【真木柱 19】兵部卿宮、玉鬘に文をよこす 帝、玉鬘のもとにおいでになる

原文

兵部卿宮、御前の御遊びにさぶらひたまひて、静心《しづごころ》なく、この御|局《つぼね》のあたり思ひやられたまへば、念《ねん》じあまりて聞こえたまへり。大将は衛府《つかさ》の御曹司《みざうし》にぞおはしける、それよりとて取り入れたれば、しぶしぶに見たまふ。

「深山木《みやまぎ》に羽翼《はね》かはしゐる鳥のまたなくねたき春にもあるかな

囀《さへづ》る声も耳とどめられてなん」とあり。いとほしう面《おもて》赤みて、聞こえん方なく思ひゐたまへるに、上《うへ》渡らせたまふ。

月の明《あか》きに、御|容貌《かたち》はいふよしなくきよらにて、ただかの大臣の御けはひに違《たが》ふところなくおはします。かかる人はまたもおはしけりと見たてまつりたまふ。かの御心ばへは浅からぬも、うたてもの思ひ加はりしを、これはなどかはさしもおぼえさせたまはん。いとなつかしげに、思ひしことの違《たが》ひにたる恨みをのたまはするに、面《おもて》おかん方《かた》なくぞおぼえたまふや。顔をもて隠して、御|答《いら》へも聞こえたまはねば、「あやしうおぼつかなきわざかな。よろこびなども、思ひ知りたまはんと思ふことあるを、聞き入れたまはぬさまにのみあるは、かかる御|癖《くせ》なりけり」とのたまはせて、

「などてかくはひあひがたき紫をこころに深く思ひそめけむ

濃くなりはつまじきにや」と仰せらるるさま、いと若くきよらに恥づかしきを、違《たが》ひたまへるところやある、と思ひ慰めて聞こえたまふ。宮仕《みやづかへ》の﨟《らふ》もなくて、今年|加階《かかい》したまへる心にや。

「いかならん色とも知らぬ紫をこころしてこそ人はそめけれ

今よりなむ思ひたまへ知るべき」と聞こえたまへば、うち笑みて、「その今よりそめたまはんこそ、かひなかべいことなれ。愁《うれ》ふべき人あらば、ことわり聞かまほしくなむ」と、けしきいたう恨みさせたまふ御気色のまめやかにわづらはしければ、いとうたてもあるかなとおぼえて、をかしきさまをも見えたてまつらじ、むつかしき世の癖《くせ》なりけり、と思ふに、まめだちてさぶらひたまへば、え思すさまなる乱れ言《ごと》もうち出でさせたまはで、やうやうこそは目馴れめと思しけり。

(帝)「などてかく……

(どうしてこう、一緒になることのできない縁であった貴女のことを、心に深く思い染めてしまったのでしょうか)

これ以上濃くなることのできない私たちの関係だったのでしょうか」と仰せになられるさまは、まことに若く美しげでこちらが気詰まりするほどであるので、尚侍の君は、この君も、源氏の君に違うところのない素晴らしさだと、気持ちを静めてご返事なさる。宮仕えの功労もないのに、今年位階を賜った感謝のお気持ちだろうか、

(玉鬘)「いかならん……

(どんなお情けで賜ったかも知らなかった紫の衣。大変な御心ざしで思い染めなさったことだったのですね)

今からは、ありがたい御恩をよくわきまえ知った上で、お仕えいたしましょう」と申し上げなさると、帝はお笑いになって、(帝)「その、今になってわきまえ知りなさるのでは、かいのないことなのですよ。私の訴えを聞いてくれる人があれば、道理を聞いてみたいものです」と、ひどくお恨みでいらっしゃるご様子が真剣で、気づまりに感じられたので、尚侍の君は、ひどく情けないことになったとお思いになって、こんなことならもう脈のあるようなそぶりはお見せするまい、男女の関係とは常にこうしたわずらわしいものであったのだと思うので、後はもうすまして控えていらっしゃるので、帝は、思う通りのうちとけた言葉も仰せになることがおできにならず、尚侍の君も、そのうちだんだん馴染んでくれるだろうと、おぼしめされるのだった。

現代語訳

兵部卿宮は、帝の御前の管弦の御遊びにお仕えしていらしたが、お気持ちがそわそわして、この尚侍の君の御局のあたりが気になっておいでなので、我慢がおできにならずご連絡を差し上げなさった。大将(髭黒)は近衛府の御曹司にいらっしゃった。そちらからといって文が届いて、女房が取り入れたので、尚侍の君(玉鬘)は、しぶしぶ御覧になる。

(螢兵部卿宮)「深山木に…

(深山木に羽を交わしている鳥のように、貴女は大将殿と結婚生活を営んでいらっしゃいます。それがまたとなく、ねたましい春でありますよ)

鳥のさえずる声も耳に聞こえてまいりますよ」とある。尚侍の君(玉鬘)は宮のことが不憫に思われて、顔を赤らめて、お返事のしようもなく、どうお答えしようか考えておられるところに、帝がおでましになる。

月の明るい光に映えて、帝の御顔立ちはなんともいいようもなく美しく、ただあの大臣(源氏)の御気配と違うところもなくていらっしゃる。こんなにも素晴らしい御方が二人も世の中にいらしたのだ、と尚侍の君は拝見なさる。あの大臣(源氏)が寄せてくださったお気持ちは浅くないものであったが、不愉快なもの思いの種が加わったのものである。だがこちらの帝は、どうしてそんなよこしまなお考えなどお持ちでいらっしゃるだろうか。まことにやさしそうに、思っていたことと違うことになった恨み言を仰せになるので、尚侍の君は、顔向けしようもなくつらい思いでいらっしゃる。顔を扇で隠して、ご返事もお申し上げにならないので、(帝)「妙にはっきりしないことですね。今回の叙位のことなどからも、私の気持ちはわかってくださっていると思っておりましたが、気にもとめていらっしゃらないようにばかりしているのは、貴女のそうした御癖なのでしたね」と仰せになって、

語句

■御前の御遊び 男踏歌の後の帝の御前での管弦の遊び。 ■静心なく 兵部卿宮はかつて玉鬘に懸想しており今もその気持を捨てきれずにいる。同じ宮中に玉鬘がいると思うといたたまれない。 ■衛府の御曹司 前の「宿直所」(【真木柱 18】)と同じ、近衛府の詰所。 ■深山木に… 「深山木」が髭黒。「鳥」が玉鬘。【紅葉賀 01】に、源氏とくらべて頭中将のことを「容貌《かたち》用意人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木《みやまぎ》なり」とある。『源氏物語』における「深山木」という語は、「見事だが第一というには劣る」という意をふくむ。「またな《又鳴》くね《音》」に「またなくねた《妬》き」をかける。 ■囀る声も 「百千鳥さへづる春は物ごとにあらたまれども我ぞふりゆく」(古今・春上 読人しらず)を引く。 ■面赤みて 玉鬘は兵部卿宮に同情的。前も「宮の御心ざまの心深う情々しうおはせしなどを思い出でたまふに、恥づかしう口惜しうのみ思ほすに…」とあった(【真木柱 03】)。 ■月の明きに 前に「夜明けぬ。ほのぼのとをかしき朝ぼらけ」(【真木柱 17】)とあり、有明の月とわかる。 ■かかる人はまたもおはしけり 玉鬘は大原野行幸のときも帝を拝して「かかるたぐひはおはしがたかりけり」と思った(【行幸 02】)。 ■思ひしことの違ひになる恨み 宮仕えに出ないで鬚黒の妻になったことの恨み。 ■よろこび 叙位のこと。次の歌の「紫」の語から玉鬘が三位に叙せられたことがわかる。 ■むつかしき世の癖なりけり 玉鬘は、帝は自身に対して源氏のような邪な恋情などいだくまいと思っていたが、その予想がはずれた。あらためて男は皆こういうものなのだと実感する。 ■まめだちて 色めいた空気にならないように、あくまで事務的に接する。 ■

朗読・解説:左大臣光永