【横笛 07】夕霧、六条院を訪れ、皇子たちや薫を見る
女御の御方におはしますほどなりけり。三の宮三つばかりにて中にうつくしくおはするを、こなたにぞ、またとりわきておはしまさせたまひける、走り出でたまひて、「大将こそ、宮抱きたてまつりて、あなたへ率《ゐ》ておはせ」と、みづからかしこまりて、いとしどけなげにのたまへば、うち笑ひて、「おはしませ。いかでか御簾《みす》の前をば渡りはべらん。いと軽々《きやうぎやう》ならむ」とて、抱きたてまつりてゐたまへれば、「人も見ず。まろ顔は隠さむ。なほなほ」とて、御袖してさし隠したまへば、いとうつくしうて率てたてまつりたまふ。こなたにも、二の宮の、若君とひとつにまじりて遊びたまふをうつくしみておはしますなりけり。隅の間《ま》のほどに下ろしたてまつりたまふを二の宮見つけたまひて、「まろも大将に抱《いだ》かれん]とのたまふを、三の宮、「あが大将をや」とて控へたまへり。院も御覧じて、「いと乱りがはしき御ありさまどもかな。おほやけの御近き衛《まも》りを、私《わたくし》の随身《ずいじん》に領《りやう》ぜむと争ひたまふよ。三の宮こそいとさがなくおはすれ。常に兄《このかみ》に競《きほ》ひ申したまふ」と、諌《いさ》めきこえあつかひたまふ。大将も笑ひて、「二の宮は、こよなく兄心《このかみごころ》にところ避《さ》りきこえたまふ御心深くなむおはしますめる。御年のほどよりは、恐ろしきまで見えさせたまふ」など聞こえたまふ。うち笑みて、いづれをもいとうつくしと思ひきこえさせたまへり。「見苦しく軽々《かるがる》しき公卿の御座《みざ》なり。あなたにこそ」とて渡りたまはむとするに、宮たちまつはれて、さらに離れたまはず。宮の若君は、宮たちの御|列《つら》にはあるまじきぞかし、と御心の中《うち》に思せど、なかなかその御心ばへを、母宮の、御心の鬼にや思ひよせたまふらんと、これも心の癖にいとほしう思さるれば、いとらうたきものに思ひかしづききこえたまふ。
大将は、この君をまだえよくも見ぬかなと思して、御簾《みす》の隙《ひま》よりさし出でたまへるに、花の枝の枯れて落ちたるを取りて、見せたてまつりて招きたまへば、走りおはしたり。二藍《ふたあゐ》の直衣《なほし》のかぎりを着て、いみじう白う光りうつくしきこと、皇子《みこ》たちよりもこまかにをかしげにて、つぶつぶときよらなり。なま目とまる心も添ひて見ればにや、まなこゐなど、これはいますこし強う才《かど》あるさままさりたれど、眼尻《まじり》のとぢめをかしうかをれるけしきなどいとよくおぼえたまへり。口つきの、ことさらにはなやかなるさましてうち笑《ゑ》みたるなど、わが目のうちつけなるにやあらむ、大殿《おとど》はかならず思しよ寄すらんと、いよいよ御気色ゆかし。宮たちは、思ひなしこそ気《け》高けれ、世の常のうつくしき児《ちご》どもと見えたまふに、この君は、いとあてなるものから、さまことにをかしげなるを、見くらべたてまつりつつ、「いであはれ。もし疑ふゆゑもまことならば、父|大臣《おとど》のさばかり世にいみじく思ひほれたまて、子と名のり出でくる人だになきこと、形見に見るばかりのなごりをだにとどめよかし、と泣き焦《こが》がれたまふに聞かせたてまつらざらむ罪《つみ》得がましさ」など思ふも、いで、いかでさはあるべき事ぞと、なほ心得ず思ひよる方なし。心ばへさへなつかしうあはれにて、むつれ遊びたまへば、いとらうたくおぼゆ。
現代語訳
院(源氏)は、女御(明石の女御)のお部屋においでになっていらっしゃるのであった。三の宮(匂宮)は三歳ほどで、ご兄弟の中でもいちばん可愛くていらっしゃるのを、こちら(紫の上方)で、特別のはからいで引き取っていらしたのだが、その三の宮が走り出していらして、(匂宮)「大将よ、宮を抱き申し上げて、あちらへ連れていらっしゃい」と、自分のことに敬語をつけて、まことにたわいのない感じでおっしゃると、大将(夕霧)は笑って、(夕霧)「いらっしゃい。しかしどうやって御簾の前を通り過ぎましょうか。ひどく軽率なことでしょう」といって、抱き申し上げて座っていらっしゃると、(匂宮)「誰も見ていない。まろが顔を隠して進ぜよう。さあさあ」といって、御袖で大将の顔をお隠しになるので、まことに可愛らしいので、お連れ申される。
こちら(明石の女御方)でも、ニの宮が、若君(薫)と一緒に遊んでいらっしゃるのを院は可愛がっていらっしゃるのであった。大将(夕霧)が、隅の柱の間のあたりに三の宮をおろし申し上げなさるのをニの宮がお見つけになって、(ニの宮)「まろも大将に抱かれよう」とおっしゃるのを、(三の宮)「わが大将なのだから」といってお放しにならない。院(源氏)もご覧になって、(源氏)「どちらもひどくはしたないご様子ですな。帝のお側近くをお衛りになる方を、私的な随身として独り占めになさるつもりで喧嘩なさるとは。三の宮のほうがとくにたちが悪くていらっしゃる。いつも兄皇子(ニの宮)と競争なさる」とお諌め申し上げ、お世話なさる。大将も笑って、(夕霧)「ニの宮は、たいそう兄君らしく、ひどくご遠慮申される深いご配慮がおありのようです。御年のほどよりは、恐ろしいまでにごりっぱにお見えになります」など申し上げなさる。院はお笑いになって、ニの宮も三の宮も、どちらもとても可愛らしいと存じ上げていらっしゃるのだった。(源氏)「ここは公卿の御座としては見苦しく軽々しいですから。あちらで」といってお移りになろうとすると、宮たちがまとわりついて、まったくお離れにならない。女三の宮腹の若君(薫)は、この宮たちと御同列にするわけにはいかないだろうと、院(源氏)は御心の中にお思いになるが、かえってその御心づかいを、母宮(女三の宮)が、御心のうちに弱みを持っているので気をまわされるだろうと、これも院の御気を遣いすぎるご性質から、お気の毒にお思いになるので、若君(薫)を、まことに可愛らしいものとして、大切にお扱いになられる。
大将(夕霧)は、「この君(薫)をまだよく見たことがないことよ」とお思いになられて、御簾の隙間から御顔をお出しになったので、花の枝の枯れて落ちているのをとって、お見せ申し上げてお招きになると、走り寄っていらした。ニ藍の直衣だけを着て、たいそう肌が白く光っていてかわいらしいことは、皇子たちよりもきめ細かで美しく、まるまると太って気高い感じである。なんとなくそう見てしまう気持ちも加わるからだろうか、目つきなど、柏木よりもこの若君はもうすこし強く才気があるさまがまさっているが、目尻の末が美しく色づいているようすなどは、故人とまことによく似ていらっしゃるのだ。口元が、とくにはなやかな様子で笑っているのなどは、「自分がいきなりそう見たせいだろうか、大殿(源氏)は必ずお気づきだろう」と、いよいよその御面持ちをうかがってみたくなる。宮たちは、皇子と思って見るからこそ気高くは思えるが、世間のふつうの可愛らしい子供たちであるとご覧になる。しかしこの君(薫)は、まことに気品があるが、普通とようすがちがっていて、風格があるのを、見比べ申し上げつつ、「さあなんということか。もし私が疑っている理由がほんとうなら、父大臣(致仕の大臣)があれほど世に比類ないほど意気消沈なさって、『子と名乗り出てくる人さえないとは。せめて形見として世話するぐらいの者だけでも、この世に残しておくれだったら』と、泣き焦がれていらっしゃる、その大臣にこの事実をお聞かせ申し上げもしないことの、罪作りなこと」など思うのだが、また一方で、「いやいや、どうしてそのような事があろうか」と、やはり納得できずに気持ちは定まらない。若君(薫)は、容貌ばかりかご気性まで優しく、人を引きつけるものがあり、大将になついて遊んでいらっしゃるので、まことに可愛らしく思われる。
語句
■三の宮 今上帝と明石の女御の間に生まれた三の宮。後の匂宮。 ■大将こそ 「こそ」は呼びかけ。 ■たてまつりて 三の宮は周囲から大切に扱われているので、自然と自敬表現が出てくる。 ■あなたへ 明石の女御方へ。 ■みづからかしこまりて 「宮抱きたてまつりて」と自分のことに敬語を使うこと。 ■しどけなげに たわいもよい様子で。 ■いかでか 前に源氏が明石の女御方に行ったとき、匂宮もついていこうとしたのだろう。しかし紫の上に引き止められでもしてか、こちらに残ることになった。匂宮はそれが不満なので、夕霧に頼んで明石の女御方に連れていかせようとする。しかし夕霧としても宮を連れ出すわけにいかず、困ってしまう。 ■まろ顔は隠さむ 夕霧の顔を。匂宮自身の顔を、とする説も。 ■ニの宮 明石の女御腹のニの宮。五、六歳か。誕生の記事はないが、「春宮の女御(明石の女御)は、御子たちあまた数そひたまひて」(【若菜下 07】)とあった「御子たち」の中にふくまれている。 ■隅の間 部屋の隅の柱と柱の間。 ■おほやけの御近き衛り 夕霧は近衛大将。 ■見苦しき公卿の座 近衛大将である夕霧に隅の間はふさわしくない。 ■あなたにこそ 「あなた」は東の対。 ■宮たちの御列には… 薫は臣下の子なので、皇子たちと同列に扱うわけにはいかない。 ■なかなかその御心ばへを もし薫を皇子たちより低く扱えば、女三の宮は密通の結果生まれた子だから低い扱いをするのだと邪推するかもしれない、と源氏は気を回す。 ■心の癖 源氏は、細かいところまで気を回す性分である。 ■この君をまだえよくも見ぬ 源氏は夕霧を六条院の御方々から遠ざけていた。だから夕霧は女性たちと一緒に住む薫を見る機会がなかった。 ■ニ藍 やや赤みのある青色。紅花と藍で染めた色。 ■直衣 幼子は指貫や単を着ない。 ■いみじう白う 帯をしめていないので肌が見える。 ■大殿は必ず思し寄すらん 源氏は、薫が柏木に似ていることにすでに気づいている(【柏木 08】、【横笛 03】)。 ■いよいよ御気色ゆかし 夕霧は柏木の遺言について、源氏に探りを入れたいと思っていた(【横笛 04】)。今、夕霧は薫が柏木の子であると確信し、いよいよ源氏の反応を知りたくなっている。 ■いとあてなるものから 「この君、いとあてなるに添へて愛敬づき、まみのかをりて、笑がちなる」(【柏木 08】)とあった。 ■もし疑ふゆゑもまことならば もし自分疑っているように柏木と女三の宮が密通して、生まれてきた子が薫ならば。 ■父大臣 柏木の父、致仕の大臣。 ■さばかり 柏木の死によってあれほど(【柏木 11】)。 ■子と名のり 前に源氏の心語として「親たちの、子だにあれかしと泣いたまふらんにもえ見せず、人知れずはかなき形見ばかりをとどめおきて、…」(【柏木 08】)とあったのと対応。前に致仕の大臣は名乗り出た近江の君を引き取ったことがある(【螢 12】、【常夏 01】)。 ■いかでさはあるべき事 夕霧は、柏木と女三の宮が密通したことを確信しつつ、一方ではまだ信じられない気持ちである。 ■心ばへさへ 容貌ばかりでなく。