古事記(十八)アメノワカヒコの弔い

こんにちは。左大臣光永です。

北野天満宮の梅苑が公開中なので、見てきました。満開でした!紅梅、白梅、乱れ咲き、色を競い合っておりました。ひととおり梅苑の梅を見て、これで終わりかと思いきや、その奥の御土居(おどい)という…豊臣秀吉が築いた堤防のところにも、そこを流れる紙屋川という小川のほとりも延々と梅林が続いていて、すばらしかったです。心が洗われるようでした。

さて本日は、『古事記』の第十八回
「アメノワカヒコの弔い」です。

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前回、高天原を裏切ったアメノワカヒコは自分が放った矢に当って、死んでしまいました。今回は、アメノワカヒコの弔いの話です。アメノワカヒコの父や妻が、アメノワカヒコの死を嘆き悲しみます。ところが、アメノワカヒコの義理の兄・アジシキタカヒコネノカミが葬儀の場に訪れたことから、騒動が起こります。

故《かれ》、天若日子が妻《め》、下照比売《したでるひめ》が哭《な》く声、風と響きて天《あめ》に到りき。是《ここ》に、天に在《あ》る、天若日子の父・天津国玉神《あまつくにたまのかみ》と其の妻子《めこ》と聞きて、降り来て、哭《な》き悲しみて、乃《すなは》ち其処《そこ》に喪屋《もや》を作りて、河鴈《かはかり》をきさり持《もち》と為《し》、鷺《さぎ》を掃持《ははきもち》と為《し》、翠鳥《そにどり》を御食人《みけびと》と為《し》、雀を碓女《うすめ》と為《し》、雉《きざし》を哭女《なきめ》と為《し》、如此《かく》行い定めて、日八日《ひようか》夜八夜《よやよ》以《もち》て、遊びき。

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そこで、アメノワカヒコの妻、シタデルヒメが泣く声は、風に響いて天に到った。そこで、天にある、アメノワカヒコの父・アマツクニタマノカミと、アメノワカヒコの妻子が聞いて、(地上に)降ってきて、泣き悲しんで、すぐにその場所に喪屋(埋葬するまでの間、死体を収める建物)を作って、河鴈をきさり持ちとし、鷺を箒持ちとし、カワセミを調理人とし、雀を臼をつく係とし、雉を泣き女…葬式を盛り上げるために泣く係とし、このように役目を割り当てて、八日八夜、アメノワカヒコの魂を慰めるために楽器を奏でた。

■喪屋 埋葬するまでの間、死体を収める建物。 ■河鴈 雁の一種か。 ■きさり持 未詳。 ■掃持 喪屋の塵をはらう箒を持つ役。 ■翠鳥《そにどり》 カワセミ。 ■死者のための調理人。 ■碓女《うすめ》 臼をつく女。 ■哭女《なきめ》 葬式を盛り上げるために泣く係。 ■遊び 死者の魂を慰めるために管弦を奏すること。

此《こ》の時に、阿遅志貴高日子根神《あぢしきたかひこねのかみ》到りて、天若日子《あめわかひこ》の喪をを弔《とぶら》ひし時に、天より降り到りて、天若日子の父、亦《また》、其の妻《め》、皆哭《な》きて伝《い》はく、

「我《あ》が子は、死なずありけり。我《あ》が君は、死なず坐《いま》しけり」と、伝《い》ひて、手足に取り懸りて、哭《な》き悲しびき。

其の過ちし所以《ゆえ》は、此《こ》の二柱《ふたはしら》の神の容姿《かたち》は、甚《いと》能《よ》く相似たりき。故《かれ》是《ここ》を以《もち》て、過ちしぞ。

是《ここ》に、阿遅志貴高日子根神《あぢしきたかひこねのかみ》、大《おほ》きに怒りて曰く、

「我《あれ》は、愛《うるは》しき友有るが故に、弔《とぶら》ひ来たるぞ。何ぞ吾《あれ》穢《きた》なき死人《しにびと》と比《なぞ》ふる」

と伝ひて、御佩かしせる十掬《とつか》の剣《つるぎ》を抜き、其の喪屋《もや》を切り伏せ、足を以《も》て蹶《く》ゑ離ち遣《や》りき。

此《これ》は、美濃国《みののくに》の藍見河《あいみのかわ》の河上《かはかみ》に在《あ》る喪山《もやま》ぞ。其《そ》の、持ちて切れる大刀《たち》の名は、大量《おほはかり》と謂ふ、亦の名を、神度剣《かむどのつるぎ》と謂ふ。

この時に、アジシキタカヒコネノカミがやって来て、アメノワカヒコの喪を弔った時に、天から降り来たアメノワカヒコの父・また、アメノワカヒコの妻は、皆泣いて言うことに、

「我が子は、死んでなかったのだ。私の夫は死なずにいらしたのだ」と言って、アジシキタカヒコネノカミの手足に取りすがって、泣き悲しんだ。

その、間違ったわけは、この二柱の神の姿形が、たいそうよく似ていたのだ。それで、間違ったのだ。

そこで、アジシキタカヒコネノカミは大いに怒って言うことに、

「私は、親しい友人だから、弔いに来ただけだ。どうして私を穢らわしい死人と間違うのだ」

と言って、腰に帯びていた十掬《とつか》の剣《つるぎ》を抜き、その喪屋を切り伏せ、足で蹴り飛ばしてしまった。

これは、美濃国の藍見河《あいみのかわ》の河上に在る喪山である。その、持って切った太刀の名は、大量《おほはかり》といい、またの名を神度剣《かむどのつるぎ》と言う。

■喪山 美濃市大矢田に喪山天神社、喪山古墳がある。 ■大量 「大」きな「刃」で「刈る」といった意味か?

故《かれ》、阿遅志貴高日子根神《あぢしきたかひこねのかみ》は、忿《いか》りて飛び去りし時、其のいろ妹《も》高比売命《たかひめのみこと》、其の御名《みな》を顕《あら》はさむと思ひき。故《かれ》、歌ひて曰《い》はく、

天《あめ》なるや 弟棚機《おとたなばた》の 項《うな》がせる 玉の御統《みすまる》 御統《みすまる》に 足玉《あなだま》はや み谷 二渡《ふたわた》らす 阿遅志貴高日子根《あぢしきたかひこね》の 神そ

此《こ》の歌は、夷振《ひなぶり》ぞ。

そこで、アジシキタカヒコネノカミは、怒って飛び去った時、その妹タカヒメノミコト(=シタデルヒメ)が、兄の名を明かしておこうと思った。それで、歌って言うことに、

天上にいらっしゃる美しい機織女が、首にかけている緒で貫いたみすまるの玉、そのみすまるの玉よ、また足に巻く足玉《あなだま》よ、その玉のように、谷を二つも貫いて輝かせる、アジシキタカヒコネノカミぞ

この歌は、雛振(田舎風の歌)として宮廷で演奏されていた歌である。

■御統《みすまる》に 「統まる」は一つにまとめる。「御統」は緒で貫いた玉を輪にしたもの。「に」は間投詞。 ■足玉《あなだま》 天上の機織り女が足に巻いている玉。 ■雛振 宮廷で演奏される音楽の名前の一つ。

………

話をまとめます。

アメノワカヒコの弔いの場に、義兄であるアジシキタカヒコネノカミが現れる。しかしアジシキタカヒコネノカミはアメノワカヒコに姿形がソックリだったために、アメノワカヒコの父や妻はアメノワカヒコが生き返ったと勘違いしてアジシキタカヒコネノカミに泣きすがる。

アジシキタカヒコノネカミは自分が死人と間違えられたことに腹を立てて、アメノワカヒコの喪屋を切り伏せ、蹴飛ばす。そして腹立ててどっかに飛んでいってしまう。

アジシキタカヒコネノカミの妹・シタデルヒメは兄の名を歌によって明かす、という話です。

アメノワカヒコの葬儀に雁・鷺・カワセミ・雀・雉など鳥が出てくるのは、死者の魂は鳥になる、もしくは鳥によってあの世に運ばれるという古代の信仰が関係していると言われています。

シタデルヒメが歌によって兄の名を明かすのは、死者と誤解されたままでは兄の身に死者のケガレが残ると考えたせいでしょう。

現代人の感覚からいうとよくわからない話ですが…

この話の根っこには古代人の「死」や「ケガレ」に対する考え方が横たわっています。

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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。ありがとうこざいました。

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朗読・解説:左大臣光永
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