいたずらに落ちぶれて、さまよっておりました頃など、あれこれ思いめぐらしましたところ、命をもみずから捨てるべく、野山の末にさまようのに、別段の障害がないだろうと思うようになりましたのを、晩年になって、今は寿命が尽きるのにほど近い身になってもまだ、持ってはならない現世の縁に多く関わって今まで過ごしてまいりましたが、心弱く、もどかしいことで」など、それほど(紫の上が亡くなったことの)そのことだけの悲しさだけをおっしゃるわけではないが、思い詰めていらっしゃるさまは当然のことで、心苦しいのを、御方(明石の御方)は気の毒と思われて、(明石の君)「だいたいの人の目から見てどれほども惜しくない人でさえ、その心の中の絆が、いつの間にか多くなっているものだそうでございますから、ましてあの御方(紫の上)のことを、どうしてあっさりと諦めることができかましょう。そのように浅はかな動機では、出家してもかえって軽薄なと非難も起こってまいりまして、かえって悪くなることなどもございますのに、出家をご決意されるまでゆっくりしているようなのが、最終的にはすっかり心が澄んで仏道に深く専念できるようになりましょうと、想像されます。昔の例などを聞きますにつけても、強く心を動かされたり、思いどおりにならないことがあって、世を厭うきっかけになるとか、それはやはりよくない事であると申します。やはりしばらくゆっくりとお考えになって、宮たちなどもご成長なさって、本当に動かしようもないご様子になられるのをお見届けになられるまでは、今のまま生活を乱さずにいらっしゃることこそ、私も安心できますし、嬉しくもございましょう」など、まことに思慮深く申し上げる様子は実に好ましいものである。

(源氏)「そこまでゆっくり考える心深さこそ、考えが浅い突発的な出家にも劣るでしょう」などおっしゃって、昔からの物思いの数々をお話に出される中に、(源氏)「故后の宮(藤壺)のお隠れになられたその春、花の色を見ても、まことに『心あらば(桜よ墨染色に咲け)』と思いました。それは、世間普通の者として見てもすばらしくいらっしゃった宮(藤壺)のご様子を幼い頃から拝見して心に染みていて、それで、ご臨終の悲しさも人より格別に覚えたのでした。心に染みる情感は、自分自身が特別その人に対する情愛を持っているかどうかにはよらないものです。今、長年連れ添った人(紫の上)に先立たれて、心のしずめようがなく忘れがたいことも、ただこうした夫婦仲からくる悲しさだけではない。幼い頃から育ててきたいきさつや、共に老いた晩年にうち棄てられて、自分の身も相手の身も自然と思いつづけられる悲しさの耐え難さによってなのである。すべて胸に染みる感慨も、情緒あることも、風情ある筋も、広く思い出されることがあるからこそ、それが深くもなるものだったのです」など、夜が更けるまで、昔今のお話をなさって、「このまま夜を明かしてもよいのだが」とお思いになりながら、それでもやはりお帰りになるのを、女(明石の君)も、なんとなく悲しく思ったことだろう。院(源氏)ご自身のお気持ちとしても、妙なことになってしまった心具合だなと、ご実感なさる。

そうしてお戻りになっても、またいつもの勤行されて、夜中になってから、昼の御座にほんの仮寝にお休みになる。早朝、御方(明石の君)への御文を差し上げられて、

(源氏)なくなくも……

(昨夜、私は泣く泣く自分の古巣に帰りましたよ。この仮の世ではどこであっても最後まで安住して住みはてることはできる床…常世の国があるわけでもないのに)

御方(明石の君)は、昨夜の院(源氏)のおふるまいは恨めしげではあったようだが、実にこう、いつもとは違った様子に物思いにふけっておられるご様子が心苦しいので、わが身の上のことはひとまず置いて、涙ぐまれる。

(明石の君)かりがゐし……

(雁がいた苗代田に水がすっかり無くなってからというもの、そこに映っていた花の姿さえ見えません…貴方のそばから紫の上さまがいなくなられてからというもの、貴方をお迎えすることがなくなりました)

古くならない風情ある筆跡を御覧になるにつけても、(源氏)「上(紫の上)は、この御方(明石の君)を何となく憎らしい女とお思いになっていらしたが、上(紫の上)の晩年には、お互いに心具合を見知った仲間として、安心できるとして頼みにすべく、おつきあいなさりながら、またそうはいっても心底打ち解けることはなく、つつしみ深くふるまっていらした心がまえを、私以外の人はそうであると気づくことはなかったのだ」などお思い出しになる。きわめてお寂しい時は、このようにただ一通りに、御方々の元へお顔をお出しになる折々もある。だが以前のようにお泊りになることはまったく無くなってしまったのである。

語句

■やがて 女三の宮の居所から直接、明石の君の居所へ移動した。 ■ゆゑよし 情緒、風情。 ■くらべ苦し 手に負えない。 ■こなたにては 女三の宮のところではそうでなかったことを強調。 ■人をあはれと心とどめむは 前の源氏の述懐「宿世のほども、…いま一際の心乱れぬべけれ」(【幻 03】)に対応。 ■すべていかなる方にも 恋愛方面だけでなく物事全般についていう。 ■身のいたづらにはふれぬべかりしころ 須磨・明石に住んでいた頃。「はふる」は落ちぶれて放浪する意。 ■命をもみづから棄てつべく 思い切って出家することをいう。 ■あるまじき絆 持つべきでない絆。現世への執着は悪という仏教の価値観による。 ■一つ筋の悲しさ 紫の上が亡くなったことについての悲しさ。 ■ましていかでかは 准太政大臣とまでなった方は。 ■思したつほど鈍きやう じっくり考えてから出家すること。そのほうがよいと明石の君はいう。源氏がそう言ってもらいたがっていることを察知して言うのだろう。 ■いにしへの例 『花鳥余情』は花山院が弘徽殿女御を亡くした悲しみから出家したが、反動で派手なふるまいが多くなった例を挙げる。 ■それはなほわるき事 出家は一時的な気の迷いから行うべきではない、という考え。 ■思しのどめさせたまひて 出家したい気持ちをしばし抑えて。 ■宮たち 明石の中宮腹の皇子・皇女たち。 ■動きなかるべき御ありさま 明石の中宮腹の宮たちが位について安心できる状況になること。 ■乱れなくはべらん 出家せずに今の生活を続けること。 ■いとおとなびて 明石の言はたしかに思慮深いが、源氏が言ってほしいことをあらかじめ察知してそれを言っている感がある。 ■さまで思ひのどめむ心深さこそ… 浅い道心でもさっさと出家したほうがよい。内容は後から伴われてくるという考え。『徒然草』の主張に近い。(徒然草百五十七段同五十九段など)。徒然草のこのあたりは源氏のことを想定して書いたと思えるほど状況がマッチしている。 ■隠れたまへりし春 →【薄雲 12】。 ■心あらば 「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」(古今・哀傷 上野岑雄)。 ■それは 自分がそれほどまでに藤壺宮の死を悲しんだ理由は。 ■みづからとり分く… 深い情緒というものは必ずしも個人的な愛情から出てくるものではないの意で、自分が藤壺に愛情を持っていたことを明石の君に対して隠そうとしているのか。それにしてももって回ったくどすぎる表現である。 ■かかる仲 自分と紫の上との夫婦関係。 ■たへがたきになん 下に「悲しき」などを補い読む。 ■広う思ひめぐらす… 思い出の数が多いだけ感慨も深いの意。もっと簡潔に言えそうなものだが。「考えをまとめてから発言する」「伝わるようにしゃべる」という能力が、源氏にも、作者にも、欠如している。 ■帰りたまふ 六条院東南の源氏の自室に。 ■あやしうもなりにけるかな 以前ならこういう時明石の君のもとで夜を明かしたのに、今はその気にならないことに我ながらおどろいている。 ■昼の御座に 寝所ではなく昼過ごす部屋で仮寝する。 ■なくなくも… 「泣く」と「鳴く」を、「仮」と「雁」をかけ、「常世」に「床」をひびかせる。春に雁が北に帰っていくのを「常世に帰る」と見る。 ■かりがゐし… 「雁」は源氏。「苗代水」は紫の上。「花」は源氏の美しい姿。紫の上が亡くなってから自分(明石の君)のもとへの源氏の訪問が途絶えたことを嘆く。 ■なまめざましきものに… 以下「見知らざりきかし」まで、紫の上と明石の君の関係を述べるが、なぜここまで回りくどい、ねじけた独白が必要なのか意味不明である。作者には「簡潔に論旨をまとめる」という能力が致命的に欠如している。 ■末の世 紫の上の晩年。 ■せめてさうざうしき時 きわめて寂しい時。 ■昔の御ありさまには… 昔のように好色な夜通いではないの意。

朗読・解説:左大臣光永