古事記(五)みそぎ

こんにちは。左大臣光永です。

ラーメン屋で、もうちょっと食べたい。ちょっと物足りないという時、替え玉を頼みますよね。でもあの替え玉ってのはやっかいです。まっさらの麺を後からスープにぶち込むわけで、ぜんぜんスープと馴染まない。

スープと麺が分離した感じになるんですね。最初の一玉目よりはぜんぜんスープと調和してなくて、美味しく感じない。替え玉とスープをうまく馴染ませる方法って、無いもんですかね。

同じことで悩んでるラーメン好きは全国に多いような気がするんですが!

さて「左大臣の古典・歴史の名場面」第976回。

本日は『古事記』の五回目。
「みそぎ」です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

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みそぎ池
宮崎県 みそぎ池

みそぎ池
宮崎県 みそぎ池

前回は、イザナキが亡き妻・イザナミを訪ねて黄泉の国に行く場面でした。

愛しい妻イザナミはしかしウミに侵され化物がたかり、恐ろしい姿になっていた。うわあと逃げ出すイザナキ。私に恥をかかせたわね!追いかけるイザナミ。ついに黄泉の国と地上を結ぶ黄泉比良坂《よもつひらさか》でイザナミはイザナキに追いつく。

そこでイザナキはイザナミを離縁する。ヒドイお方。だったらあなたの国の人間を一日に1000人殺します。おうおう勝手にせい。だったらワシは一日に1500人生むまでじゃ。こうして一日に1000人死に1500人生まれることになった、という話でした。

今回は、「みそぎ」。

命からがら地上世界に戻ってきたイザナキが、黄泉の国のケガレを洗い流す場面です。
↓↓↓↓

是《これ》を以《もち》て、伊邪那岐大神《いざなきのおおかみ》詔《のりたま》はく、

「吾《あれ》は、いなしこめ、しこめき穢《きたな》き国に到りて在《あ》りけり。故《かれ》、吾《あれ》は御身《みみ》の禊《みそぎ》を為《せ》む」

竺紫《つくし》の日向《ひむか》の橘《たちばな》の小門《おど》のあはき原に到り坐《ま》して、御禊《みそぎ》しき。

こうして、イザナキノ大神がおっしゃることに、

「私は、なんとも醜い醜い、穢れた国に行っていたものだ。だから、私は禊《みそぎ》をして、体を洗い清めよう」

そうおっしゃって、竺紫《つくし》の日向《ひむか》の橘《たちばな》の小門《おど》のあはき原にご到着になって、みそぎをした。

その時、投げ捨てた御杖から神が成った。投げ捨てた御嚢(みふくろ)からも、投げ捨てた左の御手《みて》の手纏《てまき》からも、御衣からも、御褌《みはかま》からも、御冠《みかぶり》からも神が成った。

例によって神々の名が列挙される場面です。

さらに、イザナキが川の瀬に飛び込んで体をすすぐと、そこからもたくさんの神々が生まれてきた。

キリがないので中略しますが、住吉三神として有名な底箇之男命《そこつつのをのみこと》・中箇之男命《なかつつのをのみこと》・上筒之男命《うわつつのおとみこと》の名が挙がっているのは注目したいところです。

ちなみにイザナキがみそぎをした竺紫《つくし》の日向《ひむか》の橘《たちばな》の小門《おど》のあはき原は宮崎県江田神社裏手の「みそぎ池」とも見られていますが、あくまで神話世界の話ですので、実際にどこにあると決めることはできません。

みそぎ池
宮崎県 みそぎ池

みそぎ池
宮崎県 みそぎ池

↓↓続きです↓↓

是《ここ》に、左の御目《みめ》を洗ひし時、成れる神の名は、天照大御神《あまてらすおほみかみ》。次に、右の御目《みめ》を洗ひし時に成れる神の名は、月読命《つくよみのみこと》。次に、御鼻《みはな》を洗ひし時に成れる神の名は、建速須佐之男命《たけはやすさのおのみこと》。

そして左の御目を洗った時、成った神の名は天照大御神《あまてらすおほみかみ》。次に、右の御目を洗った時に成った神の名は、月読命《つくよみのみこと》。御鼻《みはな》を洗った時に成った神の名は、建速須佐之男命《たけはやすさのおのみこと》。

……

有名な「三貴子《さんきし・みはしらのうずのみこ》」の誕生です。次にイザナキノミコトはこれら三柱の尊い御子たちに命令を下します。
↓↓

此時《このとき》、伊邪那岐命《いざなきのみこと》、大きに喜びて詔《のりたま》はく、

「吾《あれ》は、子を生み生みて、生み終えに、三柱の貴き子を得たり」

即ち其の御頸《みくび》の珠の玉緒、もゆらに取りゆらかして、天照大御神《あまてらすおおみかみ》に賜ひて、詔《のりたま》ひしく、

「汝《な》が命《みこと》は、高天原《たかまがはら》を知らせ」

と事依《ことよ》しき。

故《かれ》、其の御頸《みくび》の珠の名を、御倉板挙之神《みくらたなのかみ》と謂ふ。次に、月読命《つくよみのみこと》に詔《のりたま》ひしく、

「汝《な》が命《みこと》は、夜の食国《おすくに》を知らせ」

と事依《ことよ》しき。

次に、建速須佐之男命《たけはやすさのをのみこと》に詔《のりたま》ひしく、

「汝《な》が命《みこと》は、海原《うなばら》を知らせ」

と事依《ことよ》しき。

この時に、イザナキノミコトは大いに喜んでおっしゃった。

「私は子を生みに生んで、生んだ最後に三柱の貴い子を得た」

そうおっしゃって、ただちにその御首飾りの玉の緒を、さやかに音が鳴るほど玉同士を触れ合わせて音を立てて、その御首飾りを天照大神にお授けになっておっしゃることに、

「お前は、高天原を支配せよ」

そう命じて御首飾りをお授けになった。それで、その御首飾りを御倉板挙之神《みくらたなのかみ》と名付けた。

次に、月読命《つくよみのみこと》のおっしゃった。

「お前は、夜の食国《おすくに》を支配せよ」

と命じられた。

次に、建速須佐之男命《たけはやすさのをのみこと》におっしゃった。

「お前は海原を支配せよ」

と命じられた。

……
というわけで、アマテラスオオミカミは高天原を、
ツクヨミノミコトは夜の食国《おすくに》を。
スサノオノミコトは海原を

それぞれ支配せよと。父イザナキから、言い渡されます。

しかし、アマテラスオオミカミとツクヨミノミコトは父の命令にしたがって高天原と夜の食国を支配しましたが、弟のスサノオはダダばかりこねていました。
↓↓↓

故《かれ》、各依《おのおのよ》し賜《たま》ひし命《みこと》の随《まにま》に知らし看《め》せる中に、速須佐之男命《はやすさのをのみこと》は、命《おー》せらえし国を治めずして、八拳須《やつかひげ》心前《こころさき》に至るまで、啼《な》きいさちき。

其《そ》の泣く状《かたち》は、青山を枯山《からやま》の如く泣き枯《から》し、河海《かわうみ》は悉《ことごと》く泣き乾《ほ》しき。

是《ここ》を以《もち》て、悪しき神の音《こえ》、狭蠅《さばえ》の如く皆満ち、万《よろづ》の物の妖《わざわい》、悉《ことごと》く発《おこ》りき。故《かれ》、伊耶那岐大御神《いざなきのおおみかみ》、速須佐之男命《はやすさのをのみこと》に詔《のりたま》ひしく、

「何の由《ゆえ》にか、汝《なむち》が、事依《ことよ》さえし国を治めずして、哭《な》きいさちる」

とのりたまひき。爾《しか》くして、答へて白《もー》ししく、

「僕《やつかれ》は、妣《はは》が国の根之堅州国《ねのかたすのくに》に罷《まか》らむと欲《おも》ふが故に、哭《な》く」

爾《しか》くして、伊耶那岐大御神《いざなきのおおみかみ》、大きに忿怒《いか》りて詔《のりたま》はく、

「然《しか》らば、汝《なむち》は、此《こ》の国に住むべくあらず」

乃《すなは》ち神《かむ》やらひにやらひ賜《たま》ひき。故《かれ》、其《そ》の伊耶那岐大神《いざなきのおおかみ》は、淡海《おうみ》の多賀《たが》に坐《いま》す。

そこで、おのおのイザナキノミコトが委任なさった仰せのままに支配しているナカに、速須佐之男命《はやすさのおのみこと》は、命じられた国…海原を治めずに、長い髭が胸の前まで垂れるほどの中年になっているのに、泣きわめいていた。

その泣く様子は、青々とした山を枯山のように泣き枯らしてしまい、河や海はことごとく泣き乾いてしまった《スサノオの涙に水分を吸い取られてカラッカラになった?》。

そのため、悪しき神の声が、ハエのように満ち溢れ、あらゆるわざわいが、ことごとく起こった。

そこで、イザナキノミコトはスサノオノミコトにおっしゃった。

「どうして、お前が委任された国を治めないで、泣きわめいているのか」

そこでスサノオが答えて申し上げた。

「私は、母の国である根之堅州国《ねのかたすのくに》に参りたいと思うので、泣くのです」

そこでイザナキの大神は、大いに怒っておっしゃった。

「ならば、お前は、この国に住むべきではない」

そうおっしゃって、ただちにスサノオを追放された。

そこで、そのイザナキの大神は淡海の多賀に鎮座なさっている。

……

スサノオノミコトだけは委任された海原を治めずに泣いてばかりいた。いい年して、髭が長くのびているのに。その泣きっぷりはすさまじく、世界が混沌として、悪い神の声が巷に満ちた。

そこで見かねた父イザナキが問いただした。スサノオよ、どうして泣く。母のいる根之堅州国に参りたいのです。なに!そんなことを言うなら、お前はもう置いて置けぬ。出て行け。こうしてイザナキはスサノオを追放した。

ああ…教育が悪かったのかのう。ワシはもう子育てはコリゴリじゃ。そんなこともつぶやいたでしょうか。こうしてイザナキは多賀神社に鎮座し、以後、『古事記』の物語には登場しません。多賀神社は滋賀県の多賀神社とも、兵庫県淡海の多賀神社とも言われています。

どうも疑問の残るくだりです。

スサノオは「母に会いたい」と言ってますが、この母はイザナミのことなんでしょうか?しかしスサノオはイザナミから生まれたのではなく、みそぎによって生まれた神ですので。イザナミをスサノオの母とするのは違う気がします。

その上、イザナミのいる国は「黄泉の国」であり、スサノオのセリフに出てくるのは「根堅州国」で、名前が変わっています。ではスサノオの「母」とは誰なのか?どういうことなのか?疑問が残ります。

明日は「スサノオとアマテラス」です。お楽しみに。

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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。ありがとうこざいました。

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