【横笛 01】柏木の一周忌

故権大納言のはかなく亡《う》せたまひにし悲しさを、飽かず口惜しきものに恋ひ偲《しの》びたまふ人多かり。六条院《ろくでうのゐん》にも、おほかたにつけてだに、世にめやすき人のなくなるをば惜しみたまふ御心に、まして、これは、朝夕《あさゆふ》に親しく参り馴《な》れつつ人よりも御心とどめ思《おぼ》したりしかば、いかにぞや思し出づることはありながら、あはれは多く、をりをりにつけて偲びたまふ。御はてにも、誦経《ずきやう》などとりわきせさせたまふ。よろづも知らず顔にいはけなき御ありさまを見たまふにも、さすがにいみじくあはれなれば、御心の中《うち》にまた心ざしたまうて、黄金百両《こがねひやくりやう》をなむ別《べち》にせさせたまひける。大臣《おとど》は心も知らでぞかしこまりよろこび聞こえさせたまふ。

大将の君も、事ども多くしたまひ、とりもちてねむごろに営みたまふ。かの一条宮《いちでうのみや》をも、このほどの御心ざし深くとぶらひきこえたまふ。兄弟《はらから》の君たちよりもまさりたる御心のほどを、いとかくは思ひきこえざりきと、大臣《おとど》、上《うへ》も喜びきこえたまふ。亡き後《あと》にも、世のおぼえ重くものしたまひけるほどの見ゆるに、いみじうあたらしうのみ思し焦《こが》るること尽きせず。

現代語訳

故権大納言(柏木)がはかなくお亡くなりになった悲しさを、悔やんでも悔やみきれない残念なこととして恋い偲ばれる人が多かった。六条院(源氏)にあらせられても、特別なご関係がなくてさえ、世間に有用な人がなくなることを惜しまれるご性分なので、ましてこの衛門督(柏木)は、朝夕に親しくいつも参っては、人よりもご贔屓にしていらしたのだから、どうしたことだろうか、お思い出される苦いご記憶はあったとしても、しみじみ故人を悼むお気持ちが多く、折々につけてお偲びになる。一周忌のご法事なども、格別に立派におさせになる。院(源氏)は、何も知らずあどけない若君(薫)のご様子をご覧になるにつけても、さすがにひどく胸にこみあげるので、御心の中でまた若君のぶんとして別に供養のお気持ちを起こされて、黄金百両を別に追善んおさせになった。大臣(致仕の大臣)は事情もご存知ないので恐縮して、お礼を申しあげなさる。

大将の君(夕霧)も、布施を多くなさって、お世話役となって、追善供養の法事を主催なさる。あの一条宮にも、今回一周忌だということで、ご熱心にお見舞い申し上げなさる。兄弟の君たちよりもまさっている大将の御心の深さを、「ほんとうに、ここまでとは存じ上げなかった」と、大臣(致仕の大臣)も、北の方も、よろこび申し上げなさる。亡き後にも、衛門督(柏木)は世間の信望が重くていらっしゃったことがわかるにつけ、大臣(致仕の大臣)らは、衛門督が若くして亡くなったことが、ひどく惜しいこととばかり思って、果てしなく恋い焦がれていらっしゃる。

語句

■故権大納言 柏木。前年二月に死去。死の直前、中納言(兼右衛門督)から権大納言に昇進(【柏木 07】)。 ■はかなく亡せたまひにし 柏木は「泡の消え入るやうにて亡せたまひぬ」(【同上】)とあった。 ■人多かり 縁の深い浅いや貴賤をとわず、諸人が柏木を惜しんだ(【柏木 13】)。 ■朝夕に親しく参り馴れつつ 「衛門督をば、何ざまの事にも、ゆゑあるべきをりふしには、必ずことさらにまつはしたまひつつ、のたまはせあはせしを」(【若菜下 37】)。 ■あはれは多く 前も「六条院には、まして、あはれ、と思し出づること、月日にそへて多かり」(【柏木 13】)とあった。 ■御はて 柏木の一周忌の法要。 ■誦経 布施や法事全般をふくんでいう。 ■よろづも知らず顔に… 若君・薫のさま。前年の一月に誕生。 ■さすがにいみじくあはれなれば 「さすがに」は、柏木を憎む気持ちはあるが、そうはいってもやはり。 ■また心ざしたまうて 自分の他に若君のぶんの追善供養をしようという気持ちが起こって。 ■黄金百両 当時の黄金は砂金。 ■大臣 柏木の父。大臣は柏木の死の原因も知らず、若君が柏木の子であることも知らない。源氏の厚意を単なる親切心の故と思い恐縮する。 ■大将の君 夕霧。柏木は臨終の際にこの秘密を夕霧にほのめかした(【柏木 07】)。 ■事ども 追善供養の法要。 ■営みたまふ 主催する。 ■一条の宮 柏木の北の方落葉の宮の実家。 ■このほど 一周忌というこの時期。 ■とぶらひきこえたまふ 夕霧は訪問しているうちに落葉の宮に心を寄せ始めていた(【柏木 12】)。 ■兄弟の君たち 柏木の弟たち。 ■いとかくは思ひきこえざりき 致仕の大臣と源氏が疎遠であった時期があるため(【常夏 05】【野分 04】など)。 ■上 致仕の大臣の北の方。 ■世のおぼえ重く 柏木は信望が厚く多くの人に頼られていた(【柏木 11】)。

朗読・解説:左大臣光永