【常夏 05】内大臣、近江の君に頭を悩まし、養育中の姫君の件で源氏とはりあう

内《うち》の大殿は、この今の御むすめのことを、殿の人もゆるさず軽《かろ》み言ひ、世にもほきたることと、護りきこゆと聞きたまふに、少将の、事のついでに、太政大臣《おほきおとど》のさることやととぶらひたまひしこと語りきこゆれば、「さかし。そこにこそは、年ごろ音にも聞こえぬ山がつの子迎へ取りて、ものめかしたつれ。をさをさ人の上もどきたまはぬ大臣の、このわたりのことは、耳とどめてぞおとしめたまふや。これぞおぼえある心地しける」とのたまふ。少将の「かの西の対に据ゑたまへる人は、いとこともなきけはひ見ゆるわたりになむはべるなる。兵部卿宮など、いたう心とどめてのたまひわづらふとか。おぼろけにはあらじとなむ、人々推《お》しはかりはべめる」と申したまへば、「いで、それは、かの大臣の御むすめと思ふばかりのおぼえのいといみじきぞ。人の心みなさこそある世なめれ。必ずさしもすぐれじ。人々しきほどならば、年ごろ聞こえなまし。あたら、大臣の、塵《ちり》もつかずこの世には過ぎたまへる御身のおぼえありさまに、面だたしき腹に、むすめかしづきて、げに瑕《きず》なからむと、思ひやりめでたきがものしたまはぬは。おほかたの、子の少なくて、心もとなきなめりかし。劣《おと》り腹《ばら》なれど、明石のおもとの産み出でたるはしも、さる世になき宿世《すくせ》にて、あるやうあらむと、おぼゆかし。その今姫君《いまひめぎみ》は、ようせずは、実《じち》の御子にもあらじかし。さすがにいと気色あるところつきたまへる人にて、もてないたまふならむ」と、言ひおとしたまふ。「さていかが定めらるなる。親王《みこ》こそまつはし得たまはむ。もとよりとりわきて御仲よし、人柄も警策《きやうざく》なる御あはひどもならむかし」などのたまひては、なほ姫君の御こと、飽かず口惜し。かやうに、心にくくもなして、いかにしなさむなど、やすからずいぶかしがらせましものをとねたければ、位さばかりと見ざらむかぎりは、ゆるしがたく思すなりけり。大臣などもねむごろに口入れかヘさひたまはむにこそは、負くるやうにてもなびかめと思すに、男方《をとこがた》は、さらに焦《い》られきこえたまはず、心やましくなむ。

現代語訳

内大臣は、今回の御むすめ(近江の君)のことを、お邸の中の人も容赦なくこきおろし、まったく間の抜けたことだと、悪く申し上げているとお聞きになっていらした折、弁少将が、なにかのついでに、太政大臣(源氏)が、そのようなことがあるのかと詮索なさっていることをお話申し上げたので、(内大臣)「それ来た、いつものやり口だ。そちらこそ、ここ数年、噂にも聞いたことのなかった山賤の子を迎え取って、一人前に扱っているではないか。滅多に人の悪口はおっしゃらない大臣だが、このあたり(内大臣家)のことは、聞き耳を立てて、けなさることよ。これこそ覚えめでたい気持にもなるというものだ」とおっしゃる。少将が「あちらの西の対にすまわせておられる方(玉鬘)は、まことに申し分ないようすに見える方だそうです。兵部卿宮などが、ひどく心をとどめて言い寄ってもうまくいかず、困っているとか。並大抵の美しさではなかろうと、人々は推察しているようです」と申し上げなさると、(内大臣)「さあどうであろうか。それは、あの大臣の御むすめと思うから、それだけで、そんなに評判になるのだ。人の心はみなそのような今の世の中であるらしい。きっとそうすぐれてもおるまい。人並みであるなら、何年も前から評判になっているだろうに。惜しいことに、あれだけの大臣が、塵ひとつつかぬほどに完璧で、この世には過ぎていらっしゃる御身の名声やお暮らしぶりなのに、ほまれ多いご正妻の腹に、可愛がって、まことに欠けたところもないだろうと、察せられるような結構な姫君が、いらっしゃらないのだからね。だいたいが、子が少ないから、不安なのだろう。それよりは劣り腹だが、明石の君の産んだ姫君は、あのような世にまたとない幸運にめぐまれて、将来もどうにかなるだろうと、思われるのだよ。さっき話に出た今の姫君(玉鬘)は、悪くすると実の御子でもないかもしれない。やはり大臣は一癖おありになる方だから、それでも大切にお育てになっていらっしゃるのだろうよ」と悪くおっしゃる。(内大臣)「さてどう決着をつけるおつもりか。おおかた兵部卿宮がその姫君(玉鬘)にまとわりついて手にお入れになるのだろう。もともと兵部卿宮は源氏の大臣ととりわけ御仲がよいし、人柄も秀でた、よい御関係におなりだろう」などとおっしゃっては、やはり姫君(雲居雁)のことが、諦めきれずに残念である。この源氏の殿のように、姫君をもったいぶって扱って、婿はどうするのだろうなどと、周囲を不安にさせてやきもきさせたかったのにと恨めしいので、少将(夕霧)のが結婚にふさわしい位まで昇進したと見ないかぎりは、結婚はゆるしがたくお思いになっていらっしゃるのだった。父の大臣(源氏)なども熱心に口添えをしてお願いになるのであったら、根負けしたような形で結婚を認めようとお思いになっているのだが、男君(夕霧)は、まったく焦った様子をお見せにならないことが、内大臣は面白くないのである。

語句

■殿の人 内大臣邸に仕える人々。 ■ほきたること 「惚く・呆く」は、間が抜けている。 ■太政大臣のさることやととぶらひたまひしこと 源氏が近江の君について尋ねたこと(【常夏 01】)。 ■さかし 源氏はいつもそうやって人の欠点を見逃さず攻撃してくるの意。 ■をさをさ人の上もどきたまはぬ大臣 「なほあるを、よしともあしともかけたまはず…」(【螢 08】)。 ■おぼえある心地 皮肉。 ■それは 玉鬘が美しいという評判が立つのは。 ■塵もつかず まったく欠点がないこと。参考「塵をだにすゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝るとこなつの花」(古今・夏 躬恒)。 ■面だたしき腹 正妻の紫の上の腹。 ■心もとなし 子供が少ないと一族の繁栄を維持できないから。内大臣はその点で源氏に優越感を抱く。 ■劣り腹 明石の君の父は播磨守。皇族である紫の上と比べると血筋で劣る。 ■明石のおもと 明石の君。「おもと」は女房ていどの身分の女性への敬称。 ■さる世になき宿世 明石の姫君が紫の上の養女となったこと(【少女 11】)を内大臣は言う。しかし読者に対しては明石の姫君が将来后になるという予言(【澪標 05】)を思い起こさせる。 ■実の御子にもあらじかし 前述「人々しきほどならば、年ごろ聞こえなまし」が根拠となる。玉鬘が長年評判にならなかったのは源氏の実子ではないのだろうと内大臣はいうのだが、玉鬘は内大臣の実子なので、つまり玉鬘が評判にならなかったことは内大臣の名声が低いという話にもなる。それを自ら気づかずに言っているところに諧謔がある。 ■いかが定めらるなる 玉鬘の縁組を。それによっては自分が不利になることもあるので内大臣は警戒する。 ■もとよりとりわきて御仲よし 源氏と兵部卿宮の仲がよいことはこれまでも何度か描写されている(【胡蝶 04】)。 ■警策なる 人が驚くほど秀でているの意。 ■姫君のこと 雲居雁を入内させそこなったことが内大臣には諦めきれない。 ■さらに焦られきこえたまはず 「おほかたは焦られ思へらず」(【螢 11】)。

朗読・解説:左大臣光永

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