【夕霧 07】御息所、小少将に事情をきき、落葉の宮に対面

律師《りし》立ちぬる後《のち》に、小少将の君を召して、「かかることなむ聞きつる、いかなりし事ぞ。などかおのれには、さなん、かくなむとは聞かせたまはざりける。さしもあらじと思ひながら」とのたまへば、いとほしけれど、はじめよりありしやうを、くはしう聞こゆ。今朝《けさ》の御文のけしき、宮もほのかにのたまはせつるやうなど聞こえ、「年ごろ忍びわたりたまひける心の中《うち》を聞こえ知らせむとばかりにやはべりけむ。あり難う用意ありてなむ、明かしもはてで出でたまひぬるを、人はいかに聞こえはべるにか」、律師とは思ひもよらで、忍びて人の聞こえけると思ふ。ものものたまはで、いとうく口惜しと思すに、涙ほろほろとこぼれたまひぬ。見たてまつるもいといとほしう、「何に、ありのままに聞こえつらむ。苦しき御心地を、いとど思し乱るらむ」と悔《くや》しう思ひゐたり。「障子《さうじ》は鎖《さ》してなむ」と、よろづによろしきやうに聞こえなせど、「とてもかくても、さばかりに、何の用意もなく、軽《かる》らかに人に見えたまひけむこそいといみじけれ。内々の御心《みこころ》清うおはすとも、かくまで言ひつる法師《ほふし》ばら、よからぬ童べなどはまさに言ひ残してむや。人は、いかに言ひあらがひ、さもあらぬことと言ふべきにかあらむ。すべて心幼きかぎりしもここにさぶらひて」とも、えのたまひやらず。いと苦しげなる御心地に、ものを思し驚きたれば、いといとほしげなり。気高うもてなしきこえむと思《おぼ》いたるに、世づかはしう軽々《かるがる》しき名の立ちたまふべきを、おろかならず思し嘆かる。「かうすこしものおぼゆる隙《ひま》に渡らせたまふべう聞こえよ。そなたへ参り来《く》べけれど、動きすべうもあらでなむ。見たてまつらで久しうなりぬる心地すや」と、涙を浮けてのたまふ。参りて、「しかなん聞こえさせたまふ]とばかり聞こゆ。

渡りたまはむとて、御|額髪《ひたひがみ》の濡《ぬ》れまろがれたるひきつくろひ、単衣《ひとへ》の御|衣《ぞ》ほころびたる着かへなどしたまても、とみにもえ動いたまはず。この人々もいかに思ふらん、まだえ知りたまはで、後《のち》にいささかも聞きたまふことあらんに、つれなくてありしよ、と思しあはせむも、いみじう恥づかしければ、また臥したまひぬ。「心地のいみじう悩ましきかな。やがてなほらぬさまにもありなむ、いとめやすかりぬべくこそ。脚の気の上りたる心地す」と圧《お》し下《くだ》させたまふ。ものをいと苦しうさまざまに思すには、気《け》ぞあがりける。

少将、「上にこの御事ほのめかしきこえける人こそはべけれ。いかなりし事ぞ、と問はせたまひつれば、ありのままに聞こえさせて、御障子《みさうじ》の固《かた》めばかりをなむ、すこし事添へて、けざやかに聞こえさせつる。もしさやうにかすめ聞こえさせたまはば、同じさまに聞こえさせたまへ」と申す。嘆いたまへる気色は聞こえ出でず。さればよ、といとわびしくて、ものものたまはぬ御枕より雫《しづく》ぞ落つる。この事にのみもあらず、身の思はずになりそめしより、いみじうものをのみ思はせたてまつること、と生けるかひなく思ひつづけたまひて、この人は、かうてもやまでとかく言ひかかづらひ出でむも、わづらはしう聞き苦しかるべうよろづに思す。まいて、言ふかひなく、人の言《こと》によりていかなる名をくたきましなど、すこし思し慰むる方はあれど、がばかりになりぬる高き人の、かくまでもすずろに人に見ゆるやうはあらじかしと宿世《すくせ》うく思し屈《く》して、夕つ方ぞ、「なほ渡らせたまへ」とあれば、中の塗籠《ぬりごめ》の戸開《あ》けあはせて渡りたまへる。

苦しき御心地にも、なのめならずかしこまりかしづききこえたまふ。常の御|作法《さはふ》あやまたず、起き上《あが》がりたまうて、「いと乱《みだ》りがはしげにはべれば、渡らせたまふも心苦しうてなん。この二三日《ふつかみか》ばかり見たてまつらざりけるほどの、年月の心地するも、かつはいとはかなくなむ。後《のち》、かならずしも対面《たいめ》のはべるべきにもはべらざめり。また、めぐり参るとも、かひやははべるべき。思へば、ただ時の間《ま》に隔たりぬべき世の中を、あながちにならひはべりにけるも悔《くや》しきまでなん」など泣きたまふ。宮も、もののみ悲しうとり集め思さるれば、聞こえたまふこともなくて見たてまつりたまふ。ものづつみをいたうしたまふ本性《ほんじやう》に、際々《きはぎは》しうのたまひさはやぐべきにもあらねば、恥づかしとのみ思すに、いといとほしうて、いかなりしなども問ひきこえたまはず。大殿油《おほたなぶら》など急ぎまゐらせて、御台などこなたにてまゐらせたまふ。物聞こしめさずと聞きたまひて、とかう手づからまかなひなほしなどしたまへど、触れたまふべくもあらず、ただ御心地のよろしう見えたまふぞ、胸すこしあけたまふ。

現代語訳

律師が出発した後で、御息所は、小少将の君を召して、(御息所)「こういう話を聞きました。どういう事ですか。どうして宮は、私には、ああだこうだと、お話しにならなかったのですか。そのようなことはあるまいと思っておりましたのに」とおっしゃると、小少将は、宮(落葉の宮)に対して気の毒ではあったが、はじめから起こったことを、くわしく申し上げる。今朝の御文のご様子、宮もほんの少しおっしゃったようすなどを申し上げて、(小少将)「大将(夕霧)は、長年お忍びで通っていらした間の心の中をお伝え申し上げようというだけでございましょう。滅多にないご配慮で、夜が明けないうちにお帰りになられたですが、それを、人は、どのようにお耳にされたのでしょうか」小少将は、目撃していたのが律師とは思いもよらず、ひそかに誰かほかの女房が申し上げたのだと思っている。御息所は何もおっしゃらずに、ひどく悲しく残念にお思いになるにつけ、涙がほろほろとおこぼれになった。小少将は、そんな御息所を拝見するのも気の毒で、「どうして、ありのままに申し上げてしまったのだろう。ご気分がお悪いのに、いっそうお悩みになるだろう」と後悔している。(小少将)「襖には掛け金をかけておりました」と、万事いいように言い繕って申し上げるが、(御息所)「どうであろうと、襖を隔てただけで、何の用意もなく、軽率に人と対面なさったことこそ、まずいことなのです。内々の御心は潔白でいらっしゃったとしても、こうまで言っている法師たちや、育ちの悪い童たちなどは、どうして言いふらさないでしょうか。人に対してどのように弁解し、そのようなことはないと、言えるのるでしょうか。すべて幼稚な考えの女房たちばかりが、ここには仕えているようで」とも、最後まで言いやることがおできにならない。ひどく苦しそうなご様子である上に、こうした思いもよらないことをお耳にされたので、ひどく気の毒そうである。御息所は宮のことを気高く生涯独身のままお育て申し上げようとお思いであったのに、世間並みの、軽薄な評判が、宮についてお立ちになるだろうことを、真剣にお悩み嘆いていらっしゃる。(御息所)「こうして私がすこし正気である間においでくださるよう宮にお伝えしなさい。本来私のほうがそちらにおうかがいすべきですが、動けそうもありませんので。お姿を拝見せぬまま久しく時が経った気がしますよ」と、涙を浮かべておっしゃる。小少将は宮のもとに参って、「このように申し上げよということでございます」とだけご報告申し上げる。

宮(落葉の宮)は御息所のもとにおいでになろうということで、御額髪が涙で濡れてむすぼれているのをお繕いになり、単衣のお召し物が綻んでいるのを着替えなどなさるが、すぐには動くことがおできにならない。この女房たちもどう思うだろう、御息所も、まだ何もご存知ないことだし、後から少しでもお聞きなさることがあれば、知らせてくれないなんて冷たいことだと、お思い合わせになるだろうことも、たいそういたたまれないので、宮はまたも横になられる。(落葉の宮)「気分がひどくすぐれませんこと。すぐにはよくならないようです、それもかえってほんに好都合なようです。脚の気が上がっている気がします」と上った気を指圧して脚に下ろさせなさる。物事を苦しがって、さまざまに物思いされたので、気があがったのである。

少将、「御息所にこの御事をそれとなく申し上げた人がございます。どういう事か、と御息所が私にお尋ねになられるので、私はありのままに申し上げて、御襖の掛け金をかけていたことだけを、すこし話を盛って、はっきりとお伝え申し上げておきました。もしそのように御息所がそれとなくお尋ねになられましたら、同じようにお申し上げなさいませ」と申す。少将は、御息所がお嘆きであられた様子は話に出して申し上げない。宮(落葉の宮)は、やはりこうなってしまうのかと、ひどくわびしくて、ものもおっしゃらない御枕から涙の雫が落ちる。この事だけではない。予想外にも結婚したその当初から、御息所にはひどくご心配ばかりおかけしてきたこと、と生きるかいもなくお思いつづけになられて、あの人は、これで終わらずに、あれこれ言ってつきまとってくるだろう、それもやっかいで、人聞きの悪いことだろうと、あれこれお悩みになる。まして、意気地なくあの人の言いなりになっていたなら、どれほど世間から悪く言われるだろうと、その点はすこしご安心なさる面はあるが、皇女という高い身分でありながら、こうまでも軽々しく人にまみえることはあってはならないことと、前世からの宿運が残念にお思いになり塞ぎ込んでしまわれて、夕方ごろ、(御息所)「やはりこちらにおいでください」と連絡があったので、中の塗籠の戸を双方で開けて、おいでになられた。

御息所は、苦しいご気分の中にも、並々ならず畏まって宮を大切にお迎え申し上げなさる。ふだんの御作法ははずさず、起き上がられて、「ほんとに取り乱しておりますので、おいでいただくのも心苦しゅうございました。このニ三日ほど拝見しなかった間も、長い年月が流れたような気がいたしますが、その一方ではひどくたわいもないことと思ったりもします。貴女と来世で、必ずしもお会いできるとも限らないでしょう。また万一めぐり逢いましても、お互いのことがわからないでは、何のかいがございましょう。思えば、あっという間に遠く離れていかなければならない世の中ですのに、ひたすら自分の思うままに過ごしてきたことを後悔するばかりでして」などお泣きになる。宮も、ひたすら物悲しくあれこれお思いになるので、申し上げなさることもないまま御息所を拝見していらっしゃる。宮は控えめなご気性なので、はっきりと物をおっしゃってさわぐはずもないので、気後れしてばかりいらっしゃるので、御息所はそんな宮がひどくおいたわしくて、物言いをして騒ぐべきでもないので、「何があったのですか」などともご質問なさらない。御息所は大殿油など急いで取り寄せて、御台などこちらの部屋に用意させなさる。宮がお食事を召し上がっていないとお聞きになって、御息所は、あれこれ手づから準備をしなおしたりなどなさるが、宮は箸をおつけになろうはずもない。ただ御息所のご気分がよさそうにお見えすることが、宮はすこしご安心されることであった。

語句

■小少将の君 前に「少将の君」(【夕霧 03】)とあった女房。 ■かかることなむ聞きつる 御息所は律師から、落葉の宮のもとから夕霧から朝帰りしているさまを見たという報告をきいた。それをここでそのまま、小少将に語っているのである。 ■聞かせたまはざりける 主語は落葉の宮。御息所は眼の前の小少将を責めながら、実際は落葉の宮を責めているのである。 ■さしもあらじ 「さ」は夕霧が落葉の宮に通じたこと。 ■ほのかにのたまはせつる 夕霧からの文について「え見ずとを言へ」と宮が言ったことなど。 ■年ごろ 夕霧が御簾の中に踏み入ったとき「かうながら朽ちぬべき愁へを、さだかに聞こえ知らせはべらんとばかりなり」(【夕霧 04】)と言ったのを受ける。 ■あり難う用意ありて 夕霧が節度をわきまえ強引に迫ることはしなかったと弁護する。が御息所は「朝、夕霧が落葉の宮の部屋から出てきた」という点に注目し、やはり律師の言ったことは本当だった、夕霧と落葉の宮が通じたと思い込んで愕然とする。 ■障子は鎖してなむ 事実は、襖に掛け金はかかっていなかった(【同上】)。 ■とてもかくても 襖に掛け金がかかっていてもいなくても。御息所は夕霧と落葉の宮の間に実事があったと思いこんでいる。 ■さばかりに 襖一枚隔てただけで。 ■法師ばら 前に「この法師ばらなむ、口々申しつる」(【夕霧 06】)とあった。 ■童べ 法師たちに従っている童のことか。童は口さがないものの代表。 ■まさに言ひ残してんや どうして言い残さないことがあろうか=必ず言い残す。漢文の訓読からきた語法。 ■さもあらぬこと 夕霧と落葉の宮の間に実事はないと。 ■すべて心幼き… 女房たちに対する叱責。 ■さぶらひて 以下、悲嘆と叱責の言葉がつづくはずが、あまりのことに言葉がつづかない。 ■気高う 御息所は、落葉の宮を、皇女としてふさわしく気高く育てたかった。具体的には生涯独身を貫かせたかった。御息所は宮と柏木の結婚にも反対した(【柏木 10】)。「皇女たちの世づきたるありさまは、うたてあはあはしきやうにもあり」(【若菜上 06】)。 ■おろかならず ひととおりでなく。まじめに。本気で。 ■しかなん聞こえさせたまふ 小少将は、自分が洗いざらい昨夜のことを喋ったことは隠して、ただ御息所が呼んでいることだけを報告する。口が軽いといって批判されたくないからである。 ■額髪 額の上から両方の耳上にかけて流した髪。 ■ほころびたる 夕霧に袖を引っ張られたため。 ■したまても 「したまひても」の音便無表記。 ■この人々 小少将はじめ女房たち。 ■まだえ知りたまはで 御息所は、夕霧と宮(私)のことを知らないで。 ■つれなくてありしよ 昵懇の母娘なのに、娘が隠し事をしたといって母が傷つくことを娘は恐れる。 ■いとめやすかりぬ 死んでしまえばもう夕霧との一件に悩まなくていいから。 ■脚の気の上りたる 脚気のことか。前に「脚病」(【若菜下 38】)とあった。次文によると心労によって起こると考えられていたらしい。 ■圧し下させたまふ 上がった気を指圧などをさせて脚のほうに下ろす。 ■御障子の固め 小少将が「障子は鎖して」と言ったこと。襖に掛け金をかけていたというのは事実に反しているし、これは余計な世話である。 ■けざやかに 落葉の宮の身の潔白をはっきりと強調しておいたの意。 ■さればよ 宮は、御息所が昨夜のことを知って呼び寄せるのだなと思う。 ■この事 夕霧との一件。 ■身の思はずなりそめしより 柏木との結婚をいう。御息所は当初から皇女は生涯独身を貫くべきという考えで、宮の結婚には反対だった。 ■いみじうものをのみ思はせたてまつる 御息所はもともと宮の結婚に反対であった。その上柏木の愛情は宮からはなれるし、ついに柏木が亡くなり宮は未亡人になった。そうしたことが御息所に重ね重ね心配をかけていたと、宮は気に病む。 ■まいて 身が潔白なのに(実事はなかったのに)こんなにつらいのだから、まして実事があったとしたら。 ■名をくたさまし 「まし」は反実仮想。夕霧の誘いに乗らなくてよかったの意をふくむ。宮はまだ僧たちが朝帰りの夕霧をみて二人の関係を取り沙汰していることを知らない。 ■かばかりになりぬる高き人 皇女という身分の高い人。 ■中の塗籠の戸 御息所の部屋と落葉の宮の部屋の間にある塗籠。塗籠は柱や軒などの木部の外壁まで土壁で覆った部屋。 ■後 後生。親子の縁は一世限りとされる。 ■めぐり参る 輪廻してふたたび同じ世界に生まれてめぐりあう。 ■かひやはあるべき 前世での縁のことはわからないから。 ■時の間に 無常迅速の世。 ■ならひはべりにける この世に親しみ、やりたいようにやってきたこと。 ■ものつづみを… 以下、御息所の見る、落葉の宮の性質。 ■いといとほしくて 御息所は宮の態度を見て実事があったと確信する。 ■ただ御心地のよろしう… このあたり、御息所の動作なのか、落葉の宮の動作なのか、主語が非常にわかりづらい。「主語を絶対に書かない」というかたくなな方針により難解苦読な暗号文になってしまっている。とくにこのような主語が次々と切り替わる場面では「主語を書かない」ことはただ文意をつかみづらくするだけで、一つもメリットがない。あまりにも身勝手で自己満足な書きようである。

朗読・解説:左大臣光永