古事記(十)ヤマタノオロチ
私は大学の学食で昼メシを食べるのが趣味なので、早く夏季休暇が終わって学食が開くのを心待ちにしてるんですよ。しかし、同志社大学も立命館大学も京大も、25日過ぎないと学食が開かないんですよ!
どんだけのんびり休むつもりだっていう…2、3日メルマガを休んで「ああサボッちゃったなあ」と胃を痛めている自分が、小物に思えてきます。
さて本日は『古事記』の十回目「ヤマタノオロチ」です。
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高天原を追放されたスサノオノミコトは、出雲国に降り立ちます。そこでアシナヅチ・テナヅチという夫婦から怪物ヤマタノオロチの討伐を依頼されます。
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故《かれ》、避《さ》り追《お》はえて、出雲《いずも》の国の肥《ひ》の河上、名は鳥髪といふ地に降《くだ》りき。此時《このとき》、箸、其の河より流れ下りき。是《ここ》に、須佐之男命《すさのおのみこと》、人其の河上に有りと以為《おも》ひて、尋ね覓《もと》め上《のぼ》り往《ゆ》けば、老夫《おきな》と老女《おみな》、二人在りて、童女《をとめ》を中に置きて泣けり。
爾《しか》くして、問ひ賜《たま》ひしく、
「汝等《なむちら》は、誰《たれ》そ」
故《かれ》、其《そ》の老夫《おきな》答へて言ひしく、
「僕《やつかれ》は、国つ神、大山津見神《おおやまつみのかみ》の子ぞ。僕《やつかれ》が名は足名椎《あしなづち》と謂ふ。妻が名は手名推《てなづち》と謂ふ。女《むすめ》が名は櫛名田比売《くしなだひめ》と謂ふ」
亦《また》、問ひしく、
「汝《なむち》が哭《な》く由《ゆえ》は何ぞ」
答へ白《もー》して言ひしく、
「我《あ》が女《むすめ》は、本《もと》より八《や》たりの稚女《をとめ》在《あ》りしに、是《これ》を、高志《こし》の八俣《やまた》のおろち、年ごとに来て喫《く》ひき。今、其《そ》が来るべき時ぞ。故《かれ》、泣く」
爾《しか》くして、問ひしく、
「其《そ》の形は如何《いか》に」
答へて白《もー》ししく、
「彼《か》の目、赤かがちの如くして、身一つに八《や》つの頭《かしら》・八《や》つの尾有り。亦《また》、其の身に蘿《ひかげ》と檜《ひ》・椙《すぎ》と生ひ、其《そ》の長さは谿《たに》八谷《やたに》・峡《を》八尾《やを》に度《わた》る。其の腹を見れば、悉《ことごと》く常に血《ちえ》え爛《ただ》れたり」
爾《しか》くして、速須佐之男命《はやすさのおのみこと》、其《そ》の老夫《おきな》に詔《のりたま》ひしく、
「是《こ》の、汝《なむち》が女《むすめ》は、吾《あれ》に奉らむや」
答えて白《もー》ししく、
「恐《かしこ》し。亦《また》、御名《みな》を覚《さと》らず」
爾《しか》くして、答へて詔《のりたま》ひしく、
「吾《あれ》は、天照大御神《あまてらすおおみかみ》のいろせぞ。故《かれ》、今、天《あめ》より降《くだ》り坐《ま》しぬ」
爾《しか》くして、足名椎《あしなづち》・手名椎《てなづち》の神の白《もー》ししく、
「然坐《しかいま》さば、恐《かしこ》し。立て奉《まつ》らむ」
こうしてスサノオノミコトは追放されて、出雲国の肥河《ひのかわ》の河上、名は鳥髪《とりかみ》という土地に下った。この時に、箸が、その河から流れ下ってきた。そこでスサノオノミコトは、人がその河上に有るんだと思って、尋ね求めて河に沿って上っていくと、老人と老女が二人があって、若い娘を中に置いて泣いていた。
そこでスサノオノミコトはお尋ねになった。
「お前たちは誰だ」
そこでその老人が答えて言うことに、
「私は、国つ神でして、大山津見の子です。私の名は足名椎《あしなづち》といって、妻の名は手名椎《てなづち》といい、娘の名は櫛名田比売《くしなだひめ》といいます」
また質問した。
「お前はなぜ泣いているのか」
答え申して言うことに、
「私の娘は、もともと八人の娘がいたのですが、高志《こし。島根県出雲市古志郷?》の八俣のおろちが、毎年来て食いました。今が、その八俣のおろちが来る時期なのです。だから泣いてるんです」
そこで質問した。
「その八俣のおろちというものの姿形はどんなものだ」
答えた申し上げた。
「その目は、ほおづきのようで、体一つに八つの頭・八つの尾があります。また、その体に日陰蔓《ひかげかずら》・ヒノキ・杉が生え、長さは谷八つ、山八つにわたって、その腹を見れば、ことごとくいつも血が流れただれています」
そこでスサノオノミコトは、その老人に仰せられた。
「この、お前の娘を、私にくれるか」
答えて申し上げた。
「畏れ多いことです。しかしまだ、あなたのお名前をうかがっていません」
そこで答えて仰せられた。
「私は、アマテラスオオミカミの弟である。それで今、天から下ってまいったのだ」
そこで足名椎・手名椎の神が申し上げた。
「それでございましたら、畏れ多いことです。娘を差し上げましょう」
ここで初めて老人の言葉の中に「国神《くにつかみ》」という言葉が登場します。高天原の神々に対して地上世界に属する神々が、自らをへりくだって称した言葉です。
スサノオが「今天《あめ》より降り坐しぬ」といっているのは老人《アシナヅチ》のいう「国つ神」という言葉と対になっています。
つづいてヤマタノオロチ退治の場面です。
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爾《しか》くして、速須佐之男命《はやすさのおのみこと》、乃《すなわ》ち湯津爪櫛《ゆつつまぐし》に其《そ》の童女《をとめ》を取り成して、御《み》みづらに刺して、其《そ》の足名椎《あしなづち》・手名椎《てなづち》に告《の》らししく、
「汝等《なむちら》、八塩折《やしほをり》の酒を醸《かも》し、亦《また》、垣《かき》を作り廻《めぐ》らし、其《そ》の垣《かき》に八《や》つの門《かど》を作り、門《かど》ごとに八つのさずきを結《ゆ》ひ、其のさずきごとに酒船《さかぶね》を置きて、船ごとに其の八塩折《やしほをり》の酒を盛りて、待て」
故《かれ》、告《の》らしし随《まにま》に如此《かく》設け備へて待つ時に、其《そ》の八俣《やまた》の遠呂智《おろち》、信《まこと》に言《こと》の如く来て乃《すなは》ち船ごとに己《おの》が頭《かしら》を垂れ入れ、其の酒を飲む。
是《ここ》に、飲み酔《ゑ》ひ留まり伏して寝《い》ねき。爾《しか》くして、速須佐之男命《はやすさのおのみこと》、其の御佩《みは》かしせる十拳の剣《つるぎ》を抜き、其の蛇《へみ》を切り散らししかば、肥河《ひのかわ》、血に変りて流れき。
故《かれ》、其の中の尾を切りし時、御刀《みはかし》の刃《は》、毀《こほ》れき。爾《しか》くして、怪しく思ひ、御刀《みはかし》の前《さき》を以《もち》て、刺し割きて見れば、つむ羽《は》の大刀《たち》在《あ》り。
故《かれ》、此《こ》の大刀《たち》を取りて、異《け》しき物と思ひて、天照大御神に白《もー》し上げき。是《これ》は、草那芸之大刀《くさなぎのたち》ぞ。
こうしてスサノオノミコトは、ただちに神聖な爪櫛《つまくし》に、その娘《クシナダヒメ》の姿を変えて(つまりクシナダヒメをクシの姿に変身させて)、みづらに刺して、アシナヅチ・テナヅチの神に告げて仰せになった。
「お前たちは「八塩折」…何度も醸造した酒を造り、また、垣を造りめぐらし、その垣に八つの門を作り、門ごとに8つの棚をしつらえ、その棚ごとに酒の器を置いて、その器ごとにその何度も醸造した酒をなみなみと入れて、待て」
そこで言われた通り、このように準備して待っていた時に、その八俣のおろちが、本当に老人が言った通りにやって来て、たちまち酒の器ごとに自分の頭を垂れ入れて、其の酒を飲んだ。
こうして、ヤマタノオロチは酒を飲んで酔ったままうつ伏して寝てしまった。
そこでスサノオノミコトは、その腰に帯びた十拳《とつか》の剣を抜いて、その蛇を斬り散らしたところ、肥河《ひのかわ》は、血の色に変わって流れた。
さて、その中の尾を切った時に、御刀の刃が欠けた。そこでスサノオノミコトは不思議に思って御刀の先で突き刺して、八俣のオロチの尾を割いてみると、つむ羽《語義未詳》の太刀があった。
そこでこの太刀を取って、めずらしい物だと思って、アマテラスオオミカミに申してこれを献上した。これは草なぎの太刀である。
というわけで、ヤマタノオロチを酔っ払わせておいて、ぐでーんと寝ているところをでや、でや、でやとメッタ斬りにする。ところが尾のところが堅く、刃が欠けてしまったので、アレッ何だろうと割いてみると、立派な剣が出てきた。これをアマテラスオオミカミに献上した。これが草なぎの剣であると。
三種の神器の一つとして知られる草なぎの剣です。ただし『古事記』には「三種の神器」という言葉は出てきません。また草なぎの剣や八尺瓊勾玉が皇位継承の証として使われている様子もありません。皇位継承の証としての「三種の神器」という概念は、もっと時代が下ってから出てきたものと思われます。
次はヤマタノオロチを退治した後の話。日本で初めての和歌が詠まれる場面です。
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故《かれ》是《ここ》を以《もち》て、其の速須佐之男命《はやすさのおのみこと》、宮を造作《つく》るべき地を出雲国《いずものくに》に求めき。爾《しか》くして、須賀《すが》の地に到り坐《ま》して、詔《のりたま》はく、
「吾《あれ》、此《こ》の地に来て、我《あ》が御心《みこころ》、すがすがし」
其の地に宮を作りて坐《いま》しき。故《かれ》、其の地は、今に須賀と伝ふ。
玆《こ》の大神《おおがみ》、初め須賀の宮を作りし時に、其地《そこ》より雲立ち騰《のぼ》りき。爾《しか》くして、御歌《みうた》を作りき。其の歌に曰はく、
八雲《やくも》立つ 出雲《いずも》八重垣《やえがき》 妻籠《つまご》みに
八重垣作る その八重垣を是《ここ》に、其の足名鈇神《あしなづちのかみ》を喚《め》して、告《の》らして言ひしく、
「汝は、吾《あ》が宮の首《おびと》と任《ま》けむ」
且《また》、名を負《お》ほせて稲田宮主《いなだのみやぬし》須賀之八耳神《すがのやつみみのかみ》と号《なづ》けき。
さてこうして、スサノオノミコトは、御殿を作るための土地を出雲国に求めた。そこで須賀《すが》という土地にお着きになって、仰せられた。
「私は、ここに来て、私の御心は、すがすがしい」
そうおっしゃって、そこに御殿を作ってお住いになられた。
それで、その土地は今に至るまで須賀という。
この大神(スサノオノミコト)が、はじめ須賀の御殿を作った時に、そこから雲が立ち上った。そこで、御歌を作った。その歌に言うことに、
八雲《やくも》立つ 出雲《いずも》八重垣《やえがき》 妻籠《つまご》みに
八重垣作る その八重垣を
幾重にも雲が立ち上る出雲の地に、幾重にも垣根を張り巡らし、妻をこもらせる場所として幾重にも垣根を作った、ああその幾重にも巡らせた垣根よ。
つまり、妻が大変大事であると。だから幾重にも生け垣が囲んで、ぜったい人目になんか触れさせないぞ。俺の妻を、とことん大事にするんだと。
ここに、そのアシナヅチノ神を召して、仰せになった。
「お前を私の御殿の首長に任ずる」
また、名を与えて、須賀之八耳神《すがのやつみみのかみ》と名付けた。
八雲立つは出雲にかかる枕詞。八雲立つ出雲から八重にはりめくらした垣根を連想し、私の妻をこもらせる場所として、八重に垣根をはりめぐらせて、妻を大切に、大切にしよう。ぜったい人目になんか触れさせないぞと。結婚の喜びを歌った、おおらかな詠みっぷりですが…クシナダヒメにしてみると、そんな私外出もできないんですの、不自由だわなんて声も聞こえてきそうですが。
というわけで、有名なヤマタノオロチ退治の話でした。ヤマタノオロチがクシナダヒメを食らうということは、毎年雨季になると河が氾濫し、穀物が被害を受けた。そのことを神話的に語ったものと思われます。
この後、『古事記』はスサノオノミコトとクシナダヒメから生まれてきた子孫の名を列挙して、六代目の大国主命に至る系図をあきらかにします。ここも例によってずらずらずらっと名前が並ぶところですので、省略します。
とにかく、スサノオとクシナダヒメからいっぱい生まれてきて、その六代目の子孫が、大国主神になるという話です(『日本書紀』では大国主神はスサノオの息子)。
というわけで次回
「因幡の素兎」です。お楽しみに。
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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。ありがとうこざいました。