【松風 11】源氏、人々を伴い桂の院へ 昼夜かけての饗応 帝より歌を賜る

いとよそほしくさし歩みたまふほど、かしがましう追ひ払ひて、御車の後《しり》に頭中将|兵衛督《ひやうゑのかみ》乗せたまふ。「いと軽々《かるがる》しき隠れ処《が》見あらはされぬるこそねたう」と、いたうからがりたまふ。「よべの月に、口惜しう御供に後《おく》れはべりにけると思ひたまへられしかば、今朝、霧を分けて参りはべりつる。山の錦はまだしうはべりけり。野辺《のべ》の色こそ盛りにはべりけれ。なにがしの朝臣《あそむ》の、小鷹《こたか》にかかづらひて立ち後れはべりぬる、いかがなりぬらむ」など言ふ。今日は、なほ桂殿《かつらどの》にとて、そなたざまにおはしましぬ。にはかなる御|饗応《あるじ》と騒ぎて、鵜飼《うかひ》ども召したるに、海人《あま》のさへづり思し出でらる。野にとまりぬる君達《きむだち》、小鳥しるしばかりひきつけさせたる荻《おぎ》の枝など苞《つと》にして参れり。大御酒《おほみき》あまたたび順《ずん》流れて、川のわたりあやふげなれば、酔《ゑ》ひに紛れておはしまし暮らしつ。おのおの絶句《ぜく》など作りわたして、月はなやかにさし出づるほどに、大御遊《おほみあそ》びはじまりて、いと今めかし。弾き物、琵琶和琴《びわわごん》ばかり、笛ども、上手のかぎりして、をりにあひたる調子吹きたつるほど、川風吹きあはせておもしろきに、月高くさし上がり、よろづのこと澄める夜の、やや更くるほどに、殿上人四五人ばかり連れて参れり。上にさぶらひけるを、御遊びありけるついでに、「今日は六日の御|物忌《ものいみ》あく日にて、必ず参りたまふべきを、いかなれば」と仰せられければ、ここにかうとまらせたまひにけるよし聞こしめして、御消息あるなりけり。御使は蔵人弁《くらうどのべん》なりけり。

「月のすむ川のをちなる里なればかつらのかげはのどけかるらむ

うらやましう」とあり。かしこまりきこえさせたまふ。上の御遊びよりも、なほ所がらのすごさ添へたる物の音をめでて、また酔ひ加はりぬ。ここには設《まう》けの物もさぶらはざりければ、大堰《おほゐ》に、「わざとならぬ設けの物や」と、言ひ遣はしたり。とりあへたるに従ひて参らせたり。衣櫃《きぬびつ》二|荷《かけ》にてあるを、御使の弁はとく帰り参れば、女の装束《さうずく》かづけたまふ。

久かたのひかりに近き名のみしてあさゆふ霧も晴れぬ山里

行幸《ぎやうがう》待ちきこえたまふ心ばへなるべし。「中に生ひたる」とうち誦《ずん》じたまふついでに、かの淡路島《あはぢしま》を思し出でて、躬恒《みつね》が、「所がらか」とおぼめきけむことなどのたまひ出でたるに、ものあはれなる酔泣きどもあるべし。

めぐり来て手にとるばかりさやけきや淡路の島のあはと見し月

頭中将、

うき雲にしばしまがひし月かげのすみはつるよぞのどけかるべき

左大弁、すこし大人びて、故院の御時にも睦《むつ》ましう仕うまつり馴れし人なりけり、

雲のうへのすみかをすててよはの月いづれの谷にかげかくしけむ

心々にあまたあめれど、うるさくてなむ。け近ううち静まりたる御物語すこしうち乱れて、千年《ちとせ》も見聞かまほしき御ありさまなれば、斧《をの》の柄《え》も朽ちぬべけれど、今日さへは、とて急ぎ帰りたまふ。物ども品々にかづけて、霧の絶え間に立ちまじりたるも、前栽《せんざい》の花に見えまがひたる色あひなど、ことにめでたし。近衛府《このゑづかさ》の名高き舎人《とねり》、物の節《ふし》どもなどさぶらふに、さうざうしければ、「その駒《こま》」など乱れ遊びて、脱ぎかけたまふ色々、秋の錦を風の吹きおほふかと見ゆ。ののしりて帰らせたまふ響き、大堰《おほゐ》には物隔てて聞きて、なごりさびしうながめたまふ。御消息をだにせで、と大臣も御心にかかれり。

現代語訳

たいそう美麗に装って静かに歩み出される時、大声で先駆けをさせて、源氏の君は、御車の後の座席に頭中将と兵衛督をお乗せになる。(源氏)「ひどくつまらない隠れ処を見つけられて、恨めしいことよ」と、たいそうお困惑したご様子でいらっしゃる。

(頭中将ら)「昨夜の月の折に、御供に遅れてしまいましたことが残念に存ぜられましたので、今朝は、霧を分けて参上いたしました。山の錦にはまだ早うございましたが、野辺の色どりは今が盛りでございますよ。なにがしの朝臣が、小鷹狩にかまけて立ち遅れましたのは、どうなりましたでしょう」など言う。

今日は、やはり桂殿へということで、そちらのほうにおいでになった。急なご饗応をと騒ぎ立てて、鵜飼たちをお召しになったが、あの海人のおしゃべりが自然と思い出される。

野宿していた若者たちが、小鳥を形だけ結びつけさせた荻の枝などを土産にして参上した。

大御酒の盃が何度も順々に回されて、川の辺りを歩くことは危なそうなので、源氏の君以下、酔いに紛れてここに一日中いらした。

めいめい絶句など次々と作って、月があざやかにさし出る頃には、管弦の遊びがはじまって、たいそう華やかなことである。

弾き物は、琵琶・和琴ぐらいで、笛は、名人だけが吹いて、折にかなった調子を吹いているうちに、川風が吹き合わせて風情あふれる中、月が高くさし上がり、万事澄み渡った感じの夜が、やや更けてきた時に、殿上人が四五人ほど連れだって参上した。

彼らは殿上の間にお仕えしていたのだが、管弦の御遊のついでに、(帝)「今日は六日の御物忌が明ける日なので、源氏の大臣は必ず参上されるはずなのに、どうしたのだ」と仰せられたので、ここ(桂の院)にこうしてご逗留なさっている次第をお聞きつけになって、帝から御消息があるのだった。御使は蔵人弁《くろうどのべん》であった。

(帝)「月のすむ…

(月が住む…澄んでいる川の向こうにあるという桂の里だから、月の光ものどかで、貴方ものんびりしていることでしょう)

うらやましいことです」とある。源氏の君は参内しないことのお詫びを申し上げなさる。

殿上の御遊びよりも、やはり所がらの荒れ詫びた感じが加わった楽の音を愛でて、また酔がました。

ここには用意している物もなかったので、大堰邸に、「ことさらめいた感じではない引き出物はございますか」と言い遣わした。ありあわせのままに持ってきたのを献上した。衣櫃がニ荷あるのを、御使の弁はすぐに帰参するので、女ものの装束を肩にかけておやりになる。

(源氏)久かたの…

(この桂の里は月の光に近いという評判ばかりで、実際は朝夕霧も晴れない山里でございます)

これは帝の行幸をお待ち申し上げなさるお気持ちなのであろう。(源氏)「中に生ひたる」と口ずさみなさるついでに、あの淡路島を思い出されて、躬恒が、「所がらだろうか」といぶかしがったことなど仰せ出されると、しみじみ心打たれて酔い泣きする人たちもあるようだ。

(源氏)めぐり来て…

(月日は廻り私はふたたび都にもどってきた。空には手に取るほどはっきりと見える月影。あれは明石の浦で「淡路の島のあは」と見たのと本当に同じ月なのだろうか)

頭中将、

うき雲に…

(浮き雲にしばらくまぎれていた月の光が澄みきっているように、いやな目にあってしばらく行方をくらませていた貴方が戻ってきて都に住んでいるのは、今の世が平和であるということです)

左大弁、この人は少し年長で、故院の御在世の御時もいつも近しくお仕え申し上げていた人なのであった。

(左大弁)雲のうへの…

(雲の上のすみか…宮中を捨てて、夜半の月…故桐壺院は、どこの谷にお姿を隠されたのでしょうか)

思い思いに多くの歌が詠まれたようだが、あまり煩雑になるので…。ごく内輪の人々だけのひそひそ話話が、少しくだけてきて、千年も見聞きしていたい源氏の君の御様子なので、なるほど斧の柄も朽ちてしまうようだが、昨日につづけて今日まではさすがにということで、急いでお帰りになる。

多くの引き出物をそれぞれの身分に応じて肩にかけて、それらが霧の絶え間に立ちまじっているのも、植込みの花に見紛うばかりで、その色合いなどは、格別に素晴らしい。

近衛府の舞や楽にたいそう心得ある舎人や、物の節たちなどがお仕えしていたので、このままでは物足りないので、「その駒」などを即興で謡って、人々が褒美に脱いで肩におかけになる色とりどりの衣は、秋の錦を風が吹きおおうのかと見える。

大騒ぎして源氏の君の御一行がお帰りになる響きを、大堰邸では物を隔てて聞いて、その名残をさびしく物思いに沈んでおられる。「お手紙すら出さないで…」と、源氏の大臣も御懸念しておられる。

語句

■頭中将 兵衛督 両方、ここでのみ登場する人物。 ■からがりたまふ 「辛がる」は辛そうにする。 ■山の錦 紅葉。 ■まだしう 「未だし」はまだ早い。 ■小鷹 小鷹狩。秋、隼などを使ってうずらなどの小鳥を捕らえる狩。大鷹狩に対していう。大鷹狩は冬に鷹の雌を使って雁・雉子など大型の鳥を捕らえる狩。 ■今日は 二条院に戻る予定を変更して桂の院に向かう。 ■鵜飼 桂川は昔、鵜飼の名所であった。現在「嵐山の鵜飼」が行われている。 ■海人のさへづり 須磨・明石できいた海人たちのおしゃべり(【須磨 21】【明石 】)。 ■野にとまりぬる君達 少し前に「なにがしの朝臣の、小鷹にかかづらひて立ち遅れはべりぬる」とあった。 ■小鳥しるしばかり 「宇治宝蔵日記伝、永観年中、朱雀院へたてまつる小鳥、荻の枝一すぢに雲雀五を、馬尾にて鼻をとをしてならべ付たりと云々」(河海抄)。 ■順流れて 盃が順々に回ってくること。 ■川のわたりあやふげなれば 酔っているので足元がふらつき川べりはあぶない。 ■絶句 漢詩の形式。四句からなり五言絶句と七言絶句がある。 ■こと澄める 「こと」は「事」と「琴」をかける。 ■上 清涼殿の殿上の間。 ■六日の物忌 宮中における六日間の物忌(【帚木 02】)、もしくは中神《なかがみ》の物忌(【帚木 12】)。 ■蔵人弁 蔵人で弁官を兼ねる人。この巻にのみ登場。 ■月のすむ… 「月のすむ川」は桂川。「すむ」は「住む」と「澄む」をかける。「かつらのかげ」は月光。 ■設けの物 帝からの御使に禄として贈るべき引き出物。 ■衣櫃 衣類を入れる櫃。 ■荷 かけ。荷物を数える単位。一人で担げる程度の物。 ■女の装束 女ものの装束を禄として与えることが多い。 ■かづけたまふ 「かづく」は肩にかける。 ■久かたの 「桂に侍りける時に、七条の中宮のとはせ給へりける御返事に奉りける/久方の中に生ひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる」(古今・雑下 伊勢)。歌意は、月の中に生えた桂のような、その名も桂の里ですので、月の桂が月の光を頼りにするように、私も中宮さまのご寵愛を頼りにするほかないように存じます。 ■中に生ひたる 前の引用歌。 ■かの淡路島(【明石 08】)。 ■躬恒が 「淡路にてあはとはるかに見し月の近き今宵は所がらかも」(新古今・雑上 躬恒)。 ■おぼめきけむ 「おぼめく」はいぶかしがる。不審に思う。 ■めぐり来て… 源氏がかつて明石の浦でよんだ歌「あはと見る淡路の島のあはれさへ残るくまなく澄める夜の月」をふまえる。「めぐり来て」は月日が廻ってきての意と、都に帰ってきての意をかける。「さやけき」はさやけき月の意。明石の浦にいた頃と都にもどってきた現在の境遇の落差が実感されるのである。 ■うき雲に… 「うき雲」は「浮き雲」と「憂き雲」をかける。「月かげ」は源氏。「すみ」は「澄み」と「住み」をかける。「よ」は「夜」と「世」をかける。「のどけかるべき」は前述の帝の歌の「のどけかるらむ」をふまえる。 ■左大弁 右大弁とする本も。 ■雲のうへの… 「雲のうへのすみか」は宮中。「かげかくす」は故桐壺院が崩御されたことをいう。 ■心々に 源氏・頭中将・左大弁は同じ月を詠みながらその趣向や意味するところは三者三様である。 ■斧の柄も朽ちぬべけれど 前も紫の上の台詞の中に出てきた。晋の王質が山中で童子が碁を打つのに見とれていると斧が腐ってしまった。驚いて家に戻ると七世の孫がいたという故事(述異記)による(【松風 06】)。 ■今日さへは 下に、二条院に帰還せぬわけにいかぬの意を補う。 ■近衛府 近衛府の役人の中には舞や楽に長じていてそのような奉仕に当たる者もあった。 ■物の節 近衛府で舞や楽に長じている下級役人らしい。 ■その駒 「その駒ぞ、や、我に、我に草乞ふ、草は取り飼はむ、水は取り、草は取り飼はむや」(神楽歌・其駒)。 ■秋の錦 紅葉。 ■大堰には物隔てて聞きて 桂(現桂離宮あたり?)から大堰邸(現亀山公園あたり?)までは4キロ。とても聞こえないが、文学的に誇張した表現か。

朗読・解説:左大臣光永

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