【横笛 04】薫の成長 月日につれての源氏、夕霧の感慨

月日にそへて、この君のうつくしう、ゆゆしきまで生ひまさりたまふに、まことに、このうきふしみな思し忘れぬべし。「この人の出でものしたまふべき契りにて、さる思ひの外《ほか》の事もあるにこそはありけめ。のがれ難かなるわざぞかし」とすこしは思しなほさる。みづからの御|宿世《すくせ》も、なほ飽《あ》かぬこと多かり。あまた集《つど》へたまへる中にも、この宮こそは、かたほなる思ひまじらず、人の御ありさまも思ふに飽かぬところなくてものしたまふべきを、かく思はざりしさまにて見たてまつること、と思すにつけてなむ、過ぎにし罪ゆるしがたく、なほ口惜しかりける。

大将の君は、かのいまはのとぢめにとどめし一言を心ひとつに思ひ出でつつ、いかなりし事ぞとは、いと聞こえまほしう、御気色もゆかしきを、ほの心えて思ひよらるる事もあれば、なかなかうち出でて聞こえんもかたはらいたくて、いかならむついでに、この事のくはしきありさまも明《あき》らめ、また、かの人の思ひ入りたりしさまをも聞こしめさせむ、と思ひわたりたまふ。

現代語訳

月日が経つにつれて、この君が可愛らしく、不吉なまでに立派にご成長なさるので、院(源氏)は、まことに、あの辛い出来事をみなお忘れになってしまいそうである。「この人がお生まれになるべき前世からの契りがあって、あのような思いの外の事も起こったのだろう。のがれ難い運命であるよ」とすこしはお考え直しになられる。しかしみずからのご宿命についても、やはりご不満なことが多いのだ。御方々が多く集まっていらっしゃる中にも、この宮(女三の宮)こそは、何ひとつ不足を感じるところもなく、お人柄も、考えるにつけ不満なところがないようでいらっしゃるはずなのに、こうして思いもしなかったご出家姿で拝見することになろうとは、とお思いになるにつけ、過去の罪もゆるしがたく、やはり無念にお思いになられる。

大将の君(夕霧)は、衛門督(柏木)が、臨終の際に言い残した一言を自分の心の中にだけ思い出しては、どういう事なのですかと、ぜひ父院(源氏)にお尋ね申し上げたいし、その時の父院のご様子も見てみたいと思うが、なんとなく思い当たって想像される事もあるので、かえって言葉に出して申し上げることは気が引けて、なにかの機会に、この事の詳しい事情もはっきりさせて、また、かの人(柏木)が思い詰めていた様子をも父院に申し上げようと、ずっと考えていらっしゃる。

語句

■ゆゆしきまで 「月日経て、…いとど、この世のものならず、きよらにおよすけたまへれば、いとゆゆしう思したり」(【桐壺 09】)。 ■まことに 前の源氏の歌「うきふしも…」を受ける。 ■さる思ひの外の事 柏木と女三の宮の密通事件。 ■のがれ難かなるわざぞかし 源氏は柏木と女三の宮の密通を前世からの定めであったと思うようにして、咎めだてしないようにする。 ■みづからの御宿世も 女三の宮の婿選びの時、左中弁が源氏の言葉として引用したのが、「この世の栄え、末の世に過ぎて、身に心もとなきことはなきを、女の筋にてなん、人のもどきをも負ひ、わが心にも飽かぬこともある」(【若菜上 05】)。 ■かく思はざりしさまにて 女三の宮は素性も皇女で申し分なく、准太上天皇たる源氏の正妻でありながら、出家してしまった。 ■過ぎにし罪 柏木と女三の宮との密通の罪。 ■かのいまはのとぢめ 柏木の臨終の際。 ■とどめし一言 柏木の遺言(【柏木 07】)。 ■心ひとつに 夕霧は柏木からこの事を他言しないよう頼まれた(【同上】)。 ■御気色もゆかしき その時の源氏の表情や挙動を見てみたい(【柏木 09】)。 ■ほの心えて 夕霧は、柏木が女三の宮に執心していることは知っていたが、密通の事実までは思いよらなかった(【若菜下 37】)。しかし柏木の臨終の言葉や女三の宮の突然の出家から、薄々気づき始めた(【柏木 09】)。 ■いかならむついでに 柏木は夕霧に、機会があったら六条院(源氏)へのとりなしを願うと遺言した(【柏木 07】)。夕霧は故人の願いをかなえてやりたいと思う。

朗読・解説:左大臣光永