源氏物語の現代語訳つくってます 紫の上の嫉妬と源氏の言い訳

こんにちは。左大臣光永です。

本日は、『源氏物語』の現代語訳をつくってます、ということで、その途中経過のような話です。

「紫の上の嫉妬と、源氏の言い訳」ということを中心に語ります。

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紫の上を見初める

昔から言われることに源氏物語はマザコン文学でありロリコン文学であると。

光源氏は幼い頃に母桐壺更衣をなくしていますので、母の面影を追い求めて、次から次に女性と関係を持つわけです。それはひとえに母の面影を求めて。

中でも一番の本命が、父桐壺院の后である藤壺宮です。母に似ているという、憧れの女性です。

しかし天皇の后ですから、雲の上の存在です。手が届かない。

そこで、なんとか藤壺の代わりがほしいと、藤壺の血筋の少女が祖母に養育されてひっそり暮らしていたのを、誘拐してきて、一から自分好みの女に、藤壺に似た女に、育て上げる。

これが源氏物語前半の、主要な筋のひとつです。

京都の北山で光源氏が幼い紫の上を見初める名場面は、後世の文学作品にさまざまに影響を与えています

きよげなる大人二人ばかり、さては童《わらは》べぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣《きぬ》、山吹などの萎えたる着て、走り来たる女子《をむなご》、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなる容貌《かたち》なり。髪は扇《あふぎ》をひろげたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。

「何ごとぞや。童《わらは》べと腹立ちたまへるか」とて、尼君の見上げたるに、すこしおぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。「雀の子を犬君《いぬき》が逃がしつる。伏籠の中に籠めたりつるものを」とて、いと口借《くちを》しと思へり。このゐたる大人、「例の、心なしの、かかるわざをしてさいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方《かた》へかまかりぬる。いとをかしうやうやうなりつるものを。烏《からす》などもこそ見つくれ」とて立ちて行く。

頬《つら》つきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額《ひたひ》つき、髪《かむ》ざし、いみじううつくし。ねびゆかむさまゆかしき人かな、と目とまりたまふ。さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれるが、まもらるるなりけり、と思ふにも涙ぞ落つる。

【現代語訳】
こざっぱりした女房が二人ほど、それと、きっと女の子だろう、出たり入ったりして遊んでいる。その中に、十歳ぐらいだろうかと見えて、白い下着に、山吹襲の着ならしたのを着て、走って来た女の子は、多く見えている他の子供たちにまったく似ておらず、たいそう成長した末が想像されて、かわいらしい姿である。

髪は扇をひろげたようにゆらゆらとして、顔はたいそう赤くなるほど手でこすって、立っている。

(尼)「何ごとですか。子供たちと喧嘩なさったの」といって、尼君が見上げると、すこし似ているところがあるので、子だろうと源氏の君は御覧になる。

(女子)「雀の子を犬君《いぬき》が逃してしまったの。伏籠の中に入れておいたのに」といって、たいそう残念がっている。そこに座っていた女房が、「いつもの、分別のない女房が、このようなことをして、お咎めを受けるのは、ひどく感心しないことね。雀の子はどこへ行ってしまったのでしょう。たいそう可愛らしく、だんだんと成長していたのに。烏などが見つけたら大変」といって立ち去る。

少女は、顔つきはたいそう可愛らしく、眉のあたりに美しさがただよい、子供っぽく髪の毛を脇へかきやった額のようすも、髪の生え方も、とても可愛い。将来のさまが楽しみな人だなと、源氏の君はじっと見つめていらっしゃる。

それは、限りなく心を尽くし申し上げている人(藤壺)に、この少女がとてもよく似ているので、目を離すことができないのだと、思うにつけても涙が落ちる。

紫の上をさらう

この少女が、実は憧れの藤壺の姪にあたるということを、源氏は後にきいて、ならば私が預かりましょう。面倒を見ますと申し出ます。すると女の子の世話をしていた祖母と祖母の兄である僧都とが、そんな、話が急すぎますと、断るけれど、その後も源氏は何かにつけて、しつこく、何としても私が預かります、立派に育ててみせますと、繰り返し、圧力をかける。しかし尼君も、僧都もなかなか首をたてにふらないので、ええいキリがないと、ある晩だますように連れ出して、さらっていきます。

紫の上の嫉妬と源氏の弁解

さて、紫の上は、はじめ、可愛く素直な、天真爛漫とした女の子として登場するのに、成長して、源氏との付き合いが続くにつれて、やさぐれて、ネチネチと嫌味を言いがちな、嫉妬深い女になっていくのが悲しいです。

源氏が外でまた新しい愛人を作る。紫の上は屋敷で待っている。ツンとして口もきかない。また何か誤解してらっしゃるようですねと源氏が茶化す。紫の上、嫉妬にかられて嫌味を言う。

その嫌味が、教養があるもの同士ですので、古典の言葉などを引用しつつ、とても高度な嫌味を言うわけです。それが現代人からすると、さっぱり意味がわからない。宇宙人の言葉に聞こえます。

とにかく高度な、もって回った嫌味を言うので、いよいよ夫婦仲がギスギスする。

そして光源氏という男は、絶対に自分の非を認めないです。どんなに苦しい状況にあっても、必ず何か言い訳します。よくこんだけいろんな言い訳が出てくるなと、感心するぐらいいろんなこと言います。

これは源氏が朝顔の姫君という女性のもとに足繁く通っているときの言い訳です。現代語訳で。

「この頃私が訪れないことを、以前はなかったことだから不機嫌にお思いになるだろうことも、それは当然でありますし気の毒に思いますが、今はそうはいってものんびりとお考えてになっていてください。大人びたようでいらっしゃるが、まだたいそう人の気持ちもご想像できず、人の心もわからないようでいらっしゃるのが、お可愛いですよ」

「たいそうひどく子供っぽくいらっしゃるのは、誰がお仕付け申したのでしょうか」…

「もしや変に勘違いしておられるむきがあるのでしょうか。それはまったく見当違いな事ですよ。自然とおわかりになられるでしょう。あの御方は、昔からひどく親しみにくい御気性なのですが、さびしく物足りない折々、恋文めいたお手紙を送ってお悩ましすると、あちらも退屈にしていらっしゃるところなので、時々はお返事などもさないますが、本気のことではないのですから、これこれのわけだと貴女に泣き言を申し上げねばならぬようなことでしょうか。後ろめたいことはないと、思い直してください」

こんな感じで源氏が実に雄弁に言い訳するので、紫の上はますますふてくされる。

源氏、浮気する。
紫の上、嫌味をいう。
源氏、言い訳する。
紫の上、ふてくされる。

これが何度も繰り返されるパターンです。

面白い事に『源氏物語』は世代を超えたドラマなので、次の世代においても、源氏の息子の夕霧と致仕大臣(頭中将)の娘の雲居雁が夫婦になって、嫌味・言い訳・嫌味・言い訳…と、夫婦漫才みたいなことが繰り広げられます。

光源氏と紫の上の夫婦間のやり取りが、次の世代の夕霧と雲居雁の間でも繰り返される、こうした物語の構造も、見どころのひとつだと思います。

朗読・解説:左大臣光永

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