源氏物語の現代語訳つくってます 関屋

こんにちは。左大臣光永です。

本日は、『源氏物語』の現代語訳をつくってます、ということで、その途中経過のような話です。

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源氏物語はどのように読まれていたか?

源氏物語はどのように読まれていたかというと、多分、宮中でも学のある女房がこれを読んで、要約して、これこれこういう話だと、あらすじを説明して聞かせていたと私は思います。

なにしろ『源氏物語』の文章はあまりにもくどく、しつこく、読みづらいので、これをそのまま朗読しても、ほとんどの人は理解できないはずです。

やはり間に立って、「これこれこういう話だよ」と、読み解いてやる役が必要だったと思います。

『更級日記』の冒頭でも主人公菅原孝標の娘の継母や姉がかいつまんで源氏物語の場面場面を説明してくれていたとありますし。

だから語る人によって大まかなストーリーは同じでも、細かいところはぜんぜん違うものになってくる。そこにも源氏物語の面白さがあったんじゃないかと。

歌物語である

ただし源氏物語の基本的な構造は、歌物語です。お話の核となる部分に歌がくる。いちばん感情がたかぶった、クライマックスのところで歌がよまれるという形です。

すると歌は短くて覚えやすいから、おそらく歌だけは一字一句暗唱して、その歌に至るまでの物語をそれぞれが理解して自分の言葉で説明して、歌だけは本編そのままの歌を唱えていたと思うんですね。

源氏物語は歌を中心においた歌物語であると。そういう観点で読むと、しみじみと印象深い場面が多々ございます。本日は関屋巻を。

関屋

空蝉という、かつて源氏と関係を持ったことのある女がいて、その女は、地方官の妻となって東の方に下っている。

けれども地方官としての任期が終わって京に戻ってくる。その行列が逢坂関を通りかかった。

その日ちょうど光源氏が石山詣をするという話が届いたので、空蝉の夫である常陸介は、関の手前で行列をとめて、道の両脇によります。そこへ、逢坂の関の関屋から崩れ出すように光源氏の華やかな行列がぞろぞろと揃って道を行く。

九月晦日《ながつきつごもり》なれば、紅葉《もみぢ》の色々こきまぜ、霜枯《しもがれ》の草、むらむらをかしう見えわたるに、関屋よりさとくづれ出でたる旅姿どもの、いろいろの襖《あを》のつきづきしき縫ひ物、括《くく》り染《ぞめ》のさまも、さる方にをかしう見ゆ。

源氏は道の脇に行列をよせているのが常陸介の一行であることを知り、ではこの中に空蝉もこいるはずと、空蝉の弟右衛門佐に使いを頼み、手紙をとどけます。すると空蝉からの返事、

行くと来《く》とせきとめがたき涙をや絶えぬ清水と人は見るらむ

(常陸に行く時も帰ってくる時も、せきとめることができずあふれる涙を、絶えぬ関の清水と人は見るのでしょう)

その後、石山寺参籠が終わってから源氏は空蝉にまた歌を届けます。

わくらばに行きあふみちをたのみしもなほかひなしやしほならぬ海

(たまたま貴女と行きあったのが近江路とは、その「あふ」という言葉に期待しておりましたのに、やはりかいのないことでしたね。塩のない海=琵琶湖には貝もすんでいないですから)

空蝉が答えて、

あふさかの関やいかなる関なれば繁《しげ》きなげきの中をわくらん

(逢うという名を持つ逢坂の関とは、いったいどんな関だからといって、木の繁った中をかきわけてこんなにも深い嘆きがわいてくるのでしょう)

逢坂の関という中世における交通の要衝で、かつて関係を持っていた男と女が、今はそれぞれ別の人生を歩んでいるんだけれど、それが一瞬だけすれ違って、それを最後にまたそれぞれの人生が続いていく…

これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関。

人と人とが行き違う、逢坂の関という舞台設定が、人間の運命の上にも重なり合って、とても印象深いくだりです。

その後、空蝉の夫常陸介が亡くなると、空蝉は義理の息子からの求愛を受けるようになり、それに耐えきれず出家したとういきさつが簡潔に語られています。

逢坂の関を歩く

というわけで昨日、逢坂関を歩いてきました。JRの山科駅から京阪京津線の線路にほぼ沿って、四宮(しのみや)駅、追分(おいわけ)駅を通り越して、大谷(おおたに)駅のあたりが逢坂関です。

山中の谷間で、車がビャンビャン通るので大変うるさいです。逢坂の関の石碑が建っており、近くにはうなぎのかねよが、いつも繁盛してます。

大谷駅から大津にかけて、蝉丸を祀った神社が三つあります。蝉丸神社、関蝉丸神社上社、関蝉丸神社下社です。4年ぶりに三社参りしました。

行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関の風情は現在はほとんど感じられませんが…まあこの道が、昔の逢坂関かなと。三つの神社の社前で、蝉丸の歌を唱えてきました。

なにか逢坂の関を越えるとガラッと空気が変わるように思います。近江の風になると言いますか。山科までは京都の雰囲気で、逢坂山超えると、町並みも、雰囲気も、なんとなく京都とちがう、全てが近江風なって、琵琶湖の存在感もせまってきますしね、ああ近江の国に来たんだと実感します。

本日も左大臣光永がお話しました。

ありがとうございます。ありがとうございました。

朗読・解説:左大臣光永